04 傷だらけのライオン
「風よ、切り裂け! ウィンドカッター!」
「上出来だ」
「いや、おかしいですって! なんで森で魔狩りしてるんですか。私達は獣医ですよ!」
「副業だ」
「はぁ?!」
ロゼッタの魔術で倒れた魔物を確認したベックがハイパーウルフと呼ばれているらしい魔物達の毛皮を剥いでいるのを見て、彼女はおかしいだろうと彼に抗議した。
そもそも今日はつい最近ロゼッタが獣人達が病院に来てくれないならこちらから診に行って本当に元気か確かめてやると勝手に始めた訪問診療にベックも連れていく予定だったのだ。
それがこうしてハーフェンの近くにあるミアの森で二人は魔物相手に奮闘していた。
理由は至極簡単、ベックのせいである。
ロゼッタの訪問診療にはベックのコミュニケーション能力を上げる目的もあった。ずっとロゼッタを相手にしか挨拶練習をしないベックに訪問診療と言う名の獣人達との触れ合いの場を設けたつもりだった。
しかしながらベックはまだ早いとばかり繰り返し言って訪問診療に全くついてこない。
流石に痺れを切らし始めたロゼッタ。今日こそ訪問診療に連れていくと職場に向かいながら思っていたのだが、出勤して早々ベックから一緒に森に来いと先手を打たれてしまった。
そうして彼から詳しいことは何も告げられずにミアの森──別名、迷子の森と称されている森にやって来たのだ。
草木で生い茂り、陽の光が遮断されて薄暗い。同じ景色ばかりが続き、迷ってしまう者が多いことからその別名がついたらしいのだが、ベックは慣れた様子でどんどん進んで行く。
魔物が出れば自分の爪と持参してきたオノでバッサバッサと切り裂くベック。そしてただ彼の後を追うロゼッタ。
そんな時間が暫く続いた時、群れで現れたハイパーウルフに流石にベックだけではとロゼッタが応戦し、今に至る。
「副業ってどういうことですか!」
「副業は副業だ。魔物を倒して毛皮とか、爪や肉を売るんだよ」
「絶対そっちのが本業ですよね! ベックさん凄い生き生きしてますもん」
「まぁ楽しいわな」
「やっぱり!」
ベックはいつも森に行く時は何だか楽しそうであったし、スッキリしたような顔で帰って来ていた。
てっきり精神的な癒しを求めて森林浴でもしに行っているかと思っていたロゼッタ。
しかし彼女の予想は違った。彼は癒しより刺激を求めに森へと足を運んでいたようだ。
獣医より魔狩りのほうが本業だろうと彼女は思った。
「よし、さっきのお前の対応を見る限り一人でも平気そうだな」
「え……」
「俺は右に行くからお前はこのまま真っ直ぐ進め。ハイパーウルフとかトレントを倒して金になりそうなもんを剥ぎ取って来い。適当に集まったら職場に置いて今日は帰っていい」
「ちょ……」
じゃあそういう事でとベックはロゼッタを残して一人で進んで行ってしまった。彼に伸ばされたロゼッタの腕が虚しく下がる。
「えぇぇー?! 嘘でしょ! 何考えてるのあのおっさん熊。私この森に来たの今日が初めてなんですけど。しかもこれは明らかに獣医の仕事じゃないでしょ!」
ロゼッタが不満を垂れ流しても誰も聞いてくれる者はいない。既にベックは草木を掻き分けて奥に消えた。聞こえてくるのは魔物達の奇声と葉が揺れる音だけ。
「よし、早いとこ魔物を倒して帰ろう。こんな暗い森に長くいたくない。大丈夫だ。ここまで真っ直ぐ進んで来たし、このまま真っ直ぐ進むだけなら帰りも心配なく帰れる筈」
そう自分に言い聞かせて先に進むロゼッタ。変に順能力が高い彼女は今すべき事を判断してひらすら魔物を狩った。
「雷雲よ、我が剣となりて敵を貫け! サンダーソード!」
「クギャー!!」
「水流よ、飲み込め! スプラッシュ!」
「グルルゥー!!」
「凍てつく氷の槍よ、降り注げ! フリーズランサー!」
「ガァァァ!!」
「猛き焔、焼き尽くせ! エクスプロード!……やばっ! 山火事になるっ。加減間違えた」
ロゼッタはまるで鬱憤を晴らすかのように魔術を放つ。危うく山火事になりそうになったので急いで水属性の魔術を使い鎮火した。
王立魔術学校の魔術科の生徒も驚く程攻撃魔術に長けていた彼女によって魔物達は次々に倒れる。
粗方お金になりそうな物を採取し、魔法のポシェットにしまい終えた頃には魔物が怯えてロゼッタに近付かなくなっていた。
「もうこれ以上進んでも敵が全然寄って来ないし、帰ろうかな。……ん? 何だろ。……ライオン? うわ、すっごい傷」
自分に敵意のない魔物は倒さず果敢に襲いかかってくるものにだけ容赦のない魔術をぶっぱなしていたせいで敵意のある魔物が消えた。
もういいだろうと考えていたその時、毛が灰色に薄汚れ、血を流した大きなライオンが横たわっていた。
「魔物なのかな? この森の主とか? それともただの動物?」
「…………っ。うるせぇ……」
「うわ! 喋った?! え? 喋れるってことは獣人? どう見ても普通の動物だけど。喋る不思議珍ライオンだ」
「……だから、うるせぇって言ってんだ……ろ。っ傷に響く」
明らかにロゼッタが知っている獣人ではない。服も着ていないし、恐らく四足歩行。目の前で傷ついているライオンはオルレアン王国のサーカス団にいるような普通のライオンにしか見えない。違うところと言えば人語を話すくらいである。
不思議に思いながら観察していたロゼッタだったが、荒い息を繰り返しているライオンを見て我に返る。
「待ってて、直ぐ治癒術を──……」
「……こんな傷舐めて……寝とけば……治るっ。さっさと去れ」
「舐めて寝れば治る?! こんなダラダラと血を垂れ流して息も苦しそうで今にも死にそうじゃない!」
ロゼッタはライオンにギロリと銀色の目を向けられて一瞬怯むが、目の前で傷ついて苦しんでるのを放っておける程冷たい性格をしていない。
ましてや彼女の職業は獣医である。今助けなくていつ助けるんだとライオンの患部に手を翳す。
「おい、何を──」
「聖なる息吹をここに、キュア!」
ロゼッタが詠唱するとライオンは淡い光に包まれてみるみるうちに傷が癒えていった。彼女に治癒術をかけられたライオンは自身の傷が一瞬にして消えたのに驚く。
「……お前、治癒術が使えるのか。それにしてもこんな直ぐに治るなんて……治癒術師か?」
「人間は治せない治癒術師……かな? そのせいでむこうでは治癒術師なんて名乗れなかったけど。訳あって今は獣医やってる者です」
「随分変わった治癒術師だな。まぁ、お前のことはどうでもいい」
「ちょっと、お礼くらい言ったらどうなの?」
「……ハッ。俺は別に治してくれなんて頼んでない」
「それはそうだけど!」
お礼を言うどころか鼻で笑ってぐーっと猫のあくびのポーズで伸びをしているライオンにロゼッタはムカついた。
「丁度いい。おい女、お前暫く俺を匿え。家に泊めろ」
「はぁ?……図々しいんですけど。そもそも貴方何なの? 獣人なの?」
「見ての通り獣人だ」
「ただのライオンじゃない」
「……ああ、そうか、忘れてた。ちょっと待ってろ。これでどうだ?」
ロゼッタが治癒術をかけた時と同じ様に光に包まれたライオンは四足歩行から二足歩行に変わり、やたらと豪華な服を着た獣人になっていた。
「……変身? 魔術?」
「獣人は魔力があれば誰でも獣化出来るぞ。まぁ、獣人は人間と違って魔力を持っていない者が多いがな。ってことで泊めろ」
「理由になってないから。匿えって……何かに追われてるの?」
「ああ。怒らせると恐ろしい虎に追われている」
「……要は怒らせるような事をしたと」
「恐らくな。いや、絶対だな」
腕を組んでうんうんと頷くライオン。一体どんな悪さをしたのかは知らないが、怒らせる事をした彼が悪い。
「どう考えても貴方が悪いじゃない。早いとこ帰ってその虎に謝りなさい」
「嫌だ。だから暫く泊めろ」
「私の知ったことじゃないから。帰る」
「喰いちぎるぞ」
「喰いちぎられる前に丸焼きにしてやるから」
「…………」
「ついてこないでってば」
「じゃあ泊めろ」
「結局それはついてくるってことじゃない!」
ロゼッタの後をついてくるライオンは何度も自分の家に帰れと言っているのに聞かない。
イライラしてライオンを巻く為に歩いていたら迷ってしまった。
「ちょっと、貴方のせいで迷ったんだけど!」
「自業自得だ。俺を巻こうとしたんだろ。助けてやってもいい。だから泊めろ」
「…………本当にハーフェンまでの道分かるの?」
「ああ。鼻と目は利く。それにこの森は前に数回来たことがある」
このままうろちょろしていても余計迷子になりそうだったのでロゼッタは渋々とライオンの交換条件に乗ることにした。
「……分かった。でも人に頼む時は礼儀ってものがあるでしょ」
「泊めてくれ」
「…………」
「泊メテクダサイ」
「……棒読みだけど良しとしよう」
「……チッ」
「今舌打ちしたでしよ!!」
「……してねぇよ」
「絶対した!!」
「ほら、さっさとついて来い」
「ムカつく。何様なの?!」
「ハッ。俺様だ」
こんな礼儀知らずの俺様暴君を家に泊めるなんて早まったかも知れないとロゼッタは思ったが、後の祭りである。
ベック(♂)
30歳。獣人。
右目にかけて3本線の引っ掻き傷がある雄熊。
職業は獣医師兼魔狩り(本人曰く副業)
『森のくまさん病院』で働くロゼッタの上司。
ワイルドで恐ろしい顔付きと図体をしているが、メンタルがとても弱い。
コミュニケーション能力が乏しい。
顔に似合わず可愛い丸文字を書く。
好物は蜂蜜ジャーキー。