05 我儘な居候
「ん……。もう朝か。いや、昼?」
むくりと布団から起き上がったロゼッタは覚束無い足取りでリビングに向かい、カーテンを開けて光を部屋に取り込むといつもと同じ様にコップに牛乳を注いで飲み干す。
休日だからゆっくり寝てしまったなと時計を見てロゼッタは驚いた。
そしてソファーに丸くなって眠る白い物体を見てそれの存在を思い出す。
「……ああ。そう言えば居たわ」
昨日ミアの森で迷子になったロゼッタを助ける代わりに泊めてくれと交換条件を出され、仕方なく匿うことになったライオン。
無事ハーフェンについた頃には日が暮れていてかなりの時間を森に費やしてたらしい。
薄汚れたライオンを自分の家に放り投げ、風呂に入っているようにだけ告げて職場に魔物から採取したものを置きに行ったのだが、遅かったなと何食わぬ顔でロゼッタを迎えたベックに文句を言ってしまったのは言うまでもない。全ての元凶はあのライオンではなく、ベックなのだから。
その後家に帰れば何故かまた獣化して自分のソファーのようにぐーすか寝ているライオン。薄汚れていた身体は綺麗に洗い流されて見間違えるほど真っ白い毛並みになっていたが、それよりも床とソファーがびしょびしょで酷い有り様になっていることにロゼッタは頭を抱えたのだった。
起きたら全てなかった事になっていればいいと夕飯も食べずにベッドで泥のように眠った。
寝過ぎて怠いので頭が働かずに忘れかけていたロゼッタはライオンを見て現実を直視した。
「はぁ……。それにしてもこのライオン寝過ぎでしょ。ねぇ、ちょっと! 起きなさいよ!」
ベシベシと胴体を叩くが一向に起きる気配がない。尻尾がやたらと左右に大きく触れている。これは確か不機嫌の合図だったとロゼッタは以前読んだ『しっぽで解る猫の気持ち』という本を思い出す。
尤も、彼は猫ではなくてライオンであるが、大差はないだろう。
「おーきーろー!」
「……うるせぇ。もう起きてる」
「それのどこが起きてるのよ! 目を瞑ってるじゃない」
「…………………」
「…………寝るな! ソファーを占領するな! そこは私の特等席なんだから。貴方は床で充分でしょ! どいて!」
グイグイ押してソファーからどかそうとするがビクともしない。ロゼッタとライオンの攻防が暫し続いたが、ひょいっとライオンがいきなり動いたせいでロゼッタはソファーに顔面からダイブした。
「マヌケだな」
「五月蝿い……。貴方が突然どいたからっ」
「どけと言ったのはお前だ。おい女、俺は腹が減った」
「偉そうに!」
居候の癖に傲慢な態度で飯を寄越せと要求して来るライオンにイライラが募る。
しかも先程牛乳を取り出した時は気が付かなかったが、冷蔵庫の中に入っていた肉類が全て食い漁られてなくなっていたのだ。
犯人は勿論リビングでバタンと横になってご飯が出来るのを待っているふてぶてしいライオンである。
「…………何だこれは」
「町の獣人から頂いた猫缶と子猫用のミルク」
「女、ふざけてるのか。肉とマタタビビールを出せ」
「猫缶は食べないのね。じゃあ鰹節かけたねこまんま。どっかの誰かさんがお肉を食べちゃったせいでお肉はありません。それと私は人間なのでマタタビビールは端から買いません」
「………………チッ」
「また舌打ちした」
ライオンは仕方なくといった感じで鰹節がゆらゆらとご飯の上で躍っているねこまんまを食べた。
ちなみにロゼッタの朝食兼昼食はサラダと目玉焼きである。
「そう言えばさ、名前は何て言うの?」
「ハッ。お前みたいなのに名乗るわけねぇだろ」
「じゃあ勝手に名前付けるから。今から貴方はシロね」
「噛み殺されてぇか?」
「噛み殺される前に焼き殺す」
「………………チッ」
教えてくれないから名前を付けたのに何故噛み殺されなければならないんだとロゼッタはむしゃむしゃとサラダを頬張りながら思った。
「シロ」
「…………」
「シロ」
「………………」
「シ〜ロ〜」
「………………なんだよ。つーか、女。俺の腹を勝手に枕にするな」
「あ、やっと反応してくれた。ねぇ、シロはいつまで私の家に居候するつもり?」
ご飯も食べ終わり、またソファーで丸くなったシロ。
そんなシロのお腹をロゼッタは枕にして寝っ転がる。もふもふしていて中々性能の良い枕だ。
少しごわついている箇所もあったので後でこっそりブラッシングしようと心の中で決意したロゼッタ。
「家はボロくて小さいし、目の前の女は五月蝿くて肉も満足に喰えねぇが何故か居心地は良い。だから暫くは居てやってもいい」
「……不満だらけなら早く虎のところに帰れば。後さ、私にはちゃんとロゼッタって名前があるの。メス呼ばわりしないで」
「お前なんて女で充分だ」
「シロ可愛くない」
「当たり前だ。俺は恰好いいからな」
「うわ、ナルシー」
獣人の恰好いい基準が人間であるロゼッタにはイマイチよく分からないが、毛並みの良い真っ白な胴体に艶やかな鬣、凛々しい目付きに立派な髭と威厳ある風貌はしている。
例えそれが獣人界の中でイケメンの部類に入るとしても、自ら恰好いい宣言をしているのはどうかと思う。
「あ、シロってばめちゃくちゃ爪伸びてる。危ない。主に私が。切らせて」
「はぁ?……こんぐらい普通だろ」
「やだ。それにそんな鋭利な爪で家に居られて勝手に爪とぎされたら困る」
「………………」
「ちょっと…………まさかシロ。…………あーーー!! ソファーの肘掛けが!! いつやったの?! ずっと隠してたでしょ!」
「…………爪の引っ掛かりが中々良かったぞ」
「そんなことは聞いてない!!」
ぷにぷにと肉球を押して感触を楽しんでいたロゼッタだったが、シャキーンと出てきた爪に色々と不安事が頭を過ぎった。
ベックが床を爪でガリガリしていたのを思い出し、あんな風にこの家の床もされたらたまったものじゃない。
早めに対処せねばとロゼッタが言えば何だか目をそらして明後日の方向を向くシロ。
ロゼッタは一歩遅かったのだ。シロは既に昨日の風呂上りに気分転換にとソファーで爪を研いでいた。
「…………斬る。問答無用で斬る」
「おいやめろ。爪は俺等にとって大切なんだぞ」
「程よい長さにするだけだよ。大人しくしなさい! でないと追い出すから。警察に突き出して虎と連絡取ってもらってシロ引き取ってもらうから」
「そんな脅し聞かんぞ。そもそもお前はあの虎を知らない」
「知らないけど、きっと捜索願いとか出ているんでしょ。そしたら快くシロを差し出すから」
「酷ぇ女だな」
「なんとでも言えばいい。さぁ、潔く手を出して。まずは前足の右」
はいお手とロゼッタはシロに手の平を向ける。前と同じ様にギロリと睨んで来たが、観念したらしく前足の右側をロゼッタの手に乗っけた。
尻尾がこの上ないくらい激しく触れているがそれに気付かない振りをしてパチン、パチンと伸び過ぎた爪を丁度良い長さに切っていく。
「はい。出来た」
「俺の爪が……」
シロはだらんと尻尾を下げてティッシュの上に無残になった自分の爪を見ている。
「もうソファーで爪とぎしないでよね。壁とか、ベッド、クッション、カーテンも駄目だから」
「じゃあ何処で爪を研げばいいんだ」
「そう言えば獣人達から貰った良いのがあった。はい、これ」
ロゼッタはハーフェンに来た時に獣人から歓迎のしるしとして貰った爪とぎを魔法のポシェットから取り出してシロに渡す。
「おい女、これダンボールの爪とぎだぞ。爪とぎと言ったら天然素材の高級杉丸太爪とぎだ」
「文句言うな、居候の分際で」
「………………チッ」
「また舌打ちか!」
ほんと我儘なライオンだとロゼッタはシロの切った爪をティッシュに包んでゴミ箱に力強く放り投げる。
ガリガリガリガリガリ……。
ガリガリガリガリガリガリガリ……。
「あー! ガリガリ五月蝿い! いつまで爪を研げば気が済むの?! もう30分は研いでる!」
「高級杉丸太爪とぎじゃねぇから時間が掛かるんだよ」
ロゼッタは医療系の本を読みながら午後のひとときを満喫しようとしているのにシロの爪とぎの音が五月蝿すぎて本に集中出来ない。
「これで遊んでて」
「……何だこれは」
「見て分かるでしょ。猫じゃらし」
「俺は猫じゃない」
「猫じゃらしを追って目が左右に動いてるけど」
「……本能だ」
猫じゃらしを片手で左右に振ってもう片方の手で器用に本を読むロゼッタ。ちらっと視線をシロにやると動く猫じゃらしに釘付けになっていた。
「ぐっ。こんなものに惑わされてたまるか」
「ほれほれー」
必死に自分の前足を戒めているシロが何だか面白くてロゼッタは本をテーブルに置き、本格的に彼を猫じゃらしで構い始めた。
結局ロゼッタの休日は買出し以外の時間を殆どシロに費やして終わるのだった。