三、アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ1
マリーはノエルを抱き締めた。
「……」
生きて家に帰ってきた娘。ただただ黙って抱き締めてやることしかできない。
吹雪く外の天気よりも、もっとひどいものを見てきたであろう娘。せめて我が家の温もりをと、マリーはノエルを強く抱き締める。
「ごめんなさい……」
ノエルはマリーに身を任せ、その胸に顔を埋める。心配をかけさせた母。怪我も服も魔法でなおしたが、やはり顔に出たのだろう。
「……」
ポチョムは音を立てないようにと、静かに家の床にお腹を落とす。邪魔にならないようにと、親子の喜び合う姿を黙って見つめた。
私にも、よく分からないの――
コミュンのことを問いただすポチョムに、ノエルはそう言った。
二人はサンクトペテルブルクの外で落ち合った。ノエルは元の姿に戻っていた。
まだ煙を上げる首都を遠くに見ながら、二人は話し出す。
暴動は下火になり、兵は秩序を取り戻し始めていた。二人にできることは、もうこれ以上ないだろう。目立つポチョムのことを考えると、早めに脱出した方がいい。
二人はそう判断すると、家に向かって歩き出した。
超タウリン…… 魔法の鎌と鎚…… 聖母への祈り…… ノエルの才能…… 謎の呪文――
抱き合う親子を見つめながら、ポチョムはあらためて考える。
何がノエルに力を与えたのか? ノエルの魔法同志への変身の原因は? 力の源は?
帰り道でそのことばかり考えるポチョム。
そのポチョムにノエルは言う。
問題は変身の原因じゃないわ…… その使命よ――
前を見据えて言うノエル。その横顔。その視線。随分とポチョムには大人びて見えた。
使命――
その言葉とともに、ポチョムは親子を見る。微笑み合う親子。互いを気遣い合う、優しい親子だ。娘が暴動で瀕死の重傷を負うなど、あってはならない親子だ。
使命とはなんだ――
ポチョムはもどかしい。あれだけ危険な目に遭って、まだノエルは使命などと口にする。
十五の少女が背負わなくては、ならないものなのか――
ポチョムは自問する。ノエルはまた、戦いに身を投じるかもしれない。使命などと口にしている以上、そのことは考えなくてはならない。戦いに出るつもりなら、思いとどまらせなくてはならない。戦いの悲惨さは、ポチョム自身がよく知っているつもりだった。
「ポチョムさん。ありがとうね……」
不意にマリーがポチョムに振り返った。
マリーの目の端に光るものに今更ながら驚かされ、
「あ、いや…… その……」
ポチョムは色々と言い淀んでしまった。
冬の帝国は揺れていた。かつてなく揺さぶられていた。
今までは、どんなに揺れても一応の静寂は取り戻していた。
国を揺さぶろうとする革命論者。押さえつける帝国。
不満を口にする市民も、革命論者の押さえつけに国が成功すると、一度は落ち着きを取り戻す。どんなに国が揺れようと、やはり魔法皇帝の権威は絶対だった。
皇帝あっての国。帝国だ。自分達のよって立つところは、やはり帝国臣民であることだ。
しかし帝国は教会に発砲した。そしてガポン司祭は、その命すら落とした。皇帝はもう、聖教会の守護者たり得ない。そのことが人々の心を、魔法皇帝から引き離し始めた。
そして首都に瞬く間に広がった、ある少女の噂――
人々はその少女のことを、口々に噂する。少女のことを、皆が声をひそめて話し合う。
帝国は聖教会の守護者たる使命を放棄した。そしてその時現れたのは、一人の少女だった。
暴動の中、多くの者をその魔法で癒した少女。暴挙の中、多くの兵をその魔力で退けた少女。
市民は皆、あの混乱の中では顔もよく覚えていない。
だが癒しと戦いの少女は、誰もが皆、同一人物だと信じていた。圧政に苦しむ市民の為に、聖母様が少女を遣わした。人々は希望を込めてそう噂する。そしてその噂を信じようとする。
そう――流される噂のままに。
その噂は、帝国にとって致命的だった。帝国はなす術もなく、揺れ続けた。
帝国は揺れ動くままに、次の事件を迎えようとしていた。