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治癒術師の選択

 最初にそれに気付いたのは、馬車を引く馬達だった。

 逃げ出そうと暴れる馬達を大人しくさせようとした御者も遅れてそれに気付き、驚きと恐れのままに悲鳴を上げる。

「魔物だ! 魔物が出たぞ!」


「そんな馬鹿な!?」

「ちくしょうついてねえ!」

「理由なんてどうでもいいだろ! 誰か戦える奴はいないのか!?」

「いるわけないだろそんな都合よく! 馬鹿かお前は!」

「何だとテメェ!」


 御者の悲鳴により乗客にも驚きが、恐れが、混乱が広がっていく。

 本来、この手の街道に魔物が現れることはほとんどない。というより正しくは逆で、魔物が現れない場所を選んで街道としている。命あっての物種なのだから、迂回しようが蛇行しようが安全を優先した道にするのは当然のことだろう。

 しかしこのように、稀に群れからはぐれた魔物が街道に姿を現すことがある。


 現れるのはゴブリンのような単体での戦闘能力は低い魔物なので、冒険者でなくとも装備さえ整っていれば一般人でも戦えないわけではない。あくまで戦闘能力の話ではあるが。

 だが格安の乗合馬車を利用するような者がまともな装備など持ち合わせているわけがない。

 今この馬車に戦える者などいない。


 ――少年以外には。


 この場で少年だけはまともに戦えるだけの装備を持っている。安物のマジックパックに収納している装備を取り出せば、この半年近く共に戦ってきた装備を身に着ければ、すぐにでも戦いに行くことができる。

 だが少年は動かない。戦いに行くどころか、装備を取り出すこともしない。

 当然だろう。少年は最下級回復魔法しか使えない治癒術師であり、前衛歴半年足らずの盾役であり、つまりは攻撃力など皆無な冒険者でしかないのだから。

 時間稼ぎと考えれば適任かもしれないが、ゴブリンの一匹さえ倒せるか分からない少年にしてみれば名乗り出るのは難しいことだろう。


(逃げてほしい)

 目視できる距離にいるなら反転する時間などを含めると間に合わないかもしれないが、それでも少年が戦うよりは勝算が高い。

 もちろん少年が動かないのは慎重なのではなく臆病なだけで、勝算など考えているわけではないが、逃げ出した方がいい状況なのは事実である。それも恐ろしく単純な理由で。


 少年を含む乗客達は見ていないので知らないが、御者が見付けたのはゴブリンではなくバンプウルフという魔物えある。

 総合的な戦闘能力で比べるならゴブリンより多少強い程度の弱い魔物ではあるが、ウルフという名の通り移動速度や俊敏性は高く、格安の乗合馬車で逃げきれるような相手ではない。

 追われれば逃げきれない相手。

 しかし現状では逃げの一手こそが最善策となる。なぜなら――


「ん? 逃げた……のか?」

 バンプウルフの方が馬車の進行方向、街道の先へと向かう。

 状況は分からずとも、いや分からないからこそ後を追うように進む馬鹿はいない。そして御者は馬鹿でなかったようで、乗客に告げる。

「魔物は道の先に行きました。安全のため引き返します」

 その言葉で安心したのか乗客達は一旦静かになるが、すぐにまた騒がしくなり出した。内容は「金はどうなる」だの「予定があるから進め」だのというありふれたもの。


 だがその騒ぎは少年の耳に届かない。

 一旦静かになった時に聞こえた、聞こえてしまった声が耳に残っている。

 聞こえた声。裂帛(れっぱく)の気合と、獣のような断末魔の叫び。

 そして、憤怒と殺意に満ちた複数の咆哮。

 遠くから微かに聞こえた程度の声なので、詳しくは分からない。

 ただ、少年とて仮にも数日前までSランクに昇格したほどのパーティーに在籍していた。少ない情報でも少年に判断できることはある。


 複数の咆哮が聞こえたということは、この街道の先にいるのは魔物の群れ。

 はぐれの魔物が現れることさえ珍しいというのに、群れが現れるというのは僅か二件しか前例のない非常事態である。


 故郷ということで凶悪な魔物が出没してはいないかと、ここ半年間の冒険者ギルドへの討伐依頼は気にかけていた。

 特別何が起きたということはなく、例年通りのゴブリン討伐などの危険度が低い新人向け依頼だけだったので安心していた。


 そしてこの時期はろくに依頼などないことも知っている。

 つまり今、この街道の先には新人冒険者さえいない。魔物の断末魔の叫びが聞こえたのだから腕の立つ誰かがいるのかもしれないが、装備にしろ実力にしろ、魔物と戦える者がそう何人もいるとは考え難い。

 もしソロで魔物の群れと戦っているのなら、死ぬ危険性は高い。


 しかし少年が加勢すれば、その可能性を下げることができる。

 そう考えた時、少年は周囲の騒ぎなど耳に入らないほどに迷い始めていた。


 賢い選択はこのまま馬車で引き返すことだろう。

 見ず知らずの誰かが犠牲になったところで、少年が罪悪感を抱く必要などない。

 そもそも少年が加勢したところで犠牲者が増えるだけかもしれないし、逆に少年が加勢するまでもなくソロで魔物の群れを討伐できるのかもしれない。むしろ足手まといになるかもしれない。


 動かない理由ならいくらでも浮かぶ。しかし、少年の脳裏に何よりも強く大きく浮かぶのは、かつて憧れた姿。

 振り払えない感情は衝動となり、少年を突き動かす。


「おいガキが一人落ちたぞ!?」

「何だって!? 誰か早く拾い上げてやれ!」

「待てどこ行くんだ!? そっちには魔物がいるって!」

「違う! コイツ自分から飛び降りたんだ!」

「何だそりゃ!? 死にたがりか!?」

「もうあのガキは置いて早く行けよ!」


 御者や乗客達の声は、もう少年には聞こえていない。

 少年はただひたすら街道の先へ、助けられるかもしれない誰かの下へと走り出していた。

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