二、血の日曜日12
ポチョムは兵士の注意を引きつけては、発砲を避けて通りを逃げ続けた。
「追え!」
士官が叫ぶ。元より四足歩行のポチョムには、追いつけるはずもない。
それでも、ポチョムは時折立ち止まっては振り返り、威嚇する振りをする。振り切っては意味がない。兵士が追いつくのを待つ為に、わざと時間を使う。
「貴様らにやられるワシではない!」
多くの兵士が市民への発砲を止め、ポチョム追跡に加わった。ポチョムの思惑通りだ。
次々と撃ち出される銃弾を、走りながらポチョムが避ける。追走しながらの狙いが定かではない銃撃だが、時折ポチョムの皮膚をかすめる。
「おのれ!」
士官の一人が、ポチョムの前に立ち塞がった。左の掌を差し向けている。
「魔法か?」
ポチョムが魔力を己の鼻先に展開する。瞬時遅れて紅蓮の炎が、ポチョムに襲いかかった。
「障壁魔法? さすがと言ったところか! マスコット猛獣!」
士官は炎がポチョムの魔法の障壁で防がれたと見るや、腰のサーベルに手をかけた。抜き放った勢いのまま、ポチョムに斬りかかる。
「斬れぬよ! そんな、なまくらでは!」
ポチョムの爪が、サーベルを弾く。左から右にふるった、左前足の爪だ。そのまま右前足を返す刀で士官にふるいかけて、その鼻先で止めた。
いつもなら伸び出るはずの爪が、一本なかったからだ。その違和感で出し損ね、そのまま攻撃を止めてしまう。
このまま勢いに任せて右前足をふるっていれば、士官の命を奪っていただろう。だがポチョムはためらってしまった。
「ノエル殿……」
ノエルならそんなことは望みはしない。そう思ったからだ。
ノエルは立ち上がれない。腕は上半身すら、支えられない。
這っていき、頬を地面に着けて舌を出し、顔を傾けた。
ノエルは泥だらけの――床を舐める。
超タウリンと混じり、泥と化した床のホコリを舐める。
ジャリッという音がした。
床を削るように舐める。
舌が痛い。泥の味はひどく不味い。
そして劇薬とも言うべき、超タウリンがノエルを襲う。
「グエッ…… グ…… ゲボ……」
すぐに吐いてしまった。ノエルは激しく身を捩る。
「ぐ……」
それでもノエルは、もう一度舌を出す。
己の反吐が混じってしまった、泥の床を舐める。
「ガァァァァ……」
やはり吐きそうだった。
それでも喉元まで迫り上がったものを、ノエルは押し戻す。
超タウリンが更に負担をかける。
――ゴキ……
折れた骨が、無理矢理繋がった。
「――ッ!」
その物理的な衝撃が痛い。
「……グアッ……」
しばらくして、やっと声が出る。折れた時以上の痛みだ。
床を舐める。薬と涙と涎に塗れる床を舐める。
「ガガガガガ……」
歯が鳴る。無自覚に鳴る。止まらない。
皮膚が無理に繋がろうとする。
何とも言えないかゆみが、皮膚の上を這い回る。
幾万ものイトミミズがうごめくような、この己の皮膚をかきむしりたい。
「グッ……」
歯を食いしばって、その欲求を耐える。
足りない血を送り出す、骨髄が焼けるように熱い。
全身の痛みを受けつける頭は、内側から割れるようだ。
「――ッ! ――ッ! ――ッ!」
悲鳴はまたもや、声にならない。
かろうじて出せるのは、『ヒュウ――』という乾いた音だけだ。
だが一番痛いのは――
まぶたにポチョムの背中が浮かぶ。
ポチョムくん――
ポチョムにもらった鎌と鎚を、ノエルは力の限り握り締める。
ノエルは床に歯を立て、かじりついた。
戻ってきた力で、周囲の泥をかき集める。一気に口に押し入れた。
「――ッ!」
超タウリンがノエルの中で爆ぜる。
ノエルは涙と泥だらけの顔と姿で――
「ウワァァアアァァァァアアアァァァッ!」
立ち上がった。