三、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ3
その凛とした少女の声に、騒ぎを取り囲んでいた市民が一斉に振り向いた。少女は一瞬にして、周囲の視線を釘づけにする。
同性のノエルですら、そう今まさに暴漢に立ち向かおうとしていたノエルですら、その少女の放つ気品と雰囲気に目を奪われる。
「あっ……」
そしてノエルは苦々しげに呟いた。知っている顔だったからだ。更に言えば知っているその顔の持ち主に、一瞬目を奪われてしまったからだ。
少女は質素だが気品溢れるドレスを着ていた。大きく可憐な瞳を陽光に輝かせ、自信に満ちあふれた笑みを浮かべている。よく梳かれていると思しき金髪を腰にふわりと流し、意思の強そうな唇の赤を見せつけていた。これ程の少女はそうはいない。
「ブルジョワ…… またあんたなの? てか、何でここに……」
そう、その少女はアニーだった。アニーは一歩前に出た。
「大の大人が、年端もいかない少女に恐喝とは。恥を知りなさい!」
「何だ、てめぇは?」
「私? 私はアニー。ただの通りすがりよ」
アニーはそう言うと、力強く歩き出す。騒ぎの中心までくると、ノエルと花売りの少女を背にして暴漢と対峙した。怯みも怯えも何もない、やはり凛とした立ち姿だ。
「もう一度言うわ。お止めなさい。でなければ私が相手よ」
「何を!」
「イワンの兄貴ぃ! 生意気だぁ! やってやれ!」
「いや、俺っちにやらせてくれ! いたぶってやる!」
「ちょっと! いきなり現れて何カッコつけてんのよ?」
三人組がいきり立たった。ノエルも一緒になって声を荒らげる。まるで仲間の一人のようだ。
「危ないわ。あれ? あなた、ノエルじゃない? 何してるのよ? こんなところで」
「なっ? 今気がついたのね! 腹立つわね、あんたは! いつもいつもいつも!」
「まぁいいわ、危ないから――」
「危ないのはあんたよ。下がってたら。ブルジョワさんには荷が重いわよ!」
アニーに皆まで言わせまいと、ノエルはその前にずいっと出た。
「私はブルジョワさんじゃないわ、アニーよ。何度も言わせないで。いいからここは私に――」
アニーは更に、そのノエルの前に出ようとする。
「何言ってんのよ! ここは私が助けを頼まれたの! ブルジョワさんはお呼びじゃないの!」
「あなたね! そんなへんてこな武器で、何をしようって言うのよ!」
「何を! これは鎌と鎚! 農具と工具! 貧農の命の道具に、へんてことは何よ!」
「少なくとも武器じゃないじゃない! 下がってなさい!」
少女二人がいがみ合う。どちらが戦うか、声を大にして言い争った。
「はは、楽しそうだな? お嬢ちゃん達!」
「何処がだ!」
あきれた様子のイワンに、ノエルが勢いよく振り返える。
「おっと。怖いね」
イワンはおどけたように掌を向けながら、降参の仕草をしてみせた。その笑みの自信は手に持った鉄パイプだろう。その硬さを誇示するかのように、掌に何度も打ちつけ始める。
「待ってなさい! 今、決着をつけるから!」
鉄パイプに怯みもせず、ノエルが相手を睨みつける。
「そうよ! 黙ってなさい! いまこの娘と話をつけるから!」
「俺っちは、金髪の娘がいい!」
「オレは兄貴にぃ、任せるぅ」
「二人いっぺんに相手してやるよ。かかってきな!」
イワンが鉄パイプを、威嚇の為か大きく一振りした。わざとらしい舌舐めずりの真似までして、得物を構え直す。後の二人もそれぞれに身構えた。
「どうする? ブルジョワさん? 足引っ張るのなら、遠慮して欲しいんだけど」
「アニーよ。舐めないでね。こう見えても私、結構強いのよ。知ってるでしょ?」
「ふん。フォローはしないわよ」
「ええ、別に結構よ」
ではと、ノエルは魔法の鎌と鎚に魔力を送る。二つの得物が一瞬光に包まれた。
「何? ノエル? 今の?」
「氷でコーティングしたのよ。怪我させても、後味悪いしね」
「なるほど……」
アニーが左手を内から外に払った。その手には虚空より現れた、一振りのサーベルが握られていた。アニーが右手にサーベルを持ち替え軽く念じる。
サーベルがこちらも一瞬光り、その刃が氷に包まれた。
「ちょっと、真似しないでよ」
ノエルが赤毛の少女を後ろに押しやる。赤毛の少女は怯えた様子で、後ろに下がった。
その時赤毛の少女が小さくほくそ笑んだことに――
「いいじゃない」
「よくないわよ」
ノエルもアニーも気づかない。
「ごちゃごちゃと!」
イワンはそう叫ぶと、欲望に歪んだ顔で前に出た。