治癒術師の葛藤
シュジン・コウの内心は、その場の誰より様々な感情が入り乱れ、荒れ狂っていた。
自分の本当の力を知ったはずなのに容易く突破された現実への、屈辱。
最下級魔法しか使えない自分と魔導師の称号持ちとの才能の差への、嫉妬。
後ろや横から見ていたのに見えていなかった力への、羨望。
大勢の前で惨めな姿を晒されたことへの、復讐心。
以前ロインと倒したAランク相当の魔物との戦いとの差異への、違和感。
かつては尊敬していた魔導師の強さが健在であることへの、安堵。
結局は才能で全てが決定してしまうこの世界への、憎悪。
それ以外にも様々な感情が入り乱れ、荒れ狂い、混沌とする心。
真の仲間であれば、正しい方向へ導けたのかもしれない。
だが人の心など気にも留めない復讐の神は、正否など問わず行先を押し付けるのみ。
その行先に待ち受けるものもまた、気にも留めずに。
(ボクはこの先も、この人を治し続けられるんだろうか)
前を歩く三つの人影。その内の一つを見つめながら、フロウは思い悩んでいた。
人並み外れた、いや人の道を外れたベンジャミンの戦いを見て、治癒術師である自分の立場ですべきことは何かを考えていた。
「この後どうする?」
「タビタさんのところで消耗品の補充だな。魔力ポーションが尽きたし」
「トムの野郎がいたら迷わず簀巻きにすっけど大丈夫か?」
「大丈夫なわけあるか。止めろ」
知ってか知らずか軽い調子で話しながら前を歩く三人。そこへフロウは悩んだまま、考えたまま、迷いながらも声をかける。
「その買い出し、アナさんとエリーちゃんの二人で行ってもらえませんか?」
「あらあら聞きましたアナ姐さん」
「二人で何する気なんだか」
「茶化さないで下さい。真面目な話なんです」
フロウの真剣な声色と表情、そして視線の先に気付いた二人は、ふざけた調子は消さないままにリーダーから離れるように一歩踏み出す。
「それじゃあこっちはお言葉に甘えて、アナ姐さんと買い物デートしてくるから」
「そっちはそっちで好きにしな」
二人は軽く手を振りながらそう言うと、背を向けて歩き出した。
……即座に腕を組んで。
「それで、俺はどこに、何に付き合えばいいんだ?」
「場所はどこでも構いませんよ? 腕さえ出してもらえるなら」
フロウの言葉により一瞬、珍しくベンジャミンが虚を突かれたような表情を浮かべる。
「……優秀な奴め」
「他ならぬ貴方のお墨付きですから」
その時だけどこか楽しそうな表情を浮かべたフロウに毒気を抜かれたのか、ベンジャミンも観念したようで少し投げやりに答える。
「とりあえず宿に戻るか。誰かに見られたら面倒だ」
宿の一室に若者が二人きり。誤解を招きそうな表現したところで、この空間に色気は皆無である現実は変わらない。
「……よくこの状態で顔に出さずにいられましたね」
ロインの短剣を受けた腕にはくっきりと青あざができており、骨も折れてまではいないようだが確実にヒビが入っている。圧勝を印象付けるために弱化魔法を使わずに戦士職の一撃を受けたのだから当然のことである。いくらローブに防刃性能を付与したところで、短剣サイズの金属塊を叩き込まれた分のダメージが防げるわけではない。
「この程度の負傷はよくあることだからな」
そう答えるベンジャミンの表情は、あまりにも平然としている。
治癒術師不在のパーティーで囮役の前衛として戦いながら、死亡どころか欠損すらない最強の冒険者ベンジャミン・ポター。
しかし欠損すらないということは負傷さえないということではない。そもそも戦士職ではなく、盾も持たない軽装で、自分に強化魔法をかけることができない支援魔導師が、無傷でいられるような戦場など存在しない。
軍属にでもなればあらゆる戦局を塗りつぶせる戦略級の支援魔導師とて人の子。純粋な身体能力は戦士職で言えばDランク程度しかない。それではいかなる戦術をもってしても負傷は免れない。むしろ生きているだけでも充分に偉業、いや異常である。
「よくあったら駄目なんです」
だからフロウは意を決して異を唱える。必要とあらば仲間を追放するベンジャミンを相手に臆することなく。
「ボクは治癒術師です。傷付いた仲間を治すのがボクの仕事です」
優しさと憤りが絡み合う、何とも奇妙な視線でベンジャミンを見据える。
「治癒術師がいるから傷付いても構わないと、仲間に思わせることじゃないんです」
支援魔法の効果を加味すれば誰よりも守りが薄く危険なベンジャミンが、誰よりも死ぬ危険性の高い囮役を担うという異常。
その異常を前提としているベンジャミンのあり方こそが、何よりも異常なのである。
「だからもう、自分の命をないがしろにするような戦い方は止めて下さい。それができないなら――ボクはこのパーティーを辞めます」
「そうか。残念だが、俺も今さら止めるわけにはいかないんでな」
お互いに視線はそらさない。意見を曲げる気も、引く気もあるわけがない。
視線と意見が正面から衝突する。そしてどちらかが、あるいは二人ともが決定的な言葉を口にしようと小さく息を吸い――
「ベブゥ」
――肺の中の空気ごと気が抜けてしまう。
「……ははっ。お前は本当に……」
あまりにも小さすぎる声で呟かれた言葉は、ベンジャミン自身にも届かない。
しかし呟いてフード越しにウサギを一撫でしたその表情は、先ほどまでとは違い険しさも思いつめた様子もない。
「今さら止められないのは変わらないけど、もう少しだけ待ってくれ」
「へっ?」
「Sランクにはもうなった。後は時間の問題なんだ。その時が来さえすれば、もう俺が前に出て囮役をする必要もなくなるから」
「……あっ、そうなんですね! 新しく誰かが加わるとかそういうことですか? それならしばらくは様子見ってことにしておきますね!」
「あぁ、そうしてくれ」
宿の一室にて二人きりで見つめ合う若者、とウサギが一匹。再度誤解を招きそうな表現したところで、やはり色気は遠い。
――場所は移り、例の化物と戦った大沼では、一つの異変が生じていた。
急速に再集結を終えた例の化物が、再誕の産声を上げていたのである。




