四、二月革命2
首都サンクトペテルブルクは、激動の中にあった。
投石する市民。発砲する軍隊。暗躍する扇動者。統一されていない暴徒。打ち焼かれる家屋。届かない命令。叫ばれる要求。怒号と化す号令。武器を持ち込む過激派。泣き叫ぶ子供。動かなくなった母親。倒される屋台。祈る老婆。死して尚踏みつけられる市民と兵士。止まらない暴力。終わらない恐怖。そして、ほくそ笑む革命論者――
ポチョムの弱った鼻でも分かる。火薬や建物が燃える匂いが、首都を覆っている。
「冬の宮にいきましょう」
コミュンは首都に入ると、ポチョムの背中から降りた。
地響きかと聞き間違うかのような。そして実際国の地盤を動かさんとするかのような。そんな人々の怒号が聞こえてくる。
「同志コミュン!」
「個別に人を救っていても、間に合わないわ。直接魔法皇帝に会わないと……」
「倒すのか? 魔法皇帝を? この国を?」
この暴挙。止められるものなら止めている。
ポチョムの知る魔法皇帝なら、そうしているはずだ。
それが上手くいっていない。やはりこの国は、その使命を終えようとしているのかもしれない。最後の手段は、皇帝の廃位。そして帝政の廃止だ。それはもう暴動ではなく、革命だ。
「血の日曜日と同じ惨劇が、繰り返されようとしているわ」
「……陛下も望んでやっている訳ではないだろう……」
「そうね。魔法皇帝は国を守るということで、民を守ろうとしているのかもしれない。でも、民はもう限界にきているわ」
「……押さえても押さえても、尊い命が犠牲になるだけか……」
「そうよ。倒すにしても、説得するにしても、直接会わないとね」
「……」
「それができるのは、私達だけよ」
「そうか…… 分かった。同志コミュン、止めまい。だがせめて、これを」
ポチョムが軽く念じると、コミュンの目の前に超タウリンが呼び出された。
「無茶だけは禁物ですぞ」
「分かったわ。ありがとう」
コミュンは上着のポケットに、劇薬のガラスの小ビンを押し込んだ。
「同志コミュン。それと一つ…… 聞いておいてもらいたい……」
「?」
「ワシは反乱を起こした。だから追われ、死にかけてさまよっていた。反乱も、起こしたかった訳ではない。最初は兵士の待遇改善を求めただけだった……」
デモや暴動が起こる度に、ポチョムは自身の反乱を思い出す。ささやかな要求をして、大逆の罪に問われた。僅かな要求で、多くの者が命を落とした。
「ここの皆も同じだろう。皆やむを得ずに、立ち上がっている…… だから反乱や革命を、必要以上に美化してはいけない……」
「……」
「それだけだ…… いこう!」
コミュンとポチョムは、冬の宮に向けて駆け出した。
「陛下…… 私も敵を迎え撃ちに出ましょう……」
皇帝の家族達が冬の宮を逃げ出す為に、謁見の間から背を向けて走り去っていく。
その背中を見送りながら、皇帝直属の僧侶は言った。
謁見の間に残っていたのは、魔法皇帝とその僧侶。そして僅かばかりの衛兵。
僧侶は魔法皇帝の護衛の為の最後の砦だった。
だが自分も打って出なければ、時間が稼げない。この僧侶はそう判断した。
「すまない…… この国はもうダメか?」
占いもよくする僧侶に、魔法皇帝は思わずそう訊いてしまう。
「陛下があきらめれば、そうでしょう」
「……」
「ですが、皇后様達が逃げ出す時間…… その間は存続してもらわないと…… 私も皇子殿下の病気を治療したかいがございませんので……」
僧侶はゆらりと前に出る。
痩身で背が高く、頬までこけたその姿は、見るものに威圧感を与えた。
四十前後と思しき精悍な男性僧侶。
その無精髭とこけた頬がなければ、美丈夫と誰からも思われることだろう。
「頼んだぞ」
「ハッ!」
僧侶は返事とも気合いともとれる声を発すると、飛ぶように部屋を出ていった。
市の中心部に向かったコミュンは、ネフスキー大通りを駆け抜ける。
「ダメよ!」
市民に危害を加える兵を見つける度に、その鎌と鎚で、銃やサーベルを打ち払った。
「やめておけ!」
武器を失った兵士に、ここぞとばかりに群がる市民達。思わぬ立場の逆転に、市民達は残虐な興奮を隠し切れない。
ポチョムはわざと大きく歯を剥き出して、その巨大な顔で威嚇した。
『殺せ』や『やっちまえ』と叫んでいた市民達が、クモの子を散らすように逃げていく。
「……」
駆けるコミュンの足が戸惑うように乱れた。視界の端に写った空き地に目を奪われる。
「同志コミュン? どうした?」
「ううん…… 何でもないわ」
脳裏に一瞬浮かんで消えた、元気な少女。逃げてくれているだろうか? こんな時でも笑顔を絶やさないだろうか? どうしても考えてしまう。
「うん。何でもない」
コミュンは首を振る。今は考えまいと、意識して強く振った。