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18、噛み合わぬ想い

 通された部屋で長いこと立ち尽くしたまま、ルイはドッと疲れを感じていた。大きな魔術を使ったあとに当然やってくる疲労感だ。エマに補助してもらったとはいえ、力を使いすぎた。

 ここまでたどり着くのももはや気力のみだった。本当ならその場に寝転がってしまいたいのだが、手入れの行き届いた客室でそんなことができるわけがない。風呂を勧められたが、エマが起きるまではと辞退した。

 神殿には帰る気にはなれず、あれからエマを抱えてシェーンベルク家にやってきた。エマにとっては久々の帰宅だ。

 力を使った影響か、それとも命を狙われるという極度の緊張から解放されたからか、エマはルイの腕の中で眠ってしまった。眠るというより気絶に近いその状態に、またルイの胸は痛んだ。

 そばについていながら、エマを危険な目に遭わせてしまった自分にルイは腹が立っていた。

 今回のことは、適当に祭り上げて利用しようという教会の考えを甘いだなんて一度も思わずにここまで来てしまった自身のミスだ。注意を払って見ていたつもりで、結局何もわかっていなかったのだ。花の乙女の立場に嫉妬して放火するなんて人物がいるとは思っていなかったのだ。

 教会あるいはルイが、もう少し花祭開催にあたっての心構えができていれば、こんなことは起こらなかっただろう。そのことを思うと、放火犯に対しての怒りと同じくらい自分のことが許せない。

 花祭が済むまでそばで守ると決めていたのに。幸せになってほしいと、そう思っていたのに。


「ルイ、入るぞ」


 ノックなしで声をかけられ、ドアが開いた。入ってきたのはクリスで、彼はルイと同じくらいげっそりとしていた。


「さっきの女は町の教会に連れて行った。まだどうなるかわかんねぇけど、内々に処理するだろうからさ。いやぁ、使える人員がテオとユリアンしかいなくて大変だった。まぁ、おかげで火事のことは話題になっても、エマが殺されかけただなんて誰もわからねぇな」

「そうですか……お疲れ様でした」


 ひとまず公にはならなかったということにルイは安堵した。表沙汰になれば、当然エマの評判に傷がつくのだから。それは利用する立場として都合が悪いというより、ひとりの女性として外聞が悪くなるのを心配しての感情だった。悪くは言われなくとも、これ以上好奇の視線に晒されるのは気の毒だとルイは思ったのだ。

 だが、まだ犯人が今もどこかで息をしているという事実に、ルイの心は苛立つ。


「放火犯を処理するというのであれば、私がやります。そういった仕事には慣れていますから」


 ルイの言葉に、クリスはハッとした顔をした。いつもの微笑みを浮かべているのに、声がゾッとするほど冷たいのに驚いたのだろう。その声の中に、隠そうとしても隠しきれない殺気が込められているのは、この場にどんな鈍い人間がいてもわかったにちがいない。


「仕事で誰か消すのと、私怨で誰かを殺すのは同じじゃないと思う」

「ですが、誰かが殺さねばならないのなら、私が殺しても同じでしょう?」


 やっとのことでクリスは言い返したが、ルイはそれを鼻で笑った。何もわかっていないくせにと言いたげなルイのその顔に、クリスはため息をついた。


「エマのために怒ってくれてるのはわかるんだけどさ、あいつが悲しむことはしないでくれ」


 呆れるような心配するようなその口調に、ルイは苛立たしげな視線を向けた。日頃の彼ならその意味を即座に理解できたかもしれないが、今は心が殺伐としすぎていた。自然と、クリスに向ける態度も尖ったものになってしまう。

 だが、クリスはそんなことを気にした様子もなく、口の端をあげて少し悪い笑みを浮かべて問いかけた。


「お前さ、エマのことが好きなんだろ?」


 ルイは自分の顔がカッと熱くなるのを感じた。先ほどまで冷え冷えするほどの殺意が心を占めていたというのに、そんなものが一瞬で霧散してしまったかのようだ。

 まるで少年のように赤くなるルイを、クリスは隠そうともせずニヤニヤとして見ている。いつから気づかれていたのだろうとか、何と言えば黙るだろうかとか、そんなことを熱くなってしまった頭で考えたが、結局わからなかった。


「……もしそうなら、どうだっていうんだ」


 ルイはクリスから目をそらし、ふてぶてしく答えた。それが事実上敗北宣言であることは、きちんと理解していた。





 その頃エマは、ふかふかのベッドの上で目を覚ました。ずいぶんと長く眠っていたような、どこか遠くから帰って来たような、そんな感覚がする。ぼんやりと目を開けて、それからベッドの上で何度か寝返りを打って、久しぶりの感触を味わい、自分が実家の自室にいることに気がついた。


(そっか……神殿は焼けちゃったから、実家に帰って来たのね)


 頭はなかなか働かなかったが、そのことはすぐに飲み込めた。


「喉、渇いた……」


 呟いてからベッドサイドに目をやると、水差しとカップが置かれていた。水差しの中には柑橘系の果物が浮いていて、これを用意してくれたのがイルゼだとわかる。

 そのことに気がつくと、ここ最近ずっとそばにいたルイのことを思い出して不安になった。

 生まれ育った家に帰って来て慣れ親しんだ自分の部屋にいるのに、心細さを感じる日がくるなど思ってもいなかった。それだけ、エマはルイとの神殿暮らしに慣れてしまっていたのだ。

 最初は馴染めないと思っていたのに。神殿にも、ルイにも。


(死なずにすんでよかった)


 水を飲みながら、エマは昨夜の出来事を思い出していた。部屋に火を投げ入れられて、目の前でたくさんのものが燃えて、そして自分を殺そうとした少女に罵られた。

 炎もやはり衝撃的だったのだが、それよりも何よりもエマの心を抉ったのは、剥き出しの憎悪だった。

 これまで、友達と喧嘩をしても、馬が合わない子がいても、あそこまで誰かに負の念を向けられることはなかった。これからもないだろうと思っていた。

 だが、その考えの甘さが今回のことを引き起こしたのだとエマはわかっていた。

 中途半端な覚悟で、かなりの部分で楽しんで候補者たちと向き合っていた。もう少し真剣味を持って、自分の置かれている立場というものをきちんと弁えていれば、こういったことは未然に防げたかもしれない。


(お母さんなら、きっとこんなことにはならなかったわ)


 イルゼの圧倒的美貌と堂々とした佇まいを思い出し、エマは母と自分の大きな違いを痛感していた。

 おそらくイルゼがエマと同じ立場なら、こんなことは起こりえなかった。嫉妬されようとやっかまれようと、それはすべて影でのこと。彼女に面と向かってそれをぶつけたり、そもそも害意を持ったりする人間などいないだろう。そのくらい、イルゼは周囲に対しての影響力があったのだ。

 それは何も、彼女が美しいからだけではない。彼女が強いのは、イルゼ・シェーンベルクであるということの自覚と自信があるからだ。

 誰に何を言われても、花の女神の子孫であるという誇りと、子孫として果たす役目に責任を持って生きているから堂々として見えるのだ。

 そのことが、エマは今になってようやくわかった。

 似ていないから、美しくないからと言って心のどこかで言い訳をしていた、その中途半端さが人に強い恨みを抱かせてしまった。


(確かに、私みたいなのが女神の子孫ってだけで男の人に群がられてるのは面白くないわよね……)


 たったそれだけのことで殺してしまいたいとまで思うのは理解できないが、人から嫉みを買うには十分だったとエマは反省した。

 もう冬が来た。

 誰と結婚するのかを決めて、花祭に備えなくてはいけない。

 これ以上、誰かの心を騒がせないように、女神の子孫らしく舞台に上がらなくてはならない。


「じゃあ、まずルイに話をしに行かなくちゃ」


 よし、と気合を入れてエマはベッドから立ち上がると身支度を始めた。ここは勝手知ったる我が家。何がどこにあるのかも、ルイがどの部屋で今控えているのかも、考えなくてもわかる。だから動きに迷いがない。サッと着替えて短くなった髪にブラシをかけて、エマは客間へと向かうことにした。

 今後のことを少しでも早く話し合うために。



「ルイ、入るわね」

「……エマ様?」


 ノックをして、中から返事を返ってきたことにホッとして、エマはそっとドアを開けた。部屋の中から見ていたルイには、エマがらしくもなく淑やかにドアをゆっくりと開けたように映ったが、実際はそうではない。

 客間に来る途中に台所へよって朝食になひそうなものを調達してきたエマは、両手にトレーを持っていた。そのため、肘でうまいことノブをひねり、ドアが開いたところへ猫がやるようにスルリと体を滑り込ませただけなのだ。

 だが、きびきびとして自信に満ちた動きのため、それは決してはしたない仕草には見えなかった。


「イルゼ様かと思いました」

「ああ、声は似てるって言われるのよ。親子だし、そのくらい似てないとね」


 ルイはそうではないと言いたかったが、些末なことなどでやめておいた。覚悟が決まったことで背筋が伸びたからか、本当に一瞬、ルイはエマをイルゼと見間違ったのだ。


「体、大丈夫?」

「私は平気です。エマ様こそ、お加減は?」

「寝たから大丈夫よ。そんなことより、あなたずっと立っていたのね。汚すとか、そんなこと気にしなくていいから座って」


 ローテーブルにトレーの上のものをテキパキと並べながら、エマはルイをソファに促した。有無を言わさぬその様子に、ルイも渋々浅く腰をおろした。そして、別人になったかのようなエマをジッと見つめた。


「さぁ、話したいことはたくさんあるけど、まずは食べましょ」

「……いただきます」


 並べられたのは果物とパンと何かのジャムといった簡素な食事だったが、ルイはそれを目にして唾液が出るのを感じた。食べることに執着はないつもりだが、体はやはり栄養を欲しているらしい。エマが黙々と食しているのをいいことに、ルイもしばらく無言で目の前の食べ物を胃に収めることに集中した。

 食べるにつれて疲れ切っていた脳に栄養が行き届いたのか、思考がはっきりとしてくる。それによって、ルイはエマに言わなければならないことを思い出した。


「エマ様」

「なぁに?」

「花祭をとりやめませんか?」


 エマの動きが止まった。先ほどまで柔らかく微笑んでルイを見ていたのに、一気に無表情になる。


「やめてどうするの?」


 鋭いエマの物言いに、ルイは一瞬言葉に詰まった。エマをこれ以上の危険に遭わせたくないと思っての発言だったが、突き詰めた内容ではないのは確かだ。


「エマ様が目立つことで人から妬まれ命を狙われるのでは本末転倒なんです。ですから、今回のことは取り止めるのが懸命かと。……今後も、警護はさせていただきますが」


 堪えていないふうを装ってルイは話していたが、エマに真正面から見つめられて内心焦っていた。エマが腹を立てているのは確かだった。しかも、その視線には下手な言い逃れを許さない力がある。


「今さらやめて、どうにかなると思ってるの?」

「それは……」

「私はね、今回のことであなた方がどういったことを求めているかわかった気がしたの。それを叶えるための覚悟が自分に足りなかったことも、自覚した。だからこそ、今さらやめるわけにはいかないのよ」


 凛として言葉を紡ぐエマに、ルイは思わず見惚れかけた。この娘は、こんなにもはっきりものを言う子だっただろうかと、まるで初めて会うかのような気持ちになる。先ほどクリスに突っ込まれたこともあって、ルイは危うくまた赤面するところだった。

 それでも、グッと思いとどまってエマを見返す。


「間違ったと気づいた時点で引き返すことも必要です。今なら……あなたがこうして無事でいるうちなら、手遅れではないのですから」


 ほとんど懇願するようなルイの言葉に、エマは余計に苛立った。それがついにとどめとなり、さざ波のように静かだった怒りが一気に爆発した。


「あれだけ私に結婚しろと言っていたくせに、今さら何なの? 何が原因で心変わりしたっていうの? 結婚しろと言ったのはあなたよ? 私は、あなたにそう言われて、時間をかけて覚悟を決めたの。それを今になって取り止めなんて、許さない」


 行儀良く座ってはいるが今にも地団駄を踏みそうなくらいの勢いに、ルイはたじろいだ。この子を怒らせてはならないと、神殿での暮らしが始まってすぐのあの出来事で思い知ったのに、またこうして怒らせてしまった。


「……私は、ただエマ様を守りたいだけなんです」


 ほとんど呟くようなルイの言葉を聞いて、エマは噛み合わないと思った。改めて覚悟を決めて臨もうとしているのに、ルイがそのことを全く汲み取ってくれないのだと思うと、悔しくてたまらなくなった。

 どうして、と思うと、自然と涙が溢れてきた。


「……そんなに言うなら、ルイが私と結婚して」



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