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1、花の乙女

この小説はhttp://ncode.syosetu.com/n0004cr/「森の魔物と春待つ乙女」の後の物語になります。この作品単品でもお楽しみいただけますが、併せて読むと世界観がわかりやすいかもしれません。


 町から少し外れた、森の入り口にほど近いところに建つ一軒の家。

 貴族の邸宅ほどではないが、このあたりでは一等立派なその家の二階の窓辺に、エマ・シェーンベルクは佇んでいた。

 エマの視線の先にあるのは、手入れの行き届いた中庭。

 自室の窓から眺めるその景色を目に焼きつけておこうとでもしているのか、眼差しは真剣だった。

 とはいっても秋が深まってきていて、目に入るものは残りわずかの色づいた葉だけだ。春になれば、エマの母であるイルぜが丹精込めて育てた花々が咲き乱れ、庭はまるでこの世の楽園のようになるのだが。

 寂しい庭の景色はエマの心を癒すことはない。だから、エマはため息をついた。


「まだ覚悟が決まらないのですか?」


 そんなエマに、声をかける者がいた。

 労わる様子はなく、かといって咎めるわけでもないその声に、エマはそっと振り返った。


「……いつからいたんですか?」


 いつの間にいたの? という言葉と迷って、エマはそう問いかけた。この男と会うのは数度目になるが、いつも気配がないのだ。そんな男にいつの間にと尋ねても、何だか無意味な気がする。

 問われた男は、その美しいかんばせに薄い笑みを浮かべ、首を傾げただけだった。気づかなかったのかと言いたげなその仕草に、エマの心はささくれ立つ。

 王都の教会から派遣されてきたこの男のことが、エマはよくわからない。

 銀髪に菫色の瞳という組み合わせがまず目を引くが、この男の特徴は何と言ってもやたらに整った顔立ちだろう。かっこいいというより美しいという表現がしっくり来る容姿だ。身内に人間離れした美貌の者たちを持つエマでさえ、会うたび目を奪われる。

 教会の人間であることを示す黒の法衣に身を包んでいるが、神に仕えているということがエマにはどうにも信じがたかった。

 初めて会ったときから、この男には胡散臭さを感じている。気配なく人に近づけることと言い、醸し出す雰囲気と言い、ただの神の僕だとは思えないのだ。

 故に、エマはあまりこの男が好きではなかった。信用できないと言ったほうがいいかもしれないが。


「支度はもう整っているようですから、下へ行かれてはいかがですか?」

「……もう行かなくてはダメ?」

「ここでぐずぐずと過ごしても、今日の予定が変わることはありませんから」


 容赦無く急かすような言葉に、エマはまるで売られていく娘のような気持ちになった。それを感じ取ったのか、男は呆れたような視線を向ける。


「貴族の娘であれば、親の決めた相手と結婚することなんてよくあることです。エマ様は選べるだけ恵まれているんですよ」

「……そうですか」


 私は貴族の娘ではないと言い返したかったが、じゃあ普通の家の子かと聞かれればそうではない。特別な家の子だ。だからこそ、春になれば誰かと結婚することを定められたのだから。



 花祭を開催するために、エマは結婚することになった。相手は、今日顔を合わせるうちの誰か。教会からの使者とエマの父が選んだ候補者たちなのだという。

 着慣れない豪奢なドレスも、繊細に編み込まれた髪も、候補者たちに会うためのものだと思うとエマは少しも嬉しくなかった。本来ならお洒落は好きなのだ。たとえ平凡な容姿であっても、やはり年頃の娘らしく着飾れば心が浮き立つ。

 母や兄を見ていると、なぜ自分は先祖の血を引いた美貌を持って生まれなかったのかと悲しくなるが、それでも自分の容姿を嫌っているわけではないのだ。

 こうして一族の代表として祭り上げられることになって、やはり美しく生まれたかったとは思ったが。

 エマが暮らすのは大陸西部のワルデルゴーという町。今では大陸西部全体を指す言葉としても使われるようになっているが、元々はこの小さな町の名前だ。

 ワルデルゴーとは、古い言葉で女神の森を意味する。かつてこの大陸を作った神々の一人、自然を司る女神がその仕事を終えるまでこの町に滞在したことが名前の理由なのだという。

 そのため、この町には女神にまつわる伝承や文化が多く残されている。

 エマも、女神ゆかりの存在だ。簡単に言うと、女神の子孫である。シェーンベルク家は女神が人との間に為した子の末裔なのだ。

 森の女神や花の女神と呼ばれるその女神は、この世のどこにも類を見ないほどの美貌の持ち主だったのだという。そのため、今では随分と血が薄まってはいるが、エマの母であるイルゼや兄のアウロスは奇跡のように美しい。代々、シェーンベルク家は女神の子孫らしく美しい者を多く生み出してきたのだ。

 だが、エマは婿養子でシェーンベルク家にやってきた父・ダニエルに似て平凡な容姿をしている。そうはいっても、決して不美人というわけではない。イルゼやアウロスに似ていないとは、幼い頃からよく言われていたが、人好きのする親しみやすい顔立ちをしている。

 だから、これまで別段自分の容姿を嘆いたことはなかった。周りの誰もエマのことを貶さなかったし、何よりダニエルは褒めそやして育てた。そのおかげで、ひねくれることなく、むしろ驕らない懐っこい少女に成長した。

 だが、自分を主役として花祭が開催されることが決まってからは、それに相応しい姿に生まれたかったと思うようになってしまった。

 ワルデルゴーでは、毎年春には祭が開かれる。春祭と呼ばれるその祭は、女神の子孫であるシェーンベルク家が中心となって行われるのだが、ある年の祭は花祭と特別に呼ばれ例年より盛大なものとなる。

 ある年とは、シェーンベルク家の人間が結婚した年のことだ。花嫁を花の乙女と呼び、女神に見立てて盛り上がるのだ。花祭があった年はいつも以上に気候に恵まれ、豊作が見込まれるとされている。

 本来なら、アウロスが結婚したときが次の花祭のはずだった。その次は、エマが結婚するときのはずだった。どちらも誰かに強制されるものではなく、時が満ちるまで待たれるはずのものだった。


 だが、その不文律は破られた。


 夏の終わり、王都の教会から使者が訪れ、花祭の開催を提案してきたのだ。

 今年は曇りの日や雨が多く、肌寒さを感じることさえある疲れるような夏だった。疲れていたのは人間だけでなく、植物もそうだ。日照不足や気温の低さは作物の成長を阻害し、秋の実りはあまり期待できなかった。

 普通の土地なら次の年に期待しようと決め、そこまで憂うことはないだろう。

 だが、女神の加護により一年を通して穏やかな気候で水や作物に困ることはないとされるこのワルデルゴーでは、不作は凶兆と考えられているのだ。

 だから、わざわざ王都の教会が口を出してきたのだろう。おそらく、強制的にでも花祭の開催が必要だと判断したのだ。

 大陸を作った神々を祀る王都の教会と、花の女神を優先して祀るワルデルゴーの教会は若干体制が異なる。そのため、日頃はあまり関わることはないのだが、地方の教会よりも上位組織とされる王都の教会の意見というのは力を持っている。

 その力に抗うことができなかったからか、エマを差し出すようにという要求をダニエルもイルゼもすんなりと飲んでしまった。

 順当に考えるなら、先に結婚するのは兄であるアウロスのはずだった。だが、彼は数年前のある出来事に傷つき、今は北部地方との境にある禁域の森で魔術の研究に人生を捧げている。事情が事情なだけに逃げ出す彼を誰も咎めなかったし、今回のことで森から引っ張り出そうともしなかった。

 エマも、アウロスために腹を括ったのだ。もっとも、拒絶したところで逃れられるわけではなかっただろうが。



「シュナイダーさん」


 部屋を出て階下に向かいながら、エマは隣を歩く男に声をかけた。男は、エマが履き慣れないヒールの高い靴のせいで転ばぬようにと足元に気を使っていたため、少し驚いて目線を上げる。


「ルイとお呼びください。エマ様、どういたしましたか?」


 エマの世話係という名目で教会から派遣されているらしいこの男――ルイポルド・シュナイダーは、執事のごとき恭しさでエマへ返事をする。その一見すると似合っているが胡散臭い仕草に少しうんざりしながらも、エマは彼に質問することを諦めなかった。


「ルイは、結婚ってどんなものだと思う?」

「結婚ですか? 私はまだしたことがありませんが、『惚れるより慣れろ』というのは格言だと思いますね」

「……もー」


 これからの顔合わせが不安で、少しでもそれが取りのぞけたらと思って口にした疑問だったが、どうやら聞く相手が悪かったようだ。

 何を聞けば満足するかを自分でもわかっていなかったが、ルイの言葉によってさらに気持ちを荒れさせてエマは候補者たちが待つ部屋の扉を開けた。


「エマ、ドレスがとても似合って可愛いね。さぁ、みなさんお待ちかねだよ」


 ダニエルはエマのそばまでやってくると、その背に手を添えた。候補者が待つ部屋へやってきても、まだその足取りや表情に迷いがあるのを感じ取ったのだろう。もしくは、その不安げな顔を可哀想に思ったのかもしれない。

 部屋の隅に控えているイルゼのほうを見ると、彼女は安心させるように柔らかく微笑んだ。その微笑みと背中の父の手の温もりに少し落ち着いたエマは、やっと候補者たちへ目を向けることができた。


「エメランツィア・シェーンベルクです。みなさま、これからよろしくお願いします」


 エマはイルゼに仕込まれた通りスカートの裾を両手でちょんとつまんで、淑女らしくお辞儀をして見せた。

 候補者たちはそれを受け、一歩前へ出るとそれぞれ自己紹介を始めた。


「クリストフ・ダーウィットだ。……よろしく」


 幼い頃から飽きるほど見てきた、栗色の髪に緑目の少年がおざなりな挨拶をする。まぁ確かに、改まって「よろしく」などという間柄ではない。

 候補者の一人は、幼馴染のクリストフだった。何でここにいるのよ? という突っ込みは後ほど必ずしてやろうとエマは思った。


「エルマー・ジルベールです。エメランツィア様、よろしくお願いします」


 蜂蜜色の髪に青い目の美少年が、エマに向かって微笑んでいる。

 可愛い。すごく可愛い。……でも、明らかに私より年下だ――エマはあまりにも幼い様子のその少年に戸惑った。

 夢見る瞳でエマを見つめるこの少年も、どうやら候補者の一人らしい。


「……テオ・ハイドラーだ」


 あ、この人はきっと不器用さんなのだな、とエマは思った。

 そうでなければ、この場において名前だけ言ってあとはだんまりなどありえない。

 浅黒い肌に、黒髪と黒褐色の目ということは南部の人だろうか。

 無愛想でエマのことをよく見ようともしないが、この人も候補者なのだろう。


「ハーロルト・キーンツです。……って、今更名乗らなくてもいいよね?」


 グレーの瞳をいたずらっぽく細めてそう言うのは、エマが通っていた学校の先生だ。

 何でここにいるのよ? その二、である。

 この人に対してはいくつかの意味でそう問いたい。

 若くて聡明でおまけに女子生徒からモテモテな先生も、どうやら候補者らしい。


「ユリアン・マルティーニです。エマちゃん、俺を選んでね?」


 そう言ってウィンクと投げキッスを寄越すのは、金茶の髪に琥珀色の瞳が目を引く青年だ。軽い、軽いなぁと思い、エマはこっそりため息をついた。

 旅装束に楽器を背負っているということは、吟遊詩人のようだ。

 風に流され流れるまま、この庭にたどりついただけではないかと尋ねたくなるような軽さを感じる。


「……よろしくお願いします」


 内心では「なんじゃこりゃ」と思いながらも、エマは改めて彼らに向かってお辞儀をした。

 居並ぶ男性陣を前に、不安な気持ちはより一層強くなる。

 エマははこれから彼らと交流していき、一人を選んで、愛を育まなければならないのだ。

 本物の愛を。

 けれど、求婚者として集まったはずの彼らを見てエマは思った。

 無理だ。難しすぎる。

 彼らの顔には当然ではあるが、好いた惚れたというようなわかりやすい表情は浮かんでいなかったから。

 それはそうだ。イルゼのような美貌の持ち主ならいざ知らず、エマは普通の女の子だ。女神の血は引いていても、それはまったく見た目には現れていない。

 そんな普通の女の子の結婚相手の候補として集められた男性が、この段階でエマにご執心というのはまずあり得ない。そのことが、仕方がないことではあるが、エマにとってはなかなか厳しかった。

 うんと惚れた相手になら、振り向かせるためにがむしゃらに努力できるかもしれない。

 うんと惚れられた相手となら、(ほだ)されて恋ができるかもしれない。

 だが、ここにいるのはエマの好きな人でもなければ、エマを好きな人ですらない。

 それでも、エマは彼らの中から一人を選んで結婚しなくてはならない。しかも、きちんと愛を育む必要がある。



 それが、エマの役割だ。

 女神の子孫であるシェーンベルク家の人間に課せられた役割とは、真に愛し合う伴侶を得ることなのである。

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