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治癒術師の戦場

そして本日三話目。

 集団の先頭に立つコウは、受け入れられない現実を前に、身動き一つできずにいた。

 確かに昨日はベンジャミン一人に惨敗した。その事実は受け入れるしかない。

 だがしかし、事実と言うのであれば、ベンジャミン率いる《ラピッドステップ》がAランク討伐クエストに失敗したこともまた事実である。それも重傷を負ったという情報もあるのだから、たとえ劣る部分や足りない部分がコウにあるのだとしても、盾役を追放した判断が間違いだったということになるのではないか。


 そんな馬鹿なことを、コウは本気で考えていた。少なくとも先ほどまでは。

 だが気付いてしまえば理解せざるを得ない。仮にも最近まで《ラピッドステップ》に所属していたコウには見覚えがある。だからこそ集団の中で唯一その異常な事実にも気付けた。

 核となる魔石を持たない、異常個体の魔物であると。

 学者に言わせれば魔物とは別の存在として分類されるのだろうが、そんな面倒で細かい話など気にする余裕などコウにはない。


 気付いてしまった。再生能力以前にあれには魔石がないから、クエスト達成など初めから誰にもできはしないのだと。

 理解してしまった。コウに限らずどんな盾役を何人揃えたとしても、あの化物を倒すのに何の役にも立ちはしないのだと。

 恐怖してしまった。そこまで分かっているはずなのに分かる。それでも自分が戦線に向かえば何故か必ず負けはしないのだと。


 これだけはコウも最初から自覚している。コウ自身は攻撃力など皆無である。

 なのにあの化物を相手に何ができると言うのか。いや、確かに盾になることならコウにもできるだろう。むしろそれしか道はない。しかし先ほど理解したばかりである。盾役が何人いたところで意味はない。真に必要なのは決して壊されない最強の盾などではなく、再生しなくなるまで殺し続けられる最強の矛である。

 そんな規格外な矛など、この場には《ラピッドステップ》を置いて他にない。にも関わらず彼ら抜きでもコウさえいれば勝てると知っている。


 受け入れられない現実。

 受け入れるわけにはいかない現実。

 受け入れようとしても何かがそうさせてくれない現実。

「コウくん? どうしたのコウくん!?」

 心配してくれる真の仲間の声さえ遠く聞こえる。コウ自身の現実逃避だけでは説明がつかないほど執拗に、何かがコウを現実と向き合わせてくれない。あまりに強力で逆らうこともでき――


「逃げるな。流されるな。目を背けるな。一度でも治癒術師を自称したことがあるのなら、ほんの一瞬でも戦場から視線をそらそうとするな」

 そんな言葉と共に背後から伸びてきた手がコウの顔を両側から挟み込み、指がコウの目を無理やり見開かせる。

 その視線の先にある戦場には、三つの見慣れた姿。


「リーダーが言っていました。貴方が受けている干渉は強いけど、完全に洗脳されて支配されているわけではないと。だから今の貴方が現実を受け入れられないのだとすれば、干渉を逃げる口実にして、流れに逆らわず身を委ねて、目を背けようとしている弱さのせいだと」

 聞き慣れない声がコウに語りかける。


「コウくんは弱くなんかない! 何も知らないくせに勝手なこと言うな!」

 最近聞き慣れてきたロインの声が反論する。

 その言葉に賛同しなければならないと思うのに、何故かコウは一言も話せずにいる。


 そもそも復讐の神ザ=マァによる干渉の話などされたところで、コウが何を理解できるわけもない。サムエルやアナでさえ、今回の件で初めてベンジャミンから教えられた話である。いくら干渉を受けている張本人とは言え、コウが自力で辿り着ける話ではない。

 しかし、張本人だからこそ自身の意思だけではない何かを感じてもいる。だからこそコウにはその言葉を聞き流すことができない。


「弱いですよ。だって――今もこうして、自分で言い返せずにいるじゃないですか」

 言い返したいとも思うのに、コウは何を言うこともできない。

「弱いから言い返せないんですよね? 図星だから言い返しようがないんですよね?」

 言い返せない。その声の言う通りだから。

 あの日、追放された日にも感じた。自分の弱さが悔しいと。どうして今まで忘れていたのか不思議なほどに、強く激しい悔しさを感じていた。


【モ゛ウ゛聞゛ク゛ナ゛。聞゛イ゛テ゛ハ゛ナ゛ラ゛ヌ゛】

 錆び付いたような濁った金切り声が、コウの頭の中に響いた。

 心地よく思考を支配されて誘導されるような、気持ち悪い感覚に襲われる。

 逃げ込めば、楽になれるだろう。

 流されれば、楽でいられるだろう。

 目を背ければ、苦しまずに済むだろう。


 だとしても、コウは耳を塞ごうとは思えない。思わない。

「違う! だって、だってコウくんは――」

 ここで耳を塞いでしまえば、隣で必死に反論してくれるロインの言葉まで、二度と届かなくなる予感がするから。


「リーダーが言っていました」

「そればっかり! コウくんを追放した人が言った悪口が何だっていうのよ!」

 ここまで騒ぎ続ければ、嫌でも周囲の視線が集まる。

 騒ぎの中心で視線を無視しながら、それでも言葉だけは聞き逃すまいと耳を立てる。

【聞゛イ゛テ゛ハ゛ナ゛ラ゛ヌ゛。聞゛イ゛テ゛ハ゛ナ゛ラ゛ヌ゛ノ゛ダ゛】

 その錆びた金切り声だけを聞き流しながら。


 そしてついに、コウは致命的な言葉を聞いてしまう。

「貴方が自分の弱さに追い込まれた時に見せる、誰かを守り救えるものでありたいと焦がれる狂的なまでの衝動だけは、一種の才能として活かせられるものだと認めていたと」

 その言葉を聞いて、コウは膝から崩れ落ちた。コウは愚かだが割と馬鹿ではない。だから気付いた。今さら気付いてしまった。


 ベンジャミンに認めさせる? 何と馬鹿馬鹿しいことを考えていたのか。最初からコウの固有能力の活かし方とその将来性を見抜いて、誰よりも早く誰よりも高く評価してくれていた相手なのに。

 最下級回復魔法しか使えないのに治癒術師を名乗ることに固執して、言葉足らずながら示された盾役としての道を進むことを嫌った。コウの方こそベンジャミンの期待に応えず裏切ったのに。

 それなのに今さら何を認めてもらえると言うのか。ここに来て昨日のベンジャミンの嫌味がコウの胸に突き刺さる。

 ようやく気付けておめでとう。本当にようやくである。おめでたい頭である。現実を知る者からすれば、馬鹿らしくて話にならない。


 コウはただ、足りなかっただけである。


 生まれ持つ魔力量。

 武術や魔術の才能。

 そして全人類が生まれながらに必ず一つだけ与えられている力、固有能力。

 それらのどれでもなく、辿り着きたい場所へ続く道を探し、進み続ける必死さが。


「……そう、だった、んですね……」

「コウくん? ねぇ大丈夫なのコウくん!?」

 先ほどのケンカ腰な声とは違う、心配してくれる優しい声。

 その声が届いたから、現実を受け入れて重い身体になけなしの力を込める。

 せめて今だけは、ロインの前では情けない姿を見せたくはないと。


「大丈夫ですよ。弱さを受け入れて、その上で立ち上がれるなら――強くなれますから」

 背後から聞こえたその声も、今だけは少し優しい声色をしている気がした。


「さて、そろそろボクも合流しますか。幸いまだ何も起きていないけど、何も起きてほしくはないけど、何が起きてもどうにかしてやるんだって決めましたし」

 そう言いながら、声の主はコウの背後から視線の先にある戦場へ向かう。

 周囲の視線を無視して耳を立てていたコウは、この時になって初めて気付いた。コウの背後にいたにも関わらず、その人物の視線を感じてはいなかったことに。あの戦場で何か起きてしまった時に、すぐにでも駆けつけられるように。


「君は、いったい……」

「ボクですか? ただの治癒術師、フロウ・ビアトリクスです。今は《ラピッドステップ》の一員ですので、一応お見知りおきを」

 声色からして苦笑しているのだろうが、やはり視線は戦場から外れないので、その表情はコウに限らず誰にも見えはしない。

 それだけ言うと、フロウはしっかりした足取りで――あるように見せてはいるが、見る者が見れば震えを隠しきれていない様子で――迷いなく戦場へと歩を進める。


 フロウの、コウの、誰かの視線の先では、見るからに再生速度が落ちた化物が一つ、また一つと首を落とされる姿があった。

もう書き溜め分はありません。

しかしまだ決着しない。

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