一、フランソワ・ノエル・バブーフ8
ノエルが男子生徒を文字通り叩きのめしていた丁度その頃、ポチョムとマリーは畑に出ていた。ノエルは朝の用事を手伝うと、元気に学校に出ていった。朝起きて、出かけるまでもひと騒動だった。
「いい娘ですな。ノエル殿は」
ポチョムは出かけるまでのノエルを思い出す。
肘打で起こされると、朝からヒゲに両手でぶら下がられた。タオル代わりに毛皮で顔を拭かれるや、凍える手は容赦なく脇の下に突っ込まれた。
尻尾の固結びチャレンジは、さすがにマリーが止めさせた。だがマリーが見ていないところで、ちゃっかりヒゲを一本結ばれてしまった。
「なかなかああは、素直に育ちませんぞ」
ヒゲはマリーにほどいてもらった。それでも少々癖がついてしまったそのヒゲを、ポチョムが楽しげに揺らす。
ポチョムは今、畑を耕す手伝いをしている。もちろん前足に鋤や鍬を持って、耕している訳ではない。随分と昔に手放した農耕馬用の、農耕器具を納屋から引っぱり出してきたのだ。
農耕馬用のプラウ――スキだ。鋭い杭状の木が何本かついた器具が、畑の固い土を次々と耕す。本来馬が牽引する為の縄がついており、その先はポチョムにくくりつけられていた。
農耕馬が引っぱる代わりにポチョムが引っぱり、マリーが乗って体重をかけることで畑を耕していた。生活の為に馬を手放してからは、久しくしてない作業だ。人力よりも随分と早く、楽に畑が耕せる。
「どうにも、お恥ずかしいことに、周りに合わすということを知らない娘で……」
「いやいや。ワシのような素性の知れない者に、なかなかああは接せられませんですぞ」
「本人は前から猫を飼いたいって言ってましたから、多分のその代わりだと思いますよ」
「がはは。随分と大きな猫ですな」
ポチョムは豪快に笑った。昨日まで死を覚悟していた自分が、もう腹の底から笑っている。昨日のあの死すら覚悟した思いが、嘘のように晴れ上がっている。そしてポチョムには、それがおかしいことにも思えない。
「ははは。頭もいいし、見たところ魔力もかなりあるご様子。将来が楽しみではないですか?」
ポチョムは上機嫌で続ける。畑で泥に塗れて働くことが、こんなに楽しいこととは知らなかった。
蹄のないポチョムは、少々よろめきながら畑を進む。だかそんなことすら、この魔獣には嬉しい。一歩一歩歩く度に、確実に畑が耕されていくのが分かる。
壊すこと、殺すことしか鍛錬しなかった、軍属時代が幻のように思える。
「今の時代、ただ魔力が強くてもですね……」
「何かお困りでも?」
「この畑…… どう思います? ポチョムさん」
「失礼を承知で言わせていただければ…… 随分と痩せた土地でいらっしゃる……」
「そうなんですよ…… 本当はいい土地なんですけど、隣の畑の地主が嫌な人でしてね…… 魔法で人の畑の養分を持っていってしまうんです……」
「何ですと。ですが、お二人とも魔力はお強いご様子。それでも防ぎ切れないものなのですか?」
軍属として育てられたポチョムには、畑仕事の苦労が分からない。
だがこの魔法世界。魔法の力が強い者は、各方面で有利なはずだ。そして二人の魔力はポチョムをして、感心させられた程だった。
「魔力が強いのはノエルだけですよ。私はからきしで…… あの娘には学校にいって欲しいし、どんなに頑張ったって、畑につきっきりという訳にはいかないですし…… 向こうは金に物を言わせて、人を雇ってまでちょっかい出してきますしね…… こっちの地主はお金があっても、魔力が弱くてね、見て見ぬ振りですよ…… そのくせ小作料だけはしっかり持っていきますし…… でもね、ノエルの魔力は本当に凄いんですよ。ノエルなら一人でも向こうの地主と渡り合えるんでしょうけど、やっぱり娘の身では心配でしてね…… 耐えさせてるんです……」
「そうでしたか……」
ポチョムはマリーの言葉に、反乱の同志を思い出す。
反乱に加わったのは、皆貧しい階層の出の者だ。一度貧困層に落ちると、なかなか這い上がれない。富める者は富み、貧しい者は貧しいままだ。金にあかせて、他人の物を奪う者までいれば、それは尚更だ。
「魔力が強いのは、ノエル殿だけでしたか…… では昨日ワシを運んだのは――」
ノエル殿一人の力か――
と、ポチョムは後に続く言葉を内に呑み込んだ。口に出して言うには、少々信じられない。そう感じたからだ。
十四、五歳の少女に、普通そんな力などない。それは口に出して言えば、我ながら嘘のように感じられる程の力だった。