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第1章 2 歌声



 由希と共に教室に入った凛々花。黒板の日付のところには日直の名前が記してあることになっているが、それが今日は、“真田”と書いてある。



「凛々花、今日日直だね。帰り待っていようか?」



 日直の仕事は1日の記録を担任に提出することや、宿題の回収など、他にも様々で放課後もすぐには帰れないのである。



「いや、先に帰ってていいよ」



 時間かかるから、とはにかむ凛々花。



「わかった。じゃあ、部活終わったら先に帰ってるから」



「うん」



 由希は、ソフトボール部に入っていてキャプテンを務めている。彼女のルックスが素晴らしいこともあって、男子生徒が放っておくはずがない。天は二物を与えず。そんなことわざを嘲笑うように由希は学年トップクラスの美女の座に君臨している。

 しかし、当の本人は色恋沙汰に興味がなく、サッカー部、ラグビー部、野球部等の数ある運動部の主将たちが総当たり戦のような形で告白しているらしい。

 そして華々しく散っていくのだとか。

 

 そんな学年トップクラス美少女の由希にも苦手なことがある。



「凛々花、中学英語の範囲の内容全部教えて」



「は……全部?」



 天は由希に、流石に“三物”までは与えなかったらしい。

 由希は勉強がとにかく苦手だ。スポーツにどハマりした中学の頃から成績は右肩下がり。


テスト成績の紙一枚で、親を号泣させたこともあると言う。



「由希、ほんとよくここ受かったね」



「私、スポーツ推薦だから」



「あ、そっかそっか」



彼女にはスポーツがあった。彼女の実力であればウチのスポーツ推薦くらい楽に取れるんだった、と凛々花は改めて痛感する。



「えっと………ジス イズ テヘ ハイグフエスト マウンテン… これは、ハイグフエスト山です。あ、てへ忘れてた」



「違うでしょ!?本気で言ってんの!?」



“This is the highest mountain.”が読めない由希。

 困惑する彼女に愛らしさを感じつつも、先のことを思えば不安になるばかりだった。



「“the”はテヘとは読みません!」



「ザってこれ?」



「他にも直したいところはあるけど、まずはそこからだね」



 重傷の一言に尽きる。できるだけ効率よくどうにかしたいものの、中学範囲がわかっていないと高校範囲など以ての外である。だから楽をせずに地道にやるしかない。

 彼女の場合は中学範囲どうこう以前の問題のような気がしてきた。

 以前凛々花が彼女の家に勉強を教えに行ったとき、たまたま来ていた彼女の親戚が口をそろえて、「由希はルックスがよくて良かった」と言う気持ちも理解できた凛々花だった。



「私が中学生だった頃より難しくなったんだね!」



「変わってませんよ」



 難しいから凛々花に聞いてよかった、とクスクス笑う由希。

 このレベルだったら私じゃなくても良いんじゃないの、という言葉を飲み込んで、素直に自分に頼ってくれた親友の方に凛々花は向き直る。



「私が中学の時に使ってた参考書、明日持ってくるよ。それで勉強しな!」



 めちゃめちゃわかりやすいから、と念を押す。自分に勉学の教えを乞うてきている時点で、彼女が参考書や問題集を一人で黙々とできない人間なのは分かる。

 一人でできるようにするためにも、まずは自分で読んでもらう必要があると、凛々花は判断した。それでも分からないところは教えるとだけ伝えて、凛々花は机に突っ伏す。


 自分の腕の中に顔をうずめると、なんだかどっと疲れが押し寄せた。

 昨晩はいつもに比べて、しっかり寝ているはずだ。だが睡魔はどこからともなく襲ってくる。ふとした時に体にまとわりついて、凛々花は重力に逆らえなくなる。

 目を瞑って、少しだけでも寝ようかと思ったその時、チャイムがなって先生が教室に入ってきた。

 窓際や廊下で話していた生徒たちも早足で自分の席に戻っていき、先生の声が今日も響く。












 教室からはすっかり人気が消えて、凛々花だけが日直の事務作業で居残っている。 閑静な教室にはシャープペンシルのペン先が紙を叩く鈍い音がよく響く。


 日誌に今日の授業の様子など、様々な出来事を書き込んでいく。出来るだけ早く終わらせて、家に帰りたかった。BSに投稿する歌のレコーディングや、由希に渡す参考書もきっと押入れの奥に眠っているのだから。もちろん、テスト勉強も。



 家に帰ったら何を歌おうか。


 最近できるようになったファルセットでもって、音域の高い歌でも歌ってみようか。



 そんなことを考えているうちに歌いたくなってくる。なんとなしに歌いたい衝動に駆られて、体がむず痒くなる。わかっていても考えてしまう。日誌を書いていた手がとまってしまう。


 ふと周りを見回しても誰もいない。



『ランニング!ラスト10周!!』



 突然、窓の外から飛び込んできた罵声に凛々花の華奢な肩が小さく跳ねる。驚いてしばらくすると、自分の心臓の音がいつもよりも大きく聞こえた。

 小さなため息と同時に、体の力が抜けて背もたれにもたれかかる。

 外には運動部員たちの大声が響いているし、校舎内に残っている生徒はほとんどいない。少しだけ、ほんの少しだけならば口ずさむ程度、誰にも聞こえないはずだ。刹那、小さくブレス。



「────────」



 教室の中にだけ聞こえるような音量。口ずさんでいるうちに、緊張が和らぎ喉に込められた余計な力が抜けていく。少しハスキーな優しい声は、少しずつ西に傾いていく日差しにさらわれて教室の中を埋め尽くす。

 ハーモニーの奏でられた教室のなかは空気が洗われていくようだった。まるで、学校からそこだけが切り離され、まったくの別世界にいるようで────






ガラッ






「っ!」





 急に開いたドアに、凛々花は思わず口をつぐむ。

 開け放されたのドアのところを見ると、少し茶髪の混じった髪の男子生徒が立っていた。いきなりの登場に凛々花も困惑するばかりだった。



「えっと…その、聞こえてました…よね」



ドアの前に立ち尽くす彼は、そのままの姿勢で言った。



「今の、先輩の歌なんですね」



「やっぱり…聞こえてたんだ」



 少しなら聞こえないはずだと思った数分前の自分を叱り飛ばしたい気分だった。一人で歌っていたところを誰かに見られてしまうなんて、最悪な気分だった。



「“先輩”…ってことは、高一なの?」



 凛々花は、自分のことを先輩と呼んだ彼が高校一年生の男子生徒だと思い、確認を取ろうと試みた。

 その質問に彼は答えることなく、まっすぐ凛々花の元へ近づいてくる。そして机の横で立ち止まって、凛々花をじっと見つめた。



「えっと……な、なんですか?」



 ハッと気づいたように彼は悲しそうな顔をする。そしてぎゅっと目を瞑る。直後、覚悟を決めたような、なにかすっきりしたように穏やかな表情で言う。




「好きです」



「は?」



 唐突の告白に、凛々花は声が裏返ってしまう。

 そんな凛々花を微笑みながら見て詰めている彼は、凛々花よりも頭一つくらい背が高い。

 凛々花は必死で記憶の底という底を掘り返し、彼と面識がないことを確認する。

 

 そこから、彼が“近所に引っ越してきた男子高校生”だということを知るまでに、時間はかからなかった。





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