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治癒術師の第一歩

 姿は見えなくても風切り音や宙を蹴り跳ねる時の音は聞こえていた。しかしふとその音さえも途切れて聞こえなくなり、フロウは何か言い知れぬ不安を抱き始めていた。

 あと一秒もあれば本格的に不安を抱いていたかもしれないが、実のところ一人と一匹は既にこの場所に帰還している。気付かれていないだけで。

 ベンジャミンは燃費の悪すぎるピーターの身体に体力を絞りつくされて、唸り声を上げる余力もなく疲れ果てて身動き一つ取れずにいる。身体の方はフロウが気を利かせてアナのマジックパックに寄りかからせるように座らせていたので、地面に崩れ落ちたままの体勢ではない。

 そしてピーターはと言うと、


「ベブゥゥゥ……」


 妙に切ない調子の鳴き声を上げながら、少し離れた地面から顔だけ出して生えていた。どうやらダメージにより帰還地点が少しズレたらしい。石の中にいなくて一安心、しても良い状況なのかは分からない。

 どうやら抜け出したくても自力では抜けられないらしい。既に存在接続魔法は解けているため、綺麗に埋まっている現状から抜け出すには筋力か体力か、とにかく何かが足りないのだろう。


 そして鳴き声に気付いた、と言うより警戒しているところに妙な音が聞こえて、思わず反応してしまったフロウと埋まっているピーターの目が合う。

「……え、えええええええええ……?」

「ベブゥゥゥゥゥゥ……」

 どう反応したものか分からないフロウの困惑した声と、やはりどこか切なげなピーターの鳴き声が重なる。

 とりあえず埋まったままにしておくのも可哀そうだと判断したフロウは、慎重に周囲の土を手で掘り、少し時間をかけてピーターを掘り出した。


「ベブッ」

 地面から抜け出せたからか、掘り出してもらえたからか、どこか嬉しそうにパタパタと長く垂れた耳を揺り動かしてみせるピーター。

(あ、ちょっとかわいい)

 トレイルラビット愛好家の第一歩を踏み出してしまったフロウである。




 一方の治癒術師が残念な一歩を踏み出していた頃、もう一方の治癒術師であるコウは、人型の身体であった黒い塵が消えてようやく勝利の喜びを噛みしめていた集団の喧騒を遠く感じながら、どこか暗い顔をしていた。


 無理もない。どこまで理解しているかは分からないが、少なからず自分が原因側として関係している今回の件において、何の役にも立てなかったと感じているのだから。

 念のために明言しておくと、本人が思うほど役立たずだったわけではない。例の狂的な行為により稼がれた時間がなければ、結末は今より悪いものに変わっていたことだろう。

 ただ、今回の件におけるコウの責任を引き合いに出した場合、とても償えているとは言い難いのも事実である。一人の責任ではないが、コウの逆恨みがなければ今回の件は起こりさえしなかったのだから。


 ふと何かに気付いたコウが、先ほどの激痛などで削られた生命力を回復させようと、いつも通りに最下級回復魔法を唱えた。

Aidエイド

 その効果はいつも通り。ほんの数日前にAランク相当の魔物と戦った時と違い、生命力が少ない時の症状である心理的圧迫感のようなものが軽減されたりしない。たかが最下級回復魔法にそんな効果などあるわけがないのだから当然である。長年、誰よりも使い続けてきたはずの魔法なのに、そんなところにまで不自然な現象が起きていたことに、今まで気付いていなかった。

 自分はどこまで愚かなのかと、コウは自嘲せずにはいられない。


 だから、せめてここでは間違えまいと、覚悟を決めたコウが口を開く。

「ロインさん――」

「――駄目だよコウくん」

 しかしその言葉は、最後まで言わせまいとするロインに物理的に止められる。

 そんな状況でもないのに自分の口を塞ぐロインの手の柔らかさを感じてドギマギしている思春期なコウの内心には気付かずに、真剣な声色のまま真面目な話を続けるロイン。


「パーティー解散なんてさせない。私には何が何だかさっぱり分かんないことだらけで、コウくんが何か失敗しちゃったんだって、それで自分のせいで大変なことになっちゃったんだって、そう思ってることくらいしか分かんないよ?」

 分かるわけがない。そもそも当事者であるコウ自身でさえほとんど理解していない。全てを理解している者がいるとすれば、それは【看破】の神眼を持つベンジャミンを置いて他にいない。それ以外の者にしてみれば、一端を理解しているだけでも充分と言えよう。


「他は何にも分かんない。だけどね、私は思ってるの」

 真剣さ一色だった声色にも、少しずつ他の色が滲み始める。

「……嫌だよ。コウくんがどんな失敗をしちゃったのか分かんないけど、だけど、私のこと見捨てないでよ……!」

 それはコウにしてみれば完全に予想外の言葉。むしろ自分こそが呆れられて、見限られて見捨てられるものだと思っていたのだから。


「これからよろしくって言ったじゃん。こちらこそって言ったじゃん。なのに私のこと見捨てないでよ。私をコウくんのこと見捨てるような人だと思わないでよ」

 コウの口を塞いでいたロインの手から力が抜けていく。今なら先ほどの言葉を続けることもできるだろう。しかし今のコウにはその続きを口にすることができない。

「失敗したなら一緒にやり直そうよ……弱いなら一緒に強くなろうよ……わだしたぢ、パーディーでじょう……?」


 嗚咽混じりに素直な思いを告げるロインを拒絶することなど、コウにはできない。

 ここでロインの都合の良い言葉を受け入れることは、恐らく甘えなのだろう。

 しかしそれを言うのであれば、ここでロインを拒絶することは、ただの独りよがりな自己満足ではないのか。罪悪感を軽くするための自傷行為にロインを巻き込むだけの、現実逃避ではないと言うのか。


 罰だ償いだと言うのであれば、被害者であるベンジャミン達の裁定に従えばいい。

 パーティーのとこであれば、当事者である二人で決めればいい。

 加害者だ罪人だと言うのであれば、他ならぬコウが独断で何もかもの決定権を持つことの方がおかしいのだから。

 自分はどこまで愚かなのかと、コウは自嘲せずにはいられない。


 幸か不幸か、今回の件により自分の目指すべき理想形は体験している。たとえこの先どれだけの努力を積み重ねたところで、体験した理想には届かないのかもしれない。いや、決して届きはしないだろう。

 それでもコウは、ようやく本当の意味での第一歩を踏み出すことができた。

 手段を選んで足踏みすることを努力とは言わない。求める結果のために手段を探り、進み続けなければ努力とは言わない。

 誰かを守れる者でありたいという願いを叶えるために、強い冒険者になることを。

 大切な仲間を全てから守り抜ける者になりたいという願いを叶えるために、最強の盾役になることを。


 なれるかどうかなど関係ない。目指さずにはいられない衝動のままに、シュジン・コウは細く険しく果てしない、最強の冒険者への道を歩み始める。

 届かぬ夢と知りながら。

賛否が(三対七くらいに)分かれそうな気もしますが、これでいきます。

いいじゃないですか、書きたいことを書いても。

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