厄災の登場
ベンジャミン達の暮らす王国から南南西に小国二つ隔てた先にある荒野。動植物が生きていける環境ではないためどの国も国土として主張しない不毛の地は、凶悪な魔物達の生息地として一国どころか世界各国が連名で立ち入りを禁止している危険地帯である。その地の周辺は国境線以上の防衛線が敷かれており、冒険者資格であればSランクしか立ち入れない、と言えばその危険度が少しは想像できるだろうか。
防衛線を超えようとしてくるのは生存競争に敗れ逃げ延びた魔物なので、Bランク上位かAランク下位の個体にとどまっている。それより強ければ生存競争でも勝ち残れるし、それより弱ければ逃げきれずに殺される。
そして不幸中の幸いか、防衛線まで逃げ延びられる魔物は少ない。そのランクの魔物自体が少ないというのもあるが、単純に生存率がそこまで高くないだけのことである。襲撃が少ないからこそ周辺諸国は今も滅ぶことなくあり続けてられている。
しかしそんな平穏も終わりを告げた。
今までも五〇年に一度の割合で強力な個体は出現してはいた。そしてそのたびに周辺諸国が力を合わせて討伐してきた。だが今回の魔物は今までのそれとはあまりにも格が違いすぎた。
遥か昔【創造手】という固有能力をもって今なお重宝されるほどの性能を有する魔道具を作り上げた鬼才がいた。その鬼才の作品の中に魔物の力を計測する魔道具があり、今もこの魔道具による計測結果が魔物のランク分けに利用されているし、今まで何人もの天才と呼ばれた職人が同じ物を作ろうと挑んでは散っていった貴重品である。
そんな貴重な魔道具が砕け散った。経年劣化にしてもありえないほど劇的に砕け散った。遠方から出現した個体の力を計測しようとした、その負荷だけで。
もうこの時点であまりにも絶望的な話だが、話はその程度では終わらない。その個体は固有能力を有する特異個体であった。その固有能力【王者之権能】の効果は自分より弱い魔物の個体を支配するというものであり、知恵のある魔物が使えば単なる群れではない軍勢を作れる凶悪なものであった。
まさかここまできてその個体に知恵がないなどと楽観視する者はいないだろう。計測魔道具が砕けた時、遠目にもそれなりに様になった軍勢ができあがっていた。幸か不幸かその特異個体に知恵があったからこそ、自軍の数が少ないうちから戦力不明な防衛線、ひいてはその先へと侵攻する様子はまだない。
しかしそれも時間の問題である。元々魔物の出現量が多い荒野が、圧倒的上位個体により統治されている。そんな状況では生存競争により勝手に間引かれていた魔物の数は減らなくなる。そして特異個体が充分な戦力を揃えたと判断する頃には、周辺諸国どころか王国のような大国さえ滅ぼせる最強の軍勢ができあがるだろう。
まさに世界を滅ぼしうる、物語に出てくる魔王軍そのもの。
地球とは違いこの異世界には勇者と魔王の物語は存在しないが、特異個体の固有能力の名がどこからともなく知れ渡ると、誰ともなくその特異個体のことをこう呼び始めた。魔物の王者――魔王、と。
魔王の軍勢が整う前に叩くべきだと主張する者もいた。しかし下手に手を出して人類側の戦力の程度を知られれば、待ち受けているのは魔王軍による諸国への侵攻である。人類側も戦力を整えなければ抵抗さえままならない。
もはや事態は周辺諸国のみならず、王国や大陸中央に位置する帝国なども含めた大陸全土の人類国家が力を合わせて立ち向かうべきものと言えよう。だが悲しいかな、荒野から四つも国を隔ててしまえば、魔王に世界を滅ぼされることより隣国に自国を滅ぼされる隙を見せないことを気にしてしまう。特に大軍を派遣したとしてもなお隣国と戦争できるほどの軍事大国である帝国の存在が痛い。仕方ないことではあるが、これでは人類側は充分な戦力を整えられない。
だから周辺諸国の民は神に祈りを捧げ続けた。無力な民にできることはもう、祈ることしか残されてはいなかったから。
その姿から民は夢にも思っていないことが分かる。魔王出現という悪夢のような事態が、神に祈るしかない絶望的な事態が、その神の一柱である運命の神プロツトが思い描いた『魔王と勇者による世界の命運をかけた戦い』の脚本通りの事態でしかないなどと。
脚本通りにことが進めば、小国の二つ三つは滅びることになる。そして魔王軍の侵攻が王国にまで届いた時、運命の戦士ユーシャ・ブレイバーの英雄譚が幕を開ける。最後にユーシャが勝ち、その英雄の名を取り魔王と勇者の物語が完成する。
まるで邪神の所業ではあるが、勘違いしてはいけない。プロツトはあくまで運命を司る神であって、愛や平和を司る神ではない。吉凶禍福を問わず人の世にもたらしてこその運命である。
そんな運命に待ったをかける神がいた。そう、奇跡の神ゴツゴウシュギーである。別に犠牲になる小国を思っての行動というわけではないが、プロツトの脚本を崩すために王国に一つの神託を下した。細部に至るまでプロツトへの嫌がらせを忘れず『勇者召喚の儀』と命名した神託の儀式により、強大な力を手にした若者達が異なる世界より召喚された。
その奇跡がいかなる結果を招くのか、それはゴツゴウシュギーにさえ分からない。




