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貴族騎士の敗走

「……これだけ離れれば、ひとまず平気か……?」

 そう呟くとベンジャミンは存在接続魔法を介してピーターに撤退を指示する。ちょっとした攪乱のためにフェイントを入れさせることも忘れない。

「ベブ、ゥゥゥ……」

 空間跳躍で文字通り跳んできたピーターは、定位置であるベンジャミンのローブのフードに跳び込むと、疲れているのかすぐに丸まって眠りについた。世界中のどこよりも安らげる場所で、次の戦いに備えるために。


 そして休息が必要なのはピーターだけではない。ピーターに体力を融通しながら無能達を拘束するための付与魔法を維持し続けていたベンジャミンも勝るとも劣らぬほどに消耗していた。

 もちろん動けないということはない。どころか並大抵の魔物相手なら一戦を交えることもできる余力がある。しかし勘違いしてはならない。意図して余力を残したわけではなく、鍛えられるだけ鍛えた豊富な体力あってこそ使い切らずに済んだだけの話である。


 むしろ余力を残す余裕などあるわけがない。屑ニートの固有能力【破砕皮装甲】の効果範囲には厚みがあるのだから。

 さすがにセンチ単位の厚みはない。ほんの五ミリ程度のものではある。しかし着衣の厚みが五ミリもないことを踏まえると、その厚みは難攻不落の要塞にも等しい意味を持つ。皮膚に触れなければ攻略できるものではなく、着衣の上からでさえ皮膚に触れてはならないものなのだから。

 防御はもちろん受け流すことも許されない攻撃を全て回避するだけでも至難の業。それをいつ終わるとも知れぬ中でやり遂げた上、余力まであるということがどれほど異常なことか。


 成し遂げた一匹は、定位置で丸まって眠りについている。

 支え続けた一人は、なおも大切な重みを支え続けながら座り込んでいる。


 物理攻撃はもちろん魔法攻撃さえ触れることを許さない攻防一体の固有能力。そんな壁を跳び越えて屑ニートを討てる可能性のある者など、一つで一羽の最強をおいて他にない。勝率を上げるためにも万全の状態で臨むのは当然のことで、この休息も必要なことである。

 それを理解している《ラピッドステップ》の他の面々は何も言わない。実力ではなく能力の問題とは言え、Sランク冒険者パーティーの一員でありながら何もできないことに、思うところがないわけがない。それでも今は余計な言葉も感情も呑み込んで、できることをするしかない。


 それを理解していない無能は、感情のままに余計な言葉を垂れ流す。

「せっかく私の素晴らしい策で愚かな敵を誘い出したというのに、一戦を交えることなく背を向けて退くとは何事か! Sランクだ何だと言っても、しょせんは冒険者風情ということか臆病者共めが! もうよい、初めから私一人で充分だったのだ! すぐに引き返して――」


「――犬死にしたいのでしたらどうぞご自由に。少なくともボクはもうリーダーの指示に従わない人の面倒を見る気はありませんので」


 サムエルやアナより早く、フロウが無能の言葉に被せるように告げた。

 この半年で一度も聞いたことがない、どこか機嫌の悪い時のベンジャミンにも似た冷たく鋭いフロウの声色に、サムエルもアナも驚き半分興味深さ半分と言った様子で成り行きを見ている。


「貴族であり騎士であるこの私の面倒を見るだと!? 思い上がるな騎士になれぬ下賤な身分の冒険者風情が!」

 無能の言葉はある程度は事実である。現代日本のような戸籍制度などないこの異世界においては、騎士になれる者は貴族のように出自が明らかな者だけに限定されている。平民では騎士になれないということはないが、例えば『三代以上前から指定区域で生活している家系』というような条件を満たしていなければ実力があろうと騎士にはなれない。

 騎士が限られた者しかなれない名誉ある職であること。それは事実である。


 しかしそれらの要素は全て、無能が貴族騎士でありながら冒険者に面倒を見てもらわなければならない弱者であることを否定する要素にはならない。

「貴方こそ思い上がらないで下さい。ボクより弱いんですから」

 場の空気が凍る。サムエルとアナでさえまさかフロウがそこまで言うとは思っていなかったのか呆気に取られている。

「ふっ……私は貴族であり騎士であり何より戦士なのだぞ冒険者それも戦闘に向かぬ治癒術師風情に劣るわけがなかろう愚かなものだその不敬万死に値する私自らその首を落としてやろう光栄に思うがよい!!」

 図星を指された自覚があるのか、大声で捲し立てながらフロウに切りかかる無能。


 結果など考えるまでもなく明らかである。騎士になるには最低でも装備抜きで冒険者で言うEランク上位の実力が必要となる。前衛で戦う機会のない術師が接近戦で勝てる、どころかまともに戦える道理もない。

 通常であれば。

 この場にいるのは親の権力で騎士になった実力のない無能と、下手な戦士より過酷な戦いを続けてきた魔導師の下で成長し続けている術師である。結果など考えるまでもなく明らかである。


 とは言え相手は仮にも貴族。まさかベンジャミンが何度もそうしかけたように、実力で叩き潰すわけにもいかない。今のフロウにもその程度の判断ができる冷静さは残されていた。

 なので煽ることにしたらしい。


「あれ、ボクの首まだ落ちていませんね? 手加減しなくてもいいんですよ?」

「わ、私を本気にさせたことを後悔するがよい!」

「ずいぶん遅い攻撃ですね。わざと遅い動きでやる型の訓練ですか? 熱心ですね」

「黙れ! 私が首を落としてやると言っているのだぞ! 動くでない!」

「歩きっぱなしで疲れちゃったんですかねー。ふらふら動いてしまいますよー」

「死ねええええええええええええ!!」

「ボクも人の身ですから、首が落ちれば死にますよ? 落・ち・れ・ば、ですけど」


 どこで覚えたのかは言わずもがな。表情と合わせて相手の神経を逆撫でする言葉の数々を、実に楽しそうに放ち続ける。普段のフロウの様子からは想像しづらい姿だが、日本で言えばまだ高校生なのだから、こういう一面があっても不思議ではないのかもしれない。


 ちなみにベンジャミン直伝ということもあり、ふざけた調子ではあるが、フロウの回避行動自体は自分の動きを最小限に抑えている高度なものである。

 対して無能の動きは無駄しかない雑な大振りばかりで、疲労軽減や体力回復効果が付与された鎧を装備しているにも関わらず、持久戦でフロウより先に無能が限界を迎えた。


「それで、治癒術師風情に一太刀浴びせることさえできない貴方が……何でしたっけ?」

 本当に忘れたわけではない。これも煽りの一環である。

 そんなフロウに対して無能は何も言えない。言い返す言葉がないのではなく、乱れた呼吸で言葉を発せないだけである。

「言いたいことが何もないなら大人しくしていて下さい。初めからリーダー達がいれば充分なんですから」


 その時何が起きたのか、それはその場にいた誰にも分からない。看破できたであろうベンジャミンが目を閉じて休んでいたこともあり、突然のことに他の誰もが反応できなかった。

「違う。私は、私はあああああああああああああああ!!!!」

 無能の装備していた鎧が輝き、増強された体力回復効果により再び動けるようになった無能が叫び声を上げながら走り出した。それがフロウへの攻撃であれば反応できたかもしれないが、無能は逃げるように無我夢中に走り去ってしまった。


 知ってか知らずか、屑ニートのいる方向へ。


「……いやいやいや嘘でしょう!?」

 最初に反応したのはフロウ。続いてサムエルとアナ。世話役達はいつになっても状況を把握できていない様子。

 追うにしても初動が遅れたのが痛い。靴に細工でもしてあるのか何故か移動速度も今までより速く、今からでは追いつけるか怪しい。仮に追いつけるとしてもそれが屑ニートとの遭遇とどちらが早いか分からない。


「……もしかしなくても、ボクのせい?」

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