二、血の日曜日15
「何だ……」
ポチョムは呆然と呟く。今自分は何を見ているのだと、何が起こっているのだと、目の前の現実を必死に把握しようとする。だが理解できない。ただただ驚愕に目を見開く。
最初に動いたのは、徴用されてきた貧農出の兵士だった。崩れるように膝を折る。一瞬にして耳も、声も、目も奪われた。そして今や、心を奪われ、魂すら奪われている。
若い兵士が次々と膝を着く。中にはまるで聖母に祈るかのように、手を合わせる者もいる。
「何をしている!」
隣の兵士が膝を着く鈍い音に、やっと我に返った士官が叫んだ。叫んで己を鼓舞しなければ、訓練を受けた士官すら、この場で戦闘を放棄してしまいそうなのかもしれない。
それ程の神々しさを、突然現れた少女は放っていた。
「立て! 立て! 立って、戦え! 皇帝陛下の兵であるぞ! 我らは!」
士官は自分の銃で、兵士達を叩きつけた。兵士達はお互いの顔を見ている。それはまるで、皇帝と目の前の少女とを、同列に比べているかのようだ。
「撃たんか!」
「う…… うわぁっ!」
士官に背中を叩かれた兵士が一人、震えながら銃口を上げた。
「あぶないっ!」
ポチョムが叫ぶ。
「ふふっ……」
コミュンと名乗った軍服の少女は、小さく微笑むと前に駆けた。
あっと、兵士が思う間に、コミュンは銃口を上げた兵士の懐に入り込んでいる。右手を下から上にふるった。コミュンの鎚に弾かれて、兵士の銃が宙を舞う。
「おのれ!」
士官は振り絞るような声を上げ、銃口をコミュンに向ける。力と勇気も振り絞っているかのようだ。力の入り過ぎた銃口が、コミュンではなくその横の兵士の方を向いてしまっている。
「食らえ!」
士官は自分の標準が、全くぶれてしまっていることに気がつかない。目の前の少女の放つ畏怖の気に負けてしまっている。一刻も早く、引き金を引いてしまう。それしか考えられなくなっているようだ。プレッシャーに押しつぶされて、目までつむってしまう。
弾丸が射ち出された。弾丸は、やはりコミュンではなく兵士に向かって飛んだ。
「ダメよ!」
「ノッ――」
ノエル殿と言いかけて、ポチョムは慌てて口をつぐむ。本名を危うく叫びかけてしまったからだ。そして何より、少女が一瞬で、士官の銃口と兵士の間に立ち塞がっていたからだ。
コミュンは左右の鎌と鎚をふるう。それだけで飛び出した弾丸を弾き飛ばした。
「な……」
あまりの光景に、ポチョムは声を失う。それは周りを固めた兵も同じだった。
皆が息を呑む中、魔法同志コミッっ娘コミュンこと――フランソワ・ノエル・バブーフは、
「退きなさい!」
凛としてそう命じた。
その後、軍は総崩れした。
反乱の手配者を追い詰めていたはずの部隊が、袋小路から雪崩を打ったように走り出てくる。そのもつれるような足取りに、すぐにそれは敗走だと知れた。
事情の分からない他の部隊の士官が、逃げ出した兵士をつかまえて詰問する。兵士の目は全く焦点が合っていない。まともな返事すら返ってこない。ただ一言聞き取れたのは『聖母様が……』という、意味不明の言葉だけだった。
「クソッ!」
詰問していた士官は兵士を突き飛ばすと、注意深く銃口を袋小路の入り口に向けた。
壁の崩れる音と、銃声。確かに何かあったのは、聞こえてきた音だけでも分かった。銃声の前に、何か閃光のようなものが光ったことも、離れていた部隊からでも分かった。
だが武装した兵士達が、追い詰めた相手に腰を抜かさんばかりに逃げ出してくる。その理由が分からない。
「革命論者か?」
武装した兵士に、一定以上の脅威を与える存在など、それしか考えられない。だが仮に革命論者がいたとしても、その数は多くはないはず。兵士の脅威となるようなことはないはずだ。
「出てこい!」
その声に応えるように路地裏から現れたのは、手負いのアムールタイガーと一人の少女――
赤く染められた軍服のようなドレスを着た年端もいかないその少女が、鋭い視線を周りに投げつける。そして脇に控えたその手負いの虎の傷は、瞬く間に塞がっていく。
「ノエル殿……」
ポチョムは思わず呟く。魔法同志コミュっ娘コミュンとなったノエルは、敵を圧倒する力を見せつけた上に、ポチョムの魔力と体力すら回復してみせた。二人はその魔力で、ポチョムの傷を癒す。応急処置だが、ポチョムは十分動けるまで回復した。
「しっ…… 今はコミュンよ。手分けして兵を追い払いましょう」
コミュンが鎌と鎚を構えた。
「しかし……」
「言ったでしょ。今の私はコミュンだって。今の私は魔法同志なの。話は市民を逃がしてから」
コミュンがポチョムに微笑む。これから戦いに臨むと言うのに、柔らかな笑みだった。
「同志ポチョム!」
コミュンは凛とした声で、呼びかける。その迷いのない呼びかけに、
「同志コミュン!」
ポチョムは堂とした声で、思わず応えてしまう。
魔法同志コミュっ娘コミュン。
魔法のマスコット猛獣――戦漢ポチョムくん。
「いくわよ!」
「オウッ!」
二人はお互いに声をかけ合うと、群がる兵士に向かって駆け出した。