三、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ6
「何で、そんな鎌と鎚を振り回すのよ?」
肩で息をしているノエルに、一つも息が乱れていないアニーが訊いた。
「……市民を…… 守る為よ…… その力が欲しいからよ……」
「あんな腕で?」
「さっきはちょっと油断しただけよ!」
「油断ね……」
「何よ……」
「じゃあ。本気でいくわ!」
アニーはスッと構えると、サーベルの切っ先をノエルに向けた。
「なっ? 本気ですって!」
そのセリフと挑発の態度に、ノエルはあっさりと乗る。勢いよく体を上げた。
「ハイッ!」
「く……」
ノエルは構えるや否や、左肩を打ちつけられる。アニーの攻撃は、先程にも増して鋭く速い。見えたかどうかも、ノエルには怪しい。
「何? 手抜いてたっての?」
「どうかしら! ハイッ! それっ! やっ!」
次々と打ち込まれるアニーの攻撃。ノエルは防戦一方に押し込まれる。
「く…… この……」
「市民を守るだなんて、その腕じゃ危ないわよ! 考え直したら?」
アニーが次々と打ち込む。
ノエルは捌き切れない。ノエルの体に見る間に青あざができる。
「まだまだ」
それでもノエルは倒れない。むしろ『市民』という言葉を聞くとともに、ノエルの中で新たな闘志が湧いてくるようだ。攻撃は押されているというのに、体が更に前に出ようとする。
「だっ! ヤッ! はっ!」
「はいっ! おっと…… やるわね!」
アニーは時折押され出す。アニーの技の切れよりも、ノエルの気迫が上回り始める。
「何故? ノエルが! 戦わなきゃいけないの?」
「私は市民を守るの! あの人達を守りたいの!」
その思いを乗せたかのように、ノエルは力強く得物をふるう。
市民という言葉とともに思い浮かぶ、あの血の日曜日事件をノエルは思い出す。打たれても打たれても鎌と鎚をふるう。市民の為に得物をふるおうとする。
「やっぱりグラキュース気取りね! こんなところにきてまで、護民官のつもり? でもクラスも市民も、思いだけで守れる訳ないわ!」
「うるさい! そうよ! 私はグラキュース! グラキュース・バブーフよ! ヤッ!」
「く…… この……」
アニーは出足が遅れ出す。機先を制せられない。最初はあしらうように、ノエルの攻撃を捌いていた。それが今や、己の懐で攻撃を迎え撃っている。
半歩下がっては攻撃を避け、半身に避けては攻撃をいなさなくてはならなくなっている。それはアニーには思ってもみなかったことだ。
「うぉぉぉおおおぉぉぉっ!」
ふるう。ふるう。ふるう。
ノエルは一心に、魔法の鎌と鎚をふるい出す。
「……なっ…… く……」
アニーは余裕がなくなる。また半歩下がらされた。
アニーは悟る。このままでは壁に追い詰められる。
攻撃を存分に当てていたのはアニーのはずなのに、今や追い詰めているはノエルだ。
ふるう! ふるう! ふるう!
ノエルの無心の攻撃が、更にアニーに襲いかかる。
「だああああああぁぁぁっ!」
「この……」
ノエルの気迫が、アニーを押し下げる。アニーの鼻先をかすめて、風切る音が次々と唸りを上げる。
同じ方向に退くのは不利。そうと分かっていながら、アニーは体勢を入れ換えることができない。アニーは後ろを振り向く余裕すらない。それでも分かる。壁はもうすぐそこだ。
何とかしないとと焦ったその時、退いたアニーの足に何かが当たる。
アニーはほぼ無意識に、それを前に蹴り出した。
「――ッ!」
突然足下に現れた角材に、ノエルが足を取られる。ノエルは一瞬で、バランスを崩した。
「ハッ!」
アニーはその刹那の隙を突いて、一気に前に出た。裂帛の気合いとともに、氷でコーティングしたサーベルをノエルの右肩に打ち込む。
――ガンッ!
という衝撃とともに、ノエルは間一髪でその一撃を止めた。こめかみ近くに感じるその風圧と威圧。入れられてはいけない威力の一撃が、届かせてはいけない位置に打ち込まれていた。
鎌で受け止めたアニーの得物は、ノエルの右肩の上で微かに隙間を空けて止まっていた。
「この……」
ノエルは右手の鎚をふるう。だがアニーに肩口を抑えられた攻撃は威力がなく、簡単に避けられてしまう。そして無理に右手で攻撃した為、更にアニーに押し込まれた。
「く……」
「私の勝ちよ! 観念しなさい!」
アニーが完全に上から押さえ込む形になった。アニーは右足を後ろに退いたノエルを、更に押し込もうとする。
だがノエルの目は、
「まだよ!」
まだ死んでいなかった。