11、もっと知りたくて
それから数日経って、エマはようやく外出を許可された。熱はすぐに下がったのだが、ルイが強引にエマを部屋にとどめ置いたのだ。テオが武術の稽古をつけてくれると誘いに来たり、ハルやユリアンが会いに来ていたのだが、そういったものもすべてルイが窓口となって追い払ってしまっていた。
突然の過保護ぶりにエマは驚いたが、暇を持て余してはいけないと本を買ってきたり話し相手になったりしてくれたため、不満を口にするのは止めにした。好きにさせているふうを装って首に鎖をつけられるより、こうして目の届くところに置きたがられたほうがいくらかましだと気がついたのだ。
そして、言いつけを守るとルイの機嫌がいいこともわかった。それに、自分を害する恐れがなく、世話を焼いてくれる美しい男がそばにいるというのは悪い気はしない。だから、療養という名目で外に出られないことくらいすぐに気にならなくなっていた。
だが、元来がお転婆な気質だ。体がすっかり元気になると、貴族の令嬢のような生活には飽きてしまった。だから、めげずに今日もやって来てくれたテオの誘いにエマはすぐさま乗っかった。
エマがあまりにも外に行きたがるし、誘いに来たのがテオということもあったため、ルイは渋々ではあるがエマの軟禁を解いた。
あれやこれやと小言を言いながらも、朗らかなエマの世話を焼くことに楽しさを見出し始めていたルイは、わずかに名残惜しさを感じていた。
もっとも、そのことに彼は気づいていないし、誰かに指摘されても決して認めないだろうが。
「今日がいいお天気で本当によかった」
数日ぶりの外出にエマの足取りは弾むようだった。よく晴れていて、秋にしては暖かい。
だから、もうしばらくは着られないかもしれないと思っていた薄物の服を今日は身につけていた。華美ではないが襟や袖にレースがついたブラウスと、特別な下穿きなしでもふんわりとしたラインを描くスカートは、手持ちの服の中で特に気に入っている組み合わせだ。
「そうしていると、まるで妖精みたいだね」
一歩踏み出すたびにスカートがふわりとするのを満足げに眺めていたエマを見つめ、ユリアンがそんなことを言う。
テオと外出しようとしたところをちょうど捕まえられ、一緒に行くことになったのだ。
病み上がりのエマを気づかって、今日は市場を回ることになっていた。本来なら二人きりのデートだったはずなのだが、テオが嫌がる様子もなかったため、エマも気にしなかった。
「よ、妖精って……ありがとう」
「そうか。ユリアンは褒めていたのだな。俺には人間にしか見えないのに、何を言っているのかと思ったんだが」
「ちょっとテオ〜、ダメだよそんなんじゃ。女の子に『君は可愛いね』って伝えるための言葉は、たくさん種類があったほうがいいんだよ?」
「そうか。確かに、今日のエマは一段と可愛いな。楽しそうにしているのが何よりいい」
「あ、ありがと……」
両脇をテオとユリアンに挟まれて歩いているのだが、二人ともニコニコとエマを見ているから落ち着かなかった。
テオは人波からさりげなく守ってくれ、ユリアンは細かなことに気づいてくれる。そして二人とも、毛色は違うが男性として魅力的だ。まさに至れり尽くせり両手に花の状態で、チヤホヤされ慣れていないエマとしては、楽しいというよりも信じられないという気持ちのほうが優っていた。
だが、順応してしまえばどうということはない。テオにとってはエマは妹のようなものだし、ユリアンは女の子には慣れていて特別ではない。それはエマに甘々の父や兄と一緒にいるのと変わらないと気がつくと、すぐに楽しめるようになった。
「おや、エマちゃん。今日は候補者の兄ちゃんたちとデートか」
食事をしようと立ち寄った店で、中に入るなりエマはそう声をかけられた。狭い町だ。出歩けば知り合いばかり。そして今は、エマは公開見合いの真っ最中といったところだ。誰がエマの結婚相手の候補者で、一体誰とくっつくのかということは人々の間の楽しい話題となっている。
「それにしても、そうして二人の男をはべらせてるのを見ると、さすがイルゼの娘って感じがするな」
店主であるおじさんは、エマの母イルゼの娘時代も当然知っている。そのため、イルゼが町を歩けば男たちがぞろぞろとついて歩いただとか、親衛隊が組織され勝手に声をかけることは許されていなかっただとか、三人を席に案内しながらどこまで本当かわからないような話を語って聞かせた。
「俺は軍人の兄ちゃんに賭けてるからな。しっかり頼むよ。嫁さん手に入れずに休暇が終わるのは嫌だろ?」
「そうだな」
「まぁ、頑張れよ!」
エマたちが席について注文を済ませてからもおじさんはなかなか立ち去らなかったが、気が済んだのかテオの背中をバシバシと叩いてようやく奥へ引っ込んで行った。
やっと解放されてエマはホッとするが、今度はおじさんの言っていたことが気になってしまう。
「賭けって……私が誰と結婚するかが賭け事の対象になってるってことなのね?」
「どうやら、そうらしいな」
「誰が一番人気なのか気になるなー。まぁ、そんなことよりエマちゃんに好かれてるかが大事なんだけど」
ユリアンはここぞとばかりに話題を切り替えエマを口説きにかかる。だが、そんなことより気になることがあるエマの耳には、彼の言葉は届かない。
「それにテオ、休暇中なの? お仕事はどうしてるんだろうとは思ってたけど……」
真面目で硬派に見えるテオがまさか候補者になるために休暇を取ってこの町に来ているということに、エマは少なからず動揺していた。それは非難めいた気持ちではなく、むしろ申し訳なさだ。それこそイルゼのような美貌の乙女に求婚するためならば仕事をしばらく休んでもその価値があるかもしれないが、エマはただの小娘だ。祭の主役になるべく舞台に追い立てられはしたが、何か欲しがられるものを持っているわけではない。
「軍はまとまった休みをとることを推奨しているんだが、俺はこれまでそういった休みをとったことがなかったんだ。だから、いい機会ということで周りからも勧められて……」
テオはなぜだか恥ずかしそうに答えた。その様子からエマは彼がここに来たことを後悔したりつまらないと思ったりしていないことがわかって安心する。
「そうなの……テオにとってワルデルゴーに滞在することが楽しいことだったらいいのだけど」
「それは心配ない。こうしていることはすごく楽しい」
「よかった。この町の一番の自慢はやっぱり花の季節よ。春もぜひ楽しんでほしいわ」
「それは、エマが俺を選んでくれるということか?」
「えっと……まだわかんない」
そんなことを決して言わないと思っていたテオの発言に、エマは驚いて椅子から転げ落ちんばかりに仰け反った。発言もらしくないが、何より眉をあげニッコリとした表情に妙な色気があり、不覚にもときめいてしまったのだ。
(安全なお兄さんだと思っていたのに……!)
「ちょっとテオ。そうやってさりげなく口説くのやめてよー」
少し裏切られたような気分でエマがテオを見ていると、その視線を遮るようにユリアンが横から顔を出す。
「ユリアンだって口説こうとしていただろ? それなら俺だってエマを口説かなくてはな。おやじさんも俺に賭けてると言ってくれてし」
「そりゃまぁそうだけど。って、君もなかなかやるねー。意外だった。てっきり硬派だと思ってたからさ」
「ユリアンこそ、軟派なのにどうして花の乙女の結婚相手に立候補したんだ? ひとところにいるような男には見えないんだが」
軽口を叩いているように見えたのに、二人の会話は突然不穏な空気になる。運ばれてきた料理に手をつけようとしていたエマは、微笑んでいるが二人の間にピリッとした雰囲気が漂っていることに気がつき、フォークを持ったまま固まった。
だが、なぜ候補者になったのかということは、エマも尋ねたかったことだ。だからエマはユリアンの言葉を待つ。
「仕事で出入りするのは高貴な方々のところばかり。そんなところでは俺と遊びたいだとか俺に口説かれたいって女性はいても、誰も本気じゃないんだ。俺と結婚したいなんて人はいない。でもさ、俺だって誰かに『ずっと一緒にいたい』って言われたいんだ。そして、それを叶える努力をする甲斐がある子と恋がしてみたいよ」
まるで夢を語る少年のような、眩しさを堪えたかのような眼差しにさらされ、エマは今初めてユリアンと出会ったかのような気持ちになった。恥ずかしそうに前髪を弄る仕草といい、唇を軽く噛んで照れた笑みを隠す様子といい、いつものユリアンとは違う。流し目と愛の歌で口説いてきた人と同じ男性とは思えない。
「そんなふうに思ってるのに、相手が私なんかでいいの?」
「むしろ、エマちゃんみたいな子がいい。エマちゃんとなら、きっと特別な恋ができると思うんだ」
「そ、そうかな……」
グッと身を乗り出して、向かいの席からユリアンはエマを見つめる。少年のようなキラキラした眼差しにドキドキしつつも、今のエマの心はときめきより戸惑いのほうが多くを占めていた。
テオもユリアンも、エマとの恋愛関係を望んでくれているらしい。だが、それはよくないことだとルイに言われている。恋愛感情ではなくもっと有益なことを提示できる男を選びなさいと、あのお目付役は言うのだ。
その言葉に反発したい気持ちはあるが、繰り返し繰り返し説かれたことが心のどこかにしみのようになっている。
「どうした、エマ。何か気にかかることがあるのか?」
エマはユリアンの視線から逃れるため、かすかに目を伏せた。そのちょっとした変化をテオは見逃さない。
「……うん、えっと……ルイが、結婚は好きって気持ちよりも利害が一致するかどうかで決めたほうがいいって言ってて……私、今困ってるの」
隠し事や遠回しな表現は苦手なエマだ。言葉を濁したつもりでも、リアリストな世話係に余計なことを吹き込まれているのは、テオにもユリアンにもわかった。ただ、大人な二人はエマが『困っている』と言っただけで否定や非難の言葉を口にしなかった意図を、きちんと理解していた。
「つまりあの美形の彼は、『愛なんてない』って言いたいわけねー。まぁ、自分が見たことがないものを信じない人は多いもんだよ」
「俺の故郷には大きな湖が有るんだが、そこにいるという怪物をたくさんの人が見たと言うが、俺は信じてないからな。それと同じようなことだろう」
「そう、なのかな」
(つまり、ルイは愛を知らなくて、ルイにとって愛は湖の怪物みたいなものってことなの?)
エマは二人の言葉を自分なりに考えてみた。そうすると何だか、ルイが得体の知れないものを恐れているような、そんな理屈になってしまった。だが、その考えは妙にエマの中でしっくりと来た。ルイのあの偏執的な姿勢は、恐れゆえだと思えば納得がいく。
ルイは愛なんてものを恐れていて、そして自分が恐れているものからエマも同様に遠ざけてやろうと思っているのだろう。きっとそれが、彼なりの親切心によるものだということも、何となくエマはわかっていた。
「でもさ、エマちゃんはやっぱり恋愛結婚したいんでしょ?」
食事をとりながら悩むエマを見つめていたユリアンは、彼女の表情が変わったのを見てとってそう声をかけた。もうすっかり、夢見る少年からいつものユリアンに戻っている。
「それは、もちろん」
「じゃあさ、同じように恋愛して結婚したいなんてって思ってる俺たちとも、利害が一致してるって言えるんじゃない?」
小首を傾げてにっこりとするその表情は、日頃は女をとろかして騙すためのものに違いない。だが、エマはその笑顔を見て何だか安心した。ユリアンの言葉と表情に込められた思いやりが、ルイの思考に引っ張られがちだったエマを中立の地点まで戻してくれた、そんな気がしたのだ。
「何にせよ、世話係の言うことをそんなに気にすることもない。最後はエマのやり方で相手を選ぶしかないんだからな」
黙々と料理に向き合っていたテオは、食べ終えてようやく口を開いた。突き放したような言い方だが、エマはテオの顔に浮かぶ穏やかな表情を見て、結局のところ彼が自分を全面肯定してくれていることがわかり、頷いた。
「うん、そうする。私は私の信じたやり方で誰と結婚するか決めるわ」
エマは晴れやかな笑顔でそう言った。
悩むのは得意ではないし、かといって黙って誰かの言いなりになることはできない。それなら、思うまま進むしかないのだ。
エマが好きにするということは、ルイとまたぶつかることだとはわっている。だが、どうせならぶつかってわかりあいたい。もっと、ルイのことを知りたい。
エマはいつの間にか、そんなふうに思うようになっていたのだった。