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女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、出題する

作者: 神西亜樹

『不公平は良くないので、私にも機会が与えられるべきよ』

 三日前、理科室の机に坂東蛍子が記した一文である。と同時に、現在教室で彼女が机に張り付いている理由でもある。周囲の生徒が動揺している主因でもあり、ともすると六月の梅雨空の原因ですらあるかもしれない。

 順を追って記そう。まずはこの文を宛てた相手についてだ。

 その相手の名前は望月嗚呼夜(もちづきああや)ということになっている。こういう言い方になるのは本当の名前を蛍子が知らないことに起因する。蛍子は嗚呼夜というその不思議な友人を勝手に少女と断定しているが、実際のところは本名は愚か、性別も年齢も人種も、そもそも人間なのかも知らずにいる。二人は移動教室の理科室の机上に残し合った落書きによってのみ会話し、親睦を深めた間柄だった。風流で貞淑な間柄なのだ。望月嗚呼夜は実に秘密主義的で、蛍子にとっても少々奇抜な友人であるし、それ故に特別な友人でもあった。

 個人を特定する情報に限ってはお互い暗黙の了解で秘匿していたが、代わりに二人はそれ以外の様々なことをたくさん話した。好きなもの、嫌いなもの、今晩のおかずから翌朝の起床時間まで、蛍子と嗚呼夜はプライベートの間隙を熟知し合っている。それも偏に顔が見えない分、顔以外のところをこれでもかと話し合えたからだ。蛍子はそう思っていた。

 しかし事実は異なっていたのだ。

 先日、坂東蛍子はいつも通り理科室の所定の席に座ると、これまたいつも通りに教科書を立て、嗚呼夜からの返事を陰でこっそり確認した。そして彼女の文意に含まれた「坂東蛍子に話しかけている」というメッセージに気がついてしまったのである。これはあくまで例えだが、例えば足踏みで地震を起こす女子高生はそうはいまい。そういった「個人的な話」が文中にはっきり示されていたのだ。

 蛍子は嗚呼夜のことを知らない。しかし嗚呼夜は蛍子のことを看破している。負けず嫌いの蛍子はこのことが許せなかった。戸惑いや怯えを感じる以上にとにかく悔しくてたまらなかったのである。だから蛍子は嗚呼夜の正体を暴き返すことを決めた。

(アーヤを闇の中から引っ張り出し、陽の下に晒してやるんだ)

 以上があの一文を書くことになった原因である。そうして蛍子は勢い任せに机に返事を書き始め、反撃のアイデアをまとめ、文末に機会均等を訴えた一つの問いを添えたのである。それでは改めて彼女の書いた文章を見直そう。

『不公平は良くないので、私にも機会が与えられるべきよ。もちろん正体を明かせなんて強要をしたいわけじゃないわ。それじゃ私が負けを認めるようなものだもの。だから勝負で決着をつけましょう。三日後の放課後にこのシャーペンを私の机まで届けて(この机の裏にテープで貼ってあるから覗くこと)。OK?私に見つからずに届けられたらアーヤの勝ち。逆に私が見つけたら、その時は顔をつきあわせて、改めて自己紹介しましょう』



 そして運命の放課後はやってきた。蛍子の精神はもう長いこと臨戦態勢にあった。負けず嫌いの本能が血管を駆け巡り、その中に「無視されるかもしれない」といったほんの少しの不安とか、「他の人が来たらどうしよう」といった軽率な行動への後悔とか、色々な感情が綯い交ぜになって傍から見ても明らかにイライラしていた。何よりシャーペンがないのでロクにノートも取れず私生活にも支障を来していた。

 少女は先程から机を守るように胸を押しつけ、何も見逃しがないよう忙しなく首を振って周囲を窺っている。廊下だけでなく、窓の外から配管を上ってくる可能性や、天井を破壊して侵入してくる可能性も想定し、愛らしい目をカメレオンのようにきょろきょろ動かす。

「坂東さん、財部先生が呼んでたよ。明日の授業の準備がどうとかって」

 変化はすぐに訪れた。放課後になって蛍子の下にやってくる訪問者が明らかに増えたのだ。分刻みで訪れる来客の要件は様々で、未知の斑点が出た生徒を保健室まで送って欲しいとか、ローカル番組のCMを撮りたいから着ぐるみを被って欲しいとか、両親が事故を起こしたから慰謝料を振り込んで欲しいとか、詰め合わせの駄菓子のようにまとまりのない姿で蛍子の席へ押し寄せてくる。

「蛍子、貴方会長から緊急の呼び出しがあったわよ。あの温厚な会長から・・・何したの」

「リツまで。今度は生徒会か・・・ありがとう、必ずすぐ行くわ。はあ。また飛んで来た」

 蛍子は床を滑ってきた紙飛行機に目を留め、嘆息した。訪問者が増えたことの他に、蛍子の周りではもう一つ変化があった。それはやたらと投げ入れられる紙飛行機だ。廊下側から不意に投げ入れられるそれは、蛍子の机へ向けて飛行し、いつも辿り着く手前で床に不時着した。廊下と蛍子の机を結ぶ線上には無残に放棄された飛行機の残骸で溢れかえっている。シャーペンを挟んで私の机に乗るように試行錯誤しながら飛ばしてるのかも、とも思った蛍子だったが、単なる陽動のようにも思え、五機不時着辺りから気にするのを止めた。

(でも紙飛行機が飛んでくるってことは、アーヤは今廊下にいるってことよね。私が席を離れられないのを良いことに・・・やってくれるわ)

 訪問者と飛行機――この二つから蛍子は嗚呼夜の遂行している作戦に確信を持った。

(アーヤは私に席を立たせようとしている。席を離れたその隙を突くつもりだ)

 蛍子は紙飛行機の一つが飛んできた方角を目で追い、犯人を探した。そこは廊下へと続くドアだった。開け放たれたドアは至って普通のスライドドアで、中央上には窓があり、その脇には風に靡く金の毛束が顔を覗かせている。

(金髪!?)

 この学校で金髪となると、不良転校生の桐ヶ谷茉莉花(きりがやまりか)しかいない。そして桐ヶ谷茉莉花という名前の少女となると、坂東蛍子の仇敵である金髪の彼女ただ一人だ。茉莉花は恐らくドアに背を預ける形で立っており、身じろぎ一つしなかった。

(ぐう・・・ジャス子め・・・早くどっか行きなさいよ・・・)

 蛍子はひとたび目の端に捉えた憎き級友を無視することが出来なくなってしまった。廊下から飛んでくる紙飛行機や、やって来る生徒達の大元を辿ろうと目を走らせていると、どうしても視界に金髪を移してしまう。スクリーンの前に磔にされて嫌いな映画を延々と鑑賞させられている気分だった。

 それにしても、と坂東蛍子は廊下を観察する。蛍子のいる二年教室前の廊下は、放課後とは思えない大層な賑わいを見せている。初めの内は教室の出入りが主だった人の波も、今はどちらかというと廊下の往来がその中心になっている。生徒達は慌ただしく右往左往し、セットした黒髪の乱れも何のその、全力で廊下を駆け回っていた。耳を澄ませて彼らの会話を盗み聴くと、宇宙人がバス停を溶かしているとか、女の子がヤクザを引き連れて校長室に入っていったとか、突拍子もない噂話が山のように飛び交っていることが窺えた。これだけの生徒を振り回すなんて、と蛍子は嗚呼夜の人物像について改めて思いを馳せる。アーヤは随分と情報操作に長けているらしい。まるでハッカーのように心のセキュリティを打ち壊し、大量の人間の判断力を同時に混乱させている。いったいどんな手を使えばここまで大騒ぎさせられるのかな。今度教えてもらおっと。

(直接、教えてもらうんだ)

 一連の騒ぎに一貫しているのは「廊下の窓から目撃出来る」ということだ。アーヤは私のことを何としてでも教室から出したいらしい。きっと彼女は今も廊下にいるに違いない、と蛍子は思った。廊下の向こうの、窓枠の影や、ドアの向こうで息を潜め、行き交う人々に嘘八百を吹聴して混乱を作り、私が出てくるのを今か今かと待ち構えている。そして私が引っかかったのを確認したら教室に乗り込むつもりだ。そこまで考えて、蛍子はハッと息をのんだ。再び扉の向こうの金髪に意識が向いたのだ。仮にアーヤが廊下にいるとすれば、アイツだって候補に入ることになってしまう。あの金髪が、実はアーヤで、そこにいるのは私が出てくるのを待ってるからで――そんなこと、想像したくもない。坂東蛍子は首をブンブンと振って悪い考えを振りほどき、廊下に潜む情報の解読に無理矢理意識を移した。

(ジャス子がアーヤだなんて、そんなの絶対に認めないんだから)

 蛍子は廊下を散漫に見つめた。茉莉花と嗚呼夜を切り離すための反証を血眼で探し、やがてドアとは反対の方角から歩いてくる金髪の少女を目撃した。桐ヶ谷茉莉花である。揚げバナナを片手に呆け顔でぶらつくあの少女は、桐ヶ谷茉莉花以外に考えられない。坂東蛍子は見事反証を見つけ、愈々混乱を極めた。

(なんでジャス子が?え?ジャス子って二人いたの?)

「んだよ」

 茉莉花が蛍子の視線に気づき、教室の前で不機嫌そうに立ち止まる。

「ん、なんだこれ」

 ふと視線を落とした茉莉花はドアに引っかかった異物に気づき、それを取り上げた。彼女の手元に回収されたそれを蛍子もまじまじと見る。それは金髪のカツラだった。蛍子は何が起きているか考えに考え、そして時を置かず一つの結論を導き、思わず仰け反った。

「やられた!」

 仰け反った蛍子の肘に何かが当たり、床に落ちる。急ぎ振り返った蛍子の目に飛び込んだのは、床を転がる愛用のシャーペンだった。

「ああ!やっぱり!」

 望月嗚呼夜は既に解答を提出し終えていたのだ。蛍子は嗚呼夜の作戦を「蛍子自身を廊下に移動させ、机に空白の時間を生み出す」ことだと考えていた。しかし実際はそうではなかった。嗚呼夜は蛍子が()()()()()()()廊下側を警戒するよう()()()()()()のである。視線を一所に誘導したのだ。ドアから来訪者を増やし、廊下の外には紙飛行機の入った箱を設置し「文化祭予行演習です。教室に投げ入れて下さい」と記した札を掛けた。蛍子の集中を散らすため、ドアに金髪のカツラを貼り付け、情報を錯綜させてこれでもかと廊下に人を増やした。結果として坂東蛍子はまんまと策に嵌まり、初めの内は教室全体を見回していた思考が、いつの間にか廊下側に溢れる情報量の解析に終始し、最後にはドアの一点にまで視野が狭まって、背後ががら空きになってしまったのだ。

 机の端にはまだ他にも届け物が置かれていた。恐らくシャーペンと並べて置かれていたのだろう。小指ぐらいの長さの紙切れと、それを重し代わりに押さえている一口大のチョコレートだ。蛍子はチョコをよけて紙切れを取り上げた。裏返した先に並んでいたのは見覚えのある字体の一文だ。

『イライラした時は、甘いものを食べると良いよ』

 きっと嗚呼夜は食い入るように廊下を見つめる私の背後にゆったり歩いて回り込み、笑いながらペンを置いていったに違いない。あまりの悔しさに少女は座ったまま目にも留まらぬ高速の地団駄を踏み、地域一帯の緊急地震速報に僅かな爪痕を残した。

「ぐやじい」

 蛍子はチョコレートを頬張った。

【望月嗚呼夜前回登場回】

花束を貰う―http://ncode.syosetu.com/n4231cf/

【桐ヶ谷茉莉花前回登場回】

白黒つけず―http://ncode.syosetu.com/n5046ce/

【流律子前回登場回】

あだ名をつける―http://ncode.syosetu.com/n7705cv/

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