貴族騎士の暴走
戦場で最も恐ろしいのは、強力な兵器でも屈強な敵兵でもなく、無能な味方である。
歴史上のいかなる時代においても揺らぐことなく語られ続けてきた真理は、この異世界においても変わることなく適応される。無能の中でも無駄に行動力のある者が特に恐ろしいという点もまた。
例えばそう、どこぞの無能な男爵令息の騎士のような――
ベンジャミンがストレスを溜め込んでいる頃、無能もまたストレスを感じていた。
どうして自分とその世話役だけでの討伐が認められなかったのかと。相手はたかが田舎の村で威張る程度のことしかできない雑魚なのに。
どうして自分と共に討伐に向かうのがSランクとは言えたかが平民の冒険者、それも支援術師風情が率いるパーティーなのかと。名誉ある王国騎士団と釣り合いが取れるわけがないのに。
どうして平民の支援術師風情が指揮権を持つのかと。一応は上司である団長の命令だし東方の面子もあるから同行は仕方なく寛大な心で許すとしても、それなら貴族であり騎士である自分が上に立ち奴隷のように使ってやるのが道理なのに。
どうして現場まで馬車で乗り付けないのかと。その方が断然早いのに。
どうして精処理用の女がいないのかと。女を捨てた行き遅れ筋肉ババアや顔は良くても幼すぎる未成年の小娘では話にならないのに。
どうして。
どうして。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
もちろん当の無能以外は全員がその答えを知っている。
どうして無能とその世話役だけでの討伐が認められなかったのか。相手はたかが田舎の村とは言え単身で滅ぼせる実力者であり、実力のない雑魚な無能では勝てないから。
どうして無能と共に討伐に向かうのがSランクとは言えたかが平民の冒険者、それも支援術師風情が率いるパーティーなのか。南方に限らず王国全土を探しても、それが最も無能の生存率が高い選択肢だから。
どうして平民の支援術師風情が指揮権を持つのか。無能には指揮官の実践経験どころか座学知識さえないから。
どうして現場まで馬車で乗り付けないのか。確かに早期解決も重要だが、まだ相手が村に残っているかも分からない上に隠密性の欠片もない馬車での移動は、デメリットの方が多いから。
どうして精処理用の女がいないのか。普通はいない。
知らなくても少し考えれば分かりそうな単純な答えばかりだが、そのどれか一つにさえ無能の頭では辿り着けない。だからこそ無能なのだと言ってしまえばそれまでだが、話はそれで終わらせられても現実の問題は何一つ片付いてはくれない。
どこからともなく勝手に集めてきては己の内に詰め込んでいくストレスで、無能は我慢の限界を迎えようとしていた。
そしてそれは、実に些細なきっかけで暴発する。
実のところ、ベンジャミンはほとんど全ての情報を把握していた。件の男が今どこで何をしているのかさえも。
それを可能とするのがベンジャミンが【看破】の神眼を変性させて得た効果の一つ、離れた場所を見ることができる、いわゆる千里眼や天眼通と呼ばれる類の力である。
その力で男を監視しながらだったので歩調も普段より遅くなり、装備に付与された効果に加え無警戒に突き進んでいたという違いがあるとは言え、無能に遅れる形での進行となっていた。
だがそれも早ければ明日で終わる。
件の男が既に何もかも奪いつくした村を出ていることは把握している。自分達と男の現在地を比較し、勝手に先を行く無能と件の男の予測進路が重ならないことを踏まえ、起こりうる状況を想定していく。
不幸中の幸いと言うべきか、魔物への反応を見る限り件の男の索敵能力はあまり高くはない。予測進路と照らし合わせても三、四〇〇メートル程度だが余裕はある。上手くいけばすれ違った後にわざと無能の反感を買って自分を追い払わせ、充分に離れたところで男を襲撃できるかもしれない。
むしろその程度のことは必須かもしれない。何故なら相手は武闘家の極致と言っても過言ではない力の持ち主なのだから。
身体能力は言わずもがな、門外漢であるベンジャミンに分かる範囲でも九つの流派の格闘術を使いこなしていた。分からない技も含めれば、果たしてどれだけの流派の武術を修めていることか。現在進行形ではないようだが神の力の残滓を確認しているので、おそらく王国、いや世界中の武術を修めていると考えられる。
その中でも特に厄介なのが瞬発力の高さ。ある程度の素早さまでなら何とかなるが、件の男の身体能力は高すぎる。魔術師であるサムエルはもちろん、【瞬撃】という固有能力を持つとは言え武器の重量の関係で攻撃開始時にほんの一瞬だけ隙があるアナでも厳しい。最低でも存在接続魔法のステージⅡ状態のピーターでなければ勝てない。それほどの強敵である。
だが言い換えれば一つと一匹なら勝てない相手ではない。事前に起こりうる状況を想定してみれば、無能が足を引っ張ったところで少なくとも一度退くことはできる。油断は禁物だが緊張することはない。今は野営の準備を早々に終えて、戦いになるかもしれない明日に備えて休めばいい。
ベンジャミンはそう考えていた。そしてその見立ては完全ではないが、特に見落としや詰めの甘さもなかった。
見落としていたのは、無能の想像を絶する愚かさだったから。
「素晴らしい手を思い付いた! そもそも貴族であり騎士でもある私がわざわざ田舎の村などへ足を運ばなければならないことが既に道理に合わぬ話なのだ! 愚か者がいるなら私の下に出向かせればよい!」
疲労で頭が壊れたか? と不敬を承知で尋ねたくなるほどの馬鹿な発言に、周囲の世話役達はおろか《ラピッドステップ》の面々までもが呆気に取られて思考も動作も停止している隙に、無能が発言以上の馬鹿をしでかした。
無能が使用したのは、マジックパックにしまってあった敵を呼び寄せる魔道具。
もちろんこの場合の敵とは件の男ではなく、周囲にいる魔物のことである。
何を勘違いしたのかは分からない。むしろ分かりたくもない。ただ全てはベンジャミンが魔道具の効果を看破し止めるより早く終わり、そして無情にも始まってしまった。
魔物の数も質も問題ではない。よほど強力な特異個体でも現れない限り、サムエル一人でも無能が剣を構えるより早く殲滅できる。
問題なのは魔物の動き。不自然にどこかに集結しようとする動きは、皮肉にも無能が意図しない形で無能の目的を果たし、件の男までも呼び寄せてしまう危険性がある。
想定外の事態に、と言うより想定できるわけもない事態により、ベンジャミンは窮地に陥っていた。




