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第1話 白い部屋

 そこは病院の一室だ。白で統一された部屋の中は清潔感で溢れ、活けられた花は儚さを醸し出す一つの要因になっている。窓からのぞく景色は美しく、中庭に設置された花壇は色とりどりの花を咲かしていた。太陽のうららかな光は部屋の中に差し込んでおり、明るく部屋を照らし出している。


 しかしそんな美しい情景を青年は見る事は一生叶わない。


 ベッドで寝転がる斎賀(サイガ)勇人(ユウト)は完全介護を必要としている。彼の症例としてはわずか0.7%という非常に低確率な確率ではあったが、彼は只々不幸だった。

 生まれてすぐにその病気になっている事には気付かず、彼は失明し、そして体中を病が蝕んだ。常なる痛みが彼を襲い、安息を与える事は無い。痛みどめも度重なる使用で耐性が出来てしまい、彼にとっては何の意味もなしていない。


「……いってぇ」


 潰瘍に皮膚炎、関節痛、血管病変、神経病変。

 これらは彼の持つ症状であり、ただの大きなくくりでしかない。特に酷いのは神経病変だ。運動が出来なくなるほどの麻痺を引き起こしていた。


 失明に加え、運動麻痺。

 動く事が出来ない。


「……何のために」


 生きているんだ。


 勇人が常に思う事だ。

 勇人は18歳。普通(・・)だったら高校3年生か、大学1年。若しくは浪人生と言ったところだ。だが勇人は一度も学校に行っていない。病院内の学校に行こうかと思ったが、体が動かなく、さらには目も見えないとなれば、どうやって勉強しろと言うのだろうか。黒板を見て、ノートを書く。これが日本での勉強だ。一部の天才だったら話を聞くだけで全てを理解し、自分の物にする可能性はあるだろう。しかし勇人はその類では無い。


 見えない目で外を見る。

 しかし真っ暗。何も見えない。


「黒なのか……?」


 色が分からない。

 常に見えるこの色は黒というモノなのか。そんな事すら勇人には正確に把握する事は出来ない。確かに、他人の見る景色と自分の景色が同一である事を証明する術が無いとは言え、色が分からないと言うのは盲目の人特有の症状だろう。

 通常の人としての感覚すら彼には共有できない。


「何で……」


 何回繰り返しただろうか。

 何故自分なのか。なぜ他の人は健康で、外を走り回り、多彩な色を感じる事が出来るのか。なぜ頭が痛くない。なぜ関節が痛くない。なぜ股間部分が痛くないのか。


「俺ばっかり……」


 勇人の独白はここまでだった。

 彼の個室の扉が横に開き、自分の母親が入ってきた。

 勇人の母は勇人が生きる事に固執していた。ただ、生きる。この1点にのみ母は絶対の意志を見せていた。


「勇人、体の加減はどう?」


 ちょっとふっくらとした体形で、淡い色のカーディガンを羽織った母がベットの横に置いてあった椅子に座った。髪の毛は後ろで縛り、肩の前にかけだしている。サイドテールと言うのだろうか。しかし勇人にはまるで見えない。


「……最悪だ。ここ半年の中でも今日はかなりつらい」


「大丈夫?先生呼ぶ?」


「何かあったらナースコールするから……」


「勇人がそう言うなら……。無理しないでね?」


「ああ……」


 ぶっきら棒に返答を返すと、それっきり勇人は黙ったままだ。

 しかし母そうでは無く、いつも一方的に喋る。昨日は家でこういう事があってね。弟と妹はこうで、こんなで、たくさんなにかがあった。本当に楽しそうに話す。


 (……死ね)


 自分が不幸なのに誰が他人の幸福話を聞きたいと言うのだろうか。無駄に自分を生かそうとする両親に、年に何回か会えば良い方の弟と妹。


 (顔も見えないのに、肉親とも思える訳が無い)


 勇人の内心を窺う事は出来ず、母の地獄に等しいマシンガントークは面会時間が終わるまで続いた。



 ◇



 夜、病院は完全消灯の時間となり静まり返っていた。患者はベットに固定される時間となり、廊下を歩く姿は無い。照明はほとんど消され、看護師の待機所と非常口しか明かりが点いていない。夜勤の看護師がナースセンターで欠伸をして、一つ休憩を取っていた。

 そんな時間である。

 勇人は個室で苦しみの真っただ中にいた。


「ぐっ……あ、……やっ……ばい、かも」


 胸のあたりに激烈な痛みが走っている。

 おそらく血管病変による動脈若しくは静脈の閉塞が起こっている。それか動脈瘤だ。胸のあたり、上大動脈か下大静脈のあたりが痛い。言うなら心臓だ。


 心筋梗塞にも似た痛みが勇人を襲う。痛みのせいで意識が朦朧とし、見えない目の瞳孔が収縮する。擬似的に視野が狭窄して、自分の今している行動が把握できなくなる。


「な、す……コール……」


 盲目の目で辺りを見渡し、手で目的の物を探る。枕元にあるはずのボタンまでが異常に遠くに感じられた。

 勇人は体を反転させて手を伸ばす。左手は患者服を破らんばかりに強く握り、右手はナースコールをしようと懸命に伸びている。

 ボタンのありそうな場所を掌で探っていくが、あと一歩の所で狙いを外していく。


「ど、どこ……」


 次第に真の胸中は焦りに満たされ、右手は何度も同じ場所を叩くだけになってしまった。

 そして彼の意識は激痛により閉ざされ、その目を閉じてしまった。


「なんで……」


 それが勇人の発した言葉だった。



  ◇


 傲岸不遜な態度で勇人の偉そうな人物が目の前に立っていた。床まで届きそうな灰のに髭に、捻じり曲がった杖を持っている。装束は白で統一され、杖を両手で支える格好で佇んでいた。

 周りは白い空間。圧倒的な広さを誇り、部屋が広いのか自分が小さくなったのか分からなくなるほどだ。天井からは大きな白い振り子が揺れていて、その巨大さはクジラを彷彿とさせるものがある。

 この空間は唯一勇人が見る事の出来るものだった。

 夢である。

 目の見えない勇人は夢の中でのみ白という感覚を手に入れる事が出来た。


「お初にお目に掛かる、我だ」


 (誰だ)


 と、この場にいる全員がそう思ったに違いない。

 そう白い部屋にはたくさんの人間がいた。見渡す限りとはいかないが、雑多に人間がいた。そして勇人はそれを見て興奮しかけていたが、自分の目の前にいる偉そうな老人は話を続けた。


「我は偉いのである」


 開口二番目の言葉がこれであるが、勇人の胸中は興奮で包まれていた。目に見える他人が話しているのである。これを興奮と言わず何というのか。


「そして我は子供たちが大好きなのである」


 ロリコン・ショタコン発言があっても勇人は怯まない。


「そして皆の衆は今死にかけているのである。我は大変悲しい」


 この言葉に勇人は反応し夢を見る前に、強烈な痛みが自分の胸を襲ったことを思い出した。なぜこの老人はそのことを知っているのか。


 (……俺の夢だからか)


 と、勇人は納得すると老人は委細感知せず話を続けた、


「我は皆を助けたい。しかしそれではダメなのである」


 老人は涙を流し、胸の前で握り拳を作った。その顔と所作は本当に悔しそうであり、老人がウソ偽りない話をしている事を勇人に理解させるに十分だった。 


「皆のような重病患者がたくさん治ってしまったら、流石に怪しまれるのである。現代医療では君たちは治らないし、助からないのである。そんなところに何十人も奇跡的・・・に命が救われるのは無理なのである」


 老人は今にも血の涙を流しそうになりながら、目の前の子供たちに容量の無い話を続けていく。勇人たちは結局、目の前の老人が何がしたいのかわかっていない。

 むしろ全員違うことを考えていると言って良い。


 (……死にかけているのか。ナースコールも押せなかったし、危機的状況だろうけど)


 他の子供達も同様の思いを抱いていた。中には既に大声で泣き叫んでいるように見える子供もいるが、何故か声が響いていない。

 まるで発言権など最初から無いみたいだ。


「あわわわわわ。あ、慌てないで欲しい。わ、我はチャンスをあげるのである」


 大好きな子供たちが泣いているのに気付いた老人は大慌てして、噛みまくる。何かしようとするが、その場でオロオロするだけで何もできていない。

 しかし話を聞いている子供たちも中にはいた。


 少しすると泣いていた子供たちも落ち着いて、黙って老人に視線を向けて話を促した。


「我は皆を助ける準備があるのである。ただしタダでは無理なのである。生きるという事を各々見つけて欲しいのである。生かされるのではなく、生きるという事をだ。あとはそれを行動で示すのである」


 勇人は常々感じていた「なぜ自分は生きているのか」という問いに答えは見いだせなかった。老人の命題とはやや趣旨が異なっているが、基本は似たような臭いを感じていた。


「もちろん、リスクはあるのである。時間がかかった分は皆の寿命から差し引くのである」


 つまり、何かしらの答えを見つけて行動するまでに30年かかったら、30年分の寿命が無くなるという事である。

 これには皆口を開いて抗議を申し立てようとしているが、当たり前のように声が出ていない。

 老人は若干体が引き気味になりながらも、説明を続けた。


「な、何を言っているのである。皆、今死にかけているのである。破格の条件ではないか。成功すれば生き返るのあるぞ?もちろん皆の病気も治してあげるのである」


 (!!)


 全員の声が聞こえるかのような驚きが辺りを包み込んだ。

 勇人自体は周りがどうとか、これが夢なのか、そういうのを抜きにしてもその言葉はどんなものよりも尊く感じた。


 (……ベーチェット病の完治!!)


 勇人の疾患はベーチェット病と呼ばれる病気にかかっていた。日本では公的な助成金が給付されるほどの難病である。

 原因は不明で、粘膜、皮膚、眼にくり返し炎症症状が現われる難病である。主な症状は4つある。

 ①口腔粘膜のアフタ性潰瘍(口の中の粘膜の炎症)

 ②外陰部潰瘍(股間、性器の炎症)

 ③皮膚症状(全身にできもの、虫刺されが大きく腫れる、こすったり刺激に弱くなる)

 ④眼症状(目の炎症、かすみ、視力減退など)

 これら4つが揃うと完全型と呼ばれ、ベーチェット病は患者に猛威を振るう。

 さらに副症状と呼ばれるのもがあり、関節炎、副睾丸炎(男性の場合)、血管病変(血管が詰まる)、腸管病変(腸に炎症を起こし、穴があいたりする)、神経病変(脳内の病変によって中枢神経が異常をきたす)等、5つの症状が現れる場合がある。

 勇人は全ての症状があらわれており、さらに失明に運動障害と最も重い症状があらわれ、完全介護が必要な患者であった。

 先の胸の痛みは血管病変による血管の閉塞だった。


 (これが夢じゃなかったらどんだけ良かったか……)


 目の前に垂らされた餌を前にして、それが偽物である事を確信している勇人。しかし、周りを見るとそんな様子は無かった。皆一様に手を合わせ、聞こえはしていないが感謝を述べているように感じる。


「良い良い。我は子供が好きなのである。未来ある子供たちには平等に機会が与えられるべきなのである」


 老人は手を上下させ軽い様子で皆をたしなめている。

 勇人はそんな光景を信じられないような気分で見ていた。


 (何でそうなるんだ。これは俺の夢だろ。まるで俺がそう望んでいるみたいじゃないか)


 勇人が深層心理でこれほどまで助かりたいと思っていたのか疑いきれなくなっていた。

 そしてこれは本当に夢なのかどうなのか。

 ここにいる子供たちは自分と同じく意志があるのではないか。


 (どっちなんだ。何が正しい……)


 勇人は周りを見ると己の足元を見てしまう。両足で地面を踏みしめてしっかりと立ち上がる自分。夢の中でだけでそれが出来る。しかしいつもはあやふやな自分像が確固たるものとされ、さらに周りには完璧なまでの人々。まず自分が見た事が無いものをどうやって夢で見ると言うのだ。夢は記憶の整理。見た物・聞いたものを整理するための時間のはずだ。勇人は人も見た事も無ければ、肌の色が違う人を見た事も当然ない。起きている間は適当な想像で人を作り上げていたが、ここまでの完成度の想像は一度としてなかった。細部まで完璧に動き、更には感情まで再現している。


 (俺にこんなものを見る事は……)


 目が見えないゆえの結論。


 (本当なのか……?ベーチェット病を治せる……?しかも目まで治るのか……?)


 勇人は考えをまとめていると、老人の声が耳に入り顔を上げ老人を見た。

 老人は依然、悠然と佇んで威厳がある立ち振る舞いをしていた。先程慌てていたような様子はない。


「では、そろそろお別れじゃな。皆頑張ってほしい」


 老人の話はいつの間にか終わっており、勇人はその頃になると覚悟を決めていた。

 手を握りしめ、絶対の意志を自分に言い聞かす。


 (本当だったら絶対に治す!!)


 そして白い空間から一斉に少年少女は姿を消して、老人のみが残された。

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