その目が映す世界とは
彼女の目は腐っている。
物理的な意味じゃなくて、見た目とか心理的な意味で腐っているのだ。
細い赤縁の眼鏡の奥では光のない瞳が一点を見つめている。
感情の一切見えない目で淀んだような目で。
「作間さん!」
「……何」
相変わらず死んだ魚みたいな目をして、スケッチブックの中に何かを描き込んでいた彼女は、自分の名前に反応して顔を上げる。
顔を上げた後は数回の瞬きの後に、面倒くさいオーラ全開で問いかけ。
話しかけんなオーラ出てたのに、よく話しかけれたよな。
死んだ目には似合わないようなふわふわのクセっ毛を揺らしながら、話しかけてきた相手の言葉を待つ彼女。
相手も彼女も確か美術部。
「つ、次も、出すの?」
「出す」
ぱたむ、とスケッチブックを閉じながら答える彼女。
その死んだ目を向けられている相手は怖くないのか。
おずおずと切り出して、彼女に即答されて、そうなんだと言うように何度も頷いていた。
何だか見ていると不安になる。
俺も見ていたはずのスコアボードを閉じて、二人のことの行く末を見守り始めてしまう。
同様に彼女の幼馴染みが険しい顔をしてこちらを見ているが、気付かないふり。
「それだけ?」
「あ。いや……最近美術室来ないから」
「別の教室借りてるから」
彼女は面倒くさそうに横髪に指を絡めている。
あの目にふわふわのクセっ毛は正直ミスマッチだと思うが、本人はさして気にした様子もなく無造作に伸ばしているようだ。
長めの前髪といい見た目には気を使う様子が見られない彼女は、絵を描くことしか頭にない。
現に今もコツコツと左手の爪で机を叩いている。
右手ではカチカチと音を立ててシャーペンをノックし続けていた。
描きたい時の彼女の癖。
授業中にそれを始めて数分後には我慢の限界が来て、スケッチブックを引っ張り出すのを毎日のように見ていたから分かる。
「次、次の作品も、楽しみにしてます」
「……そう」
彼女は静かに視線を落として頷く。
話しかけていた相手はぺこん、と勢い良く頭を下げて教室から出て行ってしまう。
だけど彼女は動かない。
追いかけもしないし、スケッチブックを開くこともなく、静かに静かに座ったまま。
すると入れ替わりのようにやって来るのは彼女の幼馴染み。
彼女とは違うサラサラとした髪を揺らしながら、彼女の席までやって来て机の上に手を置く。
ゆっくりと顔を上げた彼女は幼馴染みを見つめて、その口から出てくる言葉を待つ。
「アンタねぇ……」
「出来た」
苦虫を噛み潰したような顔をした幼馴染みに対して、話を変えるようにスケッチブックを押し付ける彼女。
彼女の目は幼馴染みに向けている時も変わらない。
「次、サボる」
「ちょっと、話は終わってないし!鍵は?!」
幼馴染みの問いかけに対して、席から立ち上がった状態の彼女は、スカートのポケットから鍵を取り出す。
キーホルダーも何もついていない鍵。
それを見せた彼女は、校則よりも長めのスカートを翻して教室を出て行ってしまう。
一応他の人に比べたら気を許してるんだろうけれど、きっと今も頭の中には絵を描くことしかないんだろうな。
あの鍵、多分学校の空き教室のだろうし。
これから描きに行くんだろうな。
***
「流石、作間さんだよね」
「本当……」
美術室前に下げられた美術部員の作品達。
ある一つの作品の前に沢山の生徒が集まっていた。
その様子を彼女の幼馴染みが少し離れたところから、静かに見守っている。
その輪の中に彼女もいて、つまらなさそうに顔をしていた。
目は相変わらず死んでいる。
幼馴染み達が一言二言彼女にかけているが、彼女はそれに対して軽く頷くか首を振るばかり。
自分の絵を確認することもなく、周りの批評に何かを感じることもなく、教室へ戻るために身を翻す。
幼馴染み達もそれに続く。
それを見届けて俺も絵を見てみる。
そこにあるのは色彩豊かな絵で、あの濁った死んだような目をしてどうやって描くのかと聞きたくなるような絵だった。
何色あるか分からないそれが、真っ白だったキャンバスを埋めていて、誰のどんな作品よりも綺麗。
あの目には一体、どんな世界が見えているのか。
俺には未だ分からない。




