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二、血の日曜日11

 ポチョムは民家を飛び出した。一息にその場を離れ、通りを駆け出す。

「兵よ! 聞け!」

 十分距離をとったと見たポチョムが、手短な小屋の屋根に登って吠える。

「先に港で起きた反乱…… その首謀者を捜してはいなかったか?」

「何?」

 兵士が顔を上げる。ポチョムが威嚇するかのように、更に低く唸った。

「貴様? 手配書の!」

 前年に起こった黒海での反乱騒ぎ。戦艦を奪った上での、国家への反逆だった。

 その首謀者は、一匹の魔獣。

 今目の前にいるのは、手配書通りのアムールタイガー。人語を話す獣。兵士を挑発するかのようなその態度。間違いようがない。

 反逆者の長にして元貴族――追われる身の、魔法のマスコット猛獣だ。

「降りてこい! 貴様も一度は公に列せられし貴族! 悪あがきは見苦しいと思え!」

 士官がポチョムの迫力に、負けじと吠えた。

「ほぅ…… そのか細い首筋で、よくそれだけの声量が出るものだな……」

「何を……」

 士官は思わず首筋に冷たいものを感じる。人間として、か細いと言われるような首をはしていない。むしろ地方から集められた農民出の兵士と違い、職業軍人として日頃から鍛錬を積んでいる。そこらの人間と比べても、一回りか二回りは太い喉周りのはずだ。

「一噛みで終わるその首…… 生意気を言うようなら、今すぐくびり落としてくれよう!」

 ポチョムはことさら時代がかった物言いで、残った左の牙を見せつけた。

 続々と兵士がポチョムの足下に集まってくる。多くの者が及び腰だ。

 虎というだけでも恐怖。シベリアの虎なら、尚恐怖だ。

 本能的な恐怖に兵は怖気づく。ましてや魔獣だ。畏怖すら感じる。

 そしてその虎が放つ明確な敵意。

 一噛みで終わる首を何本並べても、この猛獣の放つ野生の気に、対抗することなどできそうにない。人間など、野生と魔法の前では圧倒的な弱者だと思い知らされた。

 ポチョムは集まってきた兵士を、一人ずつ睨みつける。自分をことさら印象づけた。

 かなわないと一度印象づけてやり、頃合いを見て逃げ出すつもりだった。千載一遇の好機と思わせて、浮き足立たせ、なるべく自分に引きつける。兵士をこの場から、遠ざける。

 ノエルが回復し、逃げる時間を稼ぐ為だ。

 ポチョムは大きく息を吸い込むと、

「いくぞ!」

 自分に言い聞かせるように叫び、屋根から兵士達に飛びかかった。



「う…… いや……」

 ノエルは動かない足で民家の床を這った。全身に激痛が走る。

「――ッ!」

 だが構ってはいられない。自分の浅はかな行いで、大事な人を失おうとしている。

「動いて…… お願い…… 動いてよ……」

 ノエルは肘が擦り剥けて、血塗れになりながら前に進む。だがまるで進んでいない。

「どうして…… どうしてよ……」

 ノエルは後悔に涙する。それでも前に進もうとする。

「助けて……」

 ノエルは願う。

「聖母様……」

 ノエルは祈る。

「お願い……」

 だがノエルの願いは届かない。

「聖母…… 様……」

 ノエルの祈りは通じない。

「誰か……」

 ノエルの思いは――

「――ッ?」

 ふとノエルの肘に、何かかが当たる。

「何……」

 ビンだった。

 これは――

 ノエルの目がそのビンに釘づけになる。それは先程一口舐めて、咳き込んだ劇薬のビンだ。

 一口だけだったが劇的に回復した。だが二口、三口と口にするには、あまりに劇薬に思えた。ポチョムも一口だけしか、舐めるなと言った。

「ポチョムくん……」

 ノエルはポチョムが残してくれた、薬のビンを見つめる。蓋も閉めずに転がしたビンは、中身を空にして転がっている。

 ノエルは痛む体で、ビンを拾い上げた。中身はなくなっていた。全てこぼしてしまっている。

 ビン底に僅かに液体が残っていた。

 ノエルはビンを逆さにして、その微かな中身を舌の上に落とす。

「ガハッ!」

 やはり劇薬だった。一滴垂れてきただけだったが、むせ返ってしまう。だがグンと、力が入った。見る見る体が回復するのが分かる。

「もっと…… もっとあれば……」

 もっとあれば、もっと回復すればポチョムを追いかけることができる。ノエルはかすむ目で、その僅かな希望にすがろうとする。

 ノエルは辺りを見回した。ポチョムは一本しか出さなかった。それは見ていた。だが一片の奇跡を求めて、首を巡らせてしまう。

 あった――

 ノエルはぼやける視界で見つめる。超タウリンが染み込んだ、その泥だらけの――

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