10 ラベットで迎えた初めての朝
ロゼッタは広くて豪華な客室に案内されて落ち着かずに寝れるか心配していたが、それは杞憂に終わった。四日間まともにベッドで寝ていなかったからなのか、枕が合わなくて寝られないなんてこともなく、高さと大きさが丁度良くて上質な素材の枕は彼女の眠りをより一層誘い、一度も途中で起きることなくぐっすりと泥のように眠ったのだった。
「やばいっ! 寝坊した?!」
明らかに寝過ぎたと自覚のあったロゼッタはハッと飛び起きる。仕事に遅れてしまうとベッドから慌てて下りればいつもと違う床の感触。下を見るとふわふわと肌触りの良いクリーム色のカーペットが敷かれている事に気付いた。だだっ広い部屋をぐるりと見回し、やたら高級そうなテーブルや壺を発見する。
天井にはカットされたガラスが多数配列された照明器具が吊りさがっていて、朝だから灯りは点っていないものの、ガラスが窓から差し込んだ光によってキラキラと輝いていた。彼女は漸く此処がシルベリア王国のお城の客室だと言う事を思い出す。
ベッド脇の小さな丸テーブルには呼び鈴であろうハンドベルが置かれているが、まずは顔を洗って昨日、メイドの白猫ことミリアにより強制的に着替えさせられたフリフリのピンクのネグリジェをロゼッタは早く脱いで着替えたかった。
華美な洗面所でバシャバシャと水洗いで済ませ、真っ白なタオルで顔を拭く。鏡を見れば幾分か疲れの取れた自身の顔が映る。ぴょこんと跳ねた寝癖も同時に目に入り、水で濡らして直した。
白いクローゼットには事前に用意してくれていたのか、ズラリと並んだカラフルな衣装。その殆どがフリルをあしらったドレスだ。とてもじゃないがロゼッタが普段着ているものと系統も質も違う。
彼女が元着ていた服はミリアに持って行かれてしまっている。恐らく洗濯してくれているのだろう。捨てられていないと思いたい。
仕方無く彼女は一番地味な白地のワンピースをなんとか探し出した。一番地味と言ってもフリルやレースは相変わらず通常装備である。
「おはようございます、ロゼッタ様。お目覚めになられたようですね」
「あ、ミリアさん。おはようございます」
チリンチリンと呼び鈴を鳴らせば扉の向こうで待っていたのか、直ぐにミリアがやって来た。レオンと同じく真っ白な毛並みを持つミリアには黒を基調としたメイド服がよく生えて似合う。ワインレッド色の袖口や襟元に入った線も大人っぽさがある。
しかし、頭に付けた白フリルのカチューシャと裾に付いた白フリルがそれを駄目にしていた。これがメイドの制服らしいが、ロゼッタはこんな制服は着れないと思った。
試しに自身が着ている姿を想像し、これはないなと頭の中に思い浮かべた自身を打ち消す。いきなり首を左右に振った彼女を心配そうにミリアは傾げた。
「ロゼッタ様? 大丈夫ですか? まだお気分が優れないのでしょうか?」
「だ、大丈夫です! ただ自身の服の似合わなさに幻滅していただけなので。ミリアさんはとっても似合っていて可愛いです」
「お褒め頂きありがとうございます。このメイド服は気に入っているのですが、どうしても抜け毛が目立ってしまうところが難点なんです。ロゼッタ様のその白いワンピース、とても似合っていて可愛いです」
そう言って尻尾をウネウネと揺らしながら微笑むミリアにロゼッタはグッと来た。本当に可愛いのだ。居候させるなら癒し猫なミリアが良かった。むしろ飼いたい。
良からぬ事を考え始めたロゼッタだったが、運ばれて来た朝食によって思考が途切れた。目玉焼きの乗ったトーストにベーコンサラダとグラスに入った牛乳。至ってシンプルな朝食に拍子抜けした。てっきり朝からこってりしたボリュームたっぷりのお肉系を出されるかとロゼッタは思っていた。
レオンが居候中に朝からお肉とマタタビビールを所望していたから勝手に此処では朝からヘビーな食事なのかと勘違いしていたのだ。
「おはようございます、ロゼッタさん。朝食はいかがでしたか?」
ロゼッタが朝食を食べ終えた絶妙なタイミングでティーガは現れた。彼女の食事中に扉の近くに控えていたミリアは彼が登場すると頭を下げる。にっこりとした笑みをしている彼の目元には依然として青隈があり、ロゼッタはどうしてもそちらが気になってしまう。
「おはようございます、ティーガ様。私はいつも朝食は軽めなのでちょうど良かったです」
「それは良かったです。レオン様が朝食には高級なお肉とマタタビビールを出してもてなせと言われていたのですが、流石に朝からそれは重たいですよね。マタタビビールも人間のロゼッタさんには美味しくないでしょう」
「ははは……そうですね。朝からそれはちょっと……」
ロゼッタはティーガがレオンの言葉を間に受けなくて良かったとホッとする。彼があっさりレオンに従っていたら確実に今頃胃もたれを起こしていた。
それに誰もがお肉とマタタビビールが好きとは限らないのに取り敢えず自分の好みだからと振る舞うのは如何なものなのか。
その点ティーガは相手の好みを予めリサーチして振る舞うのだろう。昨日の夜、ミリアに客室を案内されている時に普段の朝食を聞かれていたことを思い出した。毎日朝は牛乳を飲んで軽めの軽食だと話した記憶があった。そして先程出された朝食はきちんとそれを踏まえた上でのメニューだ。彼女の好みを知っておきながら知らない振りをして感想を聞いてくる彼はやり手だ。
「レオン様はもうその豪華な朝食を済ませたんですか?」
「いえ、レオン様なら明け方まで私と仕事をしていらっしゃったのでまだ起きてません」
まずはレオンが仕事をしていたというところに驚いたが、その後にティーガが言った“私と”というところに引っかかった。
レオンとティーガは明け方まで仕事をしていて、前者はその為まだ起きていない。けれども後者は今こうしてロゼッタの前にいる。つまりティーガは寝ていないのではないだろうか。
「……ティーガ様はきちんとお休みになられましたか?」
「私のお心遣いまでして下さるなんてロゼッタさんはお優しいですね。ありがとうございます。……まだ倒れるまではいっていないので大丈夫ですよ。私達獣人は自己治癒力が高いですから」
「倒れてからでは遅いですよ!! それに精神面から来るものはいくら自己治癒力が高くてもそう簡単に治るものじゃありません!! ……っ。すみません。つい出過ぎた真似を」
ロゼッタはしまったと口を手で押さえるがもう遅い。いきなり声を張り上げた彼女に驚いたのか、ティーガは目を丸くする。一瞬尻尾もビクッとしていた。
「いえ……。ロゼッタさんの言う通りです。自己治癒力が高いと言っておきながら胃痛と隈が全然治る気配がありません」
「精神的なものから与えられる身体影響に治癒術は余り効果が得られません。胃痛に関しましては痛みを和らげることは出来ますよ。と言っても、一時的なものですが……。ストレスが貯蓄されればまた繰り返し痛くなると思います」
気付けばロゼッタによるティーガの臨時診察が行われていた。彼から症状や日頃の日常生活の様子を聞いた彼女は治癒術で胃の痛みを和らげる。これでここ数日は大丈夫だろう。胃薬も処方しておいたほうが良いかもしれない。
「ありがとうございます。ロゼッタさん。とても楽になりました」
「それは良かったです。ですが、やはりしっかり睡眠を取って下さいね」
「善処します」
そうティーガは言っていたが、胃痛が収まったからと仕事に没頭しそうである。今も懐から羊皮紙を挟んだ黒ボードとインクのなくならない魔法の羽根ペンを用意し始めた。そしてロゼッタに彼はいくつかの質問をする。
「ロゼッタさんはハーフェンで獣医として現在就業中でしたね」
「はい」
「ずっとそちらで働くおつもりですか?」
「ハーフェンで獣医として経験を積んで、いずれはこの国を回りながら獣医をしようかなと。まだ漠然としてますけど」
「なるほど」
ロゼッタの返答をどんどん羊皮紙に記入していくティーガ。その様子はまるで面接のようだ。何故か上司の好物を聞かれたり、メイドに興味はないかと聞かれたが意味が分からなかった。思わず依然として扉付近で控えているミリアを見てしまう。やはりあの制服はないだろう。
そもそもロゼッタはメイドに興味はないので正直にそう伝えればティーガは残念そうな顔をしていた。そんなにメイドが人手不足なのだろうか。そしてベックの好物はどこで使用する機会があるのだろうか。ロゼッタに休暇を与えてくれたベックへの謝礼の品として蜂蜜ジャーキーを送るのかもしれない。
満足のいく質問の返答を貰ったのかは分からないが、ティーガは羊皮紙と羽根ペンを懐に戻し、ロゼッタにお礼を言った。
「それで本日の予定なのですが、ロゼッタさんに王都の観光案内をしようかと思っています」
「ありがとうございます。ラベットは初めてなのでとても楽しみです」
「楽しんで頂けたら嬉しいです。私は仕事があるのでロゼッタさんを観光案内出来ませんが、代わりの者を呼んであります。」
そろそろ来る筈なのですがとティーガが言えば、それを見計らったかのように扉をノックするには些か大きなめの音が聞こえた。
ドンドンと扉が壊れる勢いのノックに相変わらず扉付近にいたミリアはビクッと毛を逆立たせて驚いている。
やれやれとティーガはそのノックの仕方で誰だか分かったのか、ミリアに扉を開けるよう促した。
「よう、宰相さん。呼ばれたから来たぜ」
「ジャック……貴方はもう少し力の加減というものを考えて下さい」
ドシドシと靴の音をさせてやって来たのは騎士団服を身に纏ったジャックと呼ばれる獣人だった。