異世界の異常
そして翌朝。《ラピッドステップ》一行はヒーロと名乗った被追放勇者の少年が冒険者登録をしたという町へ向けて移動を開始した。仮にこの異常な事態の中心人物であろう少年がいなくとも――と言うより情報不足なうちから本命に遭遇したくもないが――正気とは思えない町の住民達を直接【看破】の神眼で見れば、現状より確かな情報を把握できる。
時間に余裕があるとも思えないが焦りは厳禁。外堀から埋めていくように慎重で順序立てた行動こそ求められる。何せ相手は神様なのだから。
もちろん移動は馬車であり、牽引しているのも例の馬車馬に最適な魔物である。だが今回は乗る馬車そのものも違う。それだけ今回の事態を重く捉えているのか、はたまた重い借りを作りたくないのか、騎士団の積載重量に優れた馬車が御者付きで貸し出されている。鎧を含む完全武装の騎士達を戦地に運ぶための馬車は、魔鉈を始めとするアナの重量級武器の数々を載せても壊れない逸品である。普通は乗るどころか目にする機会もない。
……逸品なのだが《ラピッドステップ》一行にしてみれば知ったことではないらしい。異常な仕事への道中だろうが最上級の馬車の中だろうが、緊張感とも不安とも無縁ないつも通りの姿である。
成長期なのでそろそろ体格差的に厳しいだろうに、相変わらずサムエルがアナの膝の上に座り仲の良すぎるスキンシップに勤しんでいる。
ベンジャミンも負けじと寝ているピーターを膝の上に乗せて、こういう時だけは珍しくない穏やかな表情で毛づくろいをしている。
変わったところと言えば、何ヶ月か前からフロウがベンジャミンの隣から手を伸ばして、恍惚とした表情でピーターの耳を撫でていることくらいだろうか。サムエルとアナが影で三角関係呼ばわりしてしまうくらいにトレイルラビット愛好家の邁進しているらしい。それまで一人だけ余っていたことを思えば良い変化なのかもしれない。そうであって欲しいところである。
少し無理をすれば日が暮れてから少し経つ頃には町に着けただろうが、ベンジャミンの判断により道程の八割ほどの地点にある見晴らしのいい草原で一夜を明かすことになった。調査の理由がAランクの魔物が出現するという異変が起きたからなので、もちろん御者は全力で反対した。いくら少し無理をする必要があるとは言え、ほぼノーリスクで安全な町に着くのなら当然の意見と言えるだろう。
しかしベンジャミンにしてみれば前提が違う。この場合はAランクの魔物より神の干渉を受けている何者かの方が危ない。最悪の場合は町の全てが敵に回るのだから、逃走も視野に入れて馬車馬の体力は極力残しておきたい。
あと普通の魔物ならまだしも異常な出現はないという読みもある。道中も気楽に過ごしているだけのようで【看破】の神眼による警戒、観察を怠らなかったベンジャミンは、不自然な力の流れを見付けていた。
その力の流れこそが今回の魔物の異常な出現の原因である。まだその流れの行きつく先を直接は見ていないがベンジャミンは正確に把握できている。それは言うなれば人工的な龍脈。Aランクの魔物を複数体出現させるほどの膨大な力を集めるために刻まれた幾多の道。
とは言えFランクの魔物しか出現しないような地域なのでAランクの魔物を出現させるだけの量を集めるには時間がかかるらしい。それにこの草原は流れの中継点でしかなく人工的な龍穴も存在しない。なら何があるか分からない町よりはマシだろう。
その辺りの話を説明して説得しようとしても、恐怖心を抱いている御者が納得するとは限らない。だからと言ってほぼ説明もなしに野営を押し通してしまうあたり、変なところで雑な性格をしているベンジャミンである。
強力な魔物の異常出現はないとしても、通常の魔物の出現はありうる。ついでに言えば盗賊などに夜襲される可能性も限りなく低いがなくはない。なので見張りは必要となる。
普段は年齢と体力を考慮してサムエルは除き、フロウも短めにし、ベンジャミンとアナで残る時間を二等分している。しかしこの日はアナ自らの申し出により大部分の時間をアナが担うことになった。
確かにネズミの獣人ということもあって夜には強いし夜目も利く。しかし人類であることに変わりはないので昼行性である。そうでなければ日常生活にも支障をきたすから当然だろう。それに今日は戦闘こそしていないが、現代の地球でも長距離バスによる長旅で疲れたりするものである。最上級の逸品とは言え馬車での移動で疲労がないわけがない。
それでも見張りの負担を買って出たのは、野営の理由の一端がアナにあると言われずとも察したからに他ならない。建前上は平等としている王国でも人種差別は存在する。そしてこの辺りは獣人差別が特に根強い地域である。国境方面に向けてユーシャが住む村の辺りにまで進めば差別もほとんどなくなるが、この辺りでは獣人が泊まれるとしたら目的地の町の宿屋くらいしかない。それでも嫌な顔くらいはされるだろうが。
だから本来はありえないのである。この地域で獣人の少女が連れの少年を勇者だと話したところで素直に信用されることも、仮に少年の実力により話を信用されたとして、神の使徒と思われている勇者様の隣にいる獣人ごときを排除しようとしないことも。
しかしそんなことは些細なことだと理解させられるような出来事が、アナが見張りをしている今この時にも水面下で進行していた。
ベンジャミンであればすぐに気付けただろうが、アナが気付いたのは異変が目に見える形で現れてからだった。無理もない。夜目が利くとは言え薄暗い夜では分かり辛い変化だったのだから。むしろよく夜の間に気付けたと言える。
気付いてからの行動は早く、真っ先にベンジャミンを叩き起こして【看破】させている間に他のメンバーを若干優しく起こしていった。
一緒に起こされた御者を含む全員が目にしたのは、月明かりの下ではどこまで続くかさえ分からないほどの範囲に広がる、野営の準備をしていた時には普通だったはずなのに、いつの間にか枯れ始めている草原の変わり果てゆく異常な急変の過程だった。




