英雄の素質
見覚えのある無駄に高そうな鎧を着た男が、何故か自分の前を横切ろうとするかのように走って来る。視界の片隅に映るその光景の意味を屑ニートが理解するのに大して時間はかからなかった。
状況を全て正確に理解する必要はない。自分が真っ直ぐ追っていたはずの一団の内の一人が斜め前にいるということの意味さえ分かればいい。つまり自分は下らない小細工でまんまと出し抜かれて、例のウサギ達がいないズレた方向へ走らされていたということさえ分かれば。
瞬間、技術も走法もない力技で加速した屑ニートが地面を蹴ったことで、地雷でも爆発したかのような大量の土煙が上がる。
一見派手な演出のようだが、言い換えれば派手に土煙が上がるということは、それだけ地面を蹴った時のエネルギーが余計なことに使われて損失が出ているということになる。本来であれば速度が出せるようなものではない。にも関わらずほんの一瞬で鎧を着た無能の目の前まで移動して立ち塞がる屑ニート。
「下らない小細工を。その程度の策で俺様を出し抜けるとでも思っていたのか?」
無能が奇跡的な失態を犯さなければ出し抜かれていた者の言葉ではない。
「その顔……ふっ、やはり思い上がった愚か者を裁くのは貴族であり騎士である高貴な血が流れる私の使命ということか」
奇跡的な遭遇こそ果たしたが勝機はない思い上がった無能の言葉ではない。
「お前に他の連中のところまで案内させてやってもいいんだが、俺様は寛大な心の持ち主だからな。この場で一思いにぶっ殺してやる」
寛大な心の持ち主の言葉ではない。
「無用な苦しみを味わいたくなければ無駄な抵抗はせず大人しく私の一太刀をもってその首を落とされるがいい」
刃筋を立てることもままならない無能の言葉ではない。
そして互いに相手の言葉を聞く耳を持たず、自分の言いたいことだけを一方的にぶつけてしかいない。屑ニートと無能の組み合わせではまともな会話が成立するわけもないが。
ある意味では似た者同士と言えなくもない二人だが、現在の戦闘能力だけを比較すれば天と地よりも隔たりがある。一触即発の雰囲気ではあるが、触れてしまえば結果は文字通り鎧袖一触。無能は肉片さえ残りはしないほど壊され砕かれ死に至るだろう。
もちろん無能に回避できるわけがない。たとえそれが怒りに我を忘れた雑な大振りだとしても、無能では反応速度も瞬発力も何もかも足りない。そもそも避けなければならないことを理解しているとも思えない。
「「死ねぇっ!!」」
声だけは同時だったものの、無能の初動さえ終わらぬうちに屑ニートの拳が振るわれて――何故か空を切った。
もちろん無能は何もしてはいない。それどころか自分の身に何が起きたのか未だ気付いてさえいない。ようやく剣を振るい始めたところである。
つまり、第三者の介入である。
「おいそこの二人! これはいったい何の騒ぎだ!?」
そこにいるのは近くの村の少年。まさに田舎の村人という印象の質素な服に身を包んでいるが、見る者が見ればただの村人とは誰も思わないだろう。
短く荒く刈られた濃い灰色の髪に浅黒い肌。鋭い目つきの中に輝く黄金色の瞳。まだ成人しているかどうかという年の頃だろうに、歴戦の戦士を思わせる妙な風格を漂わせている。《ラピッドステップ》の誰かであれば【看破】の神眼などなくてもAランク以上の脅威だと理解できていただろう。
何より「そこの」という言葉の通り、二人から離れた場所にいながら一瞬で終わるはずだった戦いに介入して屑ニートの攻撃から無能を守ってみせた謎の固有能力の効果は、屑ニートさえ警戒しなければならないほどのものである。少なくとも屑ニートの身体は本能的に少年を油断ならない敵だと理解していた。
だからそれを頭で納得できない屑ニートは、無能よりウサギより今はまず少年を真っ先に殺そうと殺意と本能に身を委ねて動き出した。
視界の片隅に映る無能の剣は無意識に繰り出したジャブ一発で砕き、縮地のような走法をもって無駄のない動きで少年に肉薄し、固有能力により一発一発が必殺と化した高速連続攻撃を繰り出す。
常人であれば避けるどころか目で追うことさえできない速度重視の攻撃を、少年は危なげなく全て避けきってみせる。どころかまだ余裕が見られる。
そして何より驚くべきなのは、攻防問わず屑ニートに触れるような動きがフェイントでさえないことである。触れた時点で殺される屑ニートの凶悪な固有能力の効果を知っていれば当然のことではあるが、せいぜい無能の剣を砕いた時にその効果の片鱗が見えたくらいで、鎧のように屑ニートを守っていることなどその手の固有能力でもなければ分かるはずがない。
にも関わらず、少年は本能的な危機察知能力だけで、ようは直感だけで屑ニートに触れる危険を察して動いている。まるで野生の獣か、そういう異常なものとして設定された物語の登場人物のように。
だが少年がどれだけ異質な存在だとしても、屑ニートに触れることはできない。そもそも人の世に干渉するためのエネルギーの量次第では神でさえどうすることもできないのが今の屑ニートである。それを人の身でどうにかできる者がいるとすれば、それはもはや人ではなく人の枠を超えた何かである。
では少年はと言えば――
「お前がどこの誰かは知らんが、俺は村の警備を任されてんだ。お前みたいな怪しい上に危なっかしい奴を村に近付かせるわけにはいかない」
屑ニートが聞く耳など持たないと察した上でそう告げる少年の気配が変わる。戦う者という意味では変わらないが、今の少年は歴戦の戦士とはまた違う、守護者と呼ぶに相応しい者の風格を漂わせている。
人が何かを成す上で最も大切な、強い意志をもって屑ニートと対峙する。
「集え」
――少なくともただの人とは言えない少年が、一言そう呟いた。
この少年は誰なんだよ?
そう思った方、そのうち分かります(次回で分かるとは明言しない)




