二、血の日曜日6
首都の中心に近づくにつれて、混乱は拍車をかけていた。
逃げ惑う市民と、兵士に対抗しようとする市民。商店が焼き討ちされている。馬車や屋台がひっくり返され、臨時のバリケードが幾つも作られていた。
迎え撃つつもりか、銃を持った市民もいる。軍の本体はまだまだ先のようだ。だが何人かの市民が気勢を上げて、兵士を迎え撃とうとしている。
ノエルには見えなかったが、首都の中心はもう暴動と呼んで他ならない状況になっていた。
そして軍隊はその鎮圧に乗り出している。デモとその監視ではなく、暴動とその制圧に市民と軍の関係は変わってしまっていた。
ノエルは足を引きずる男性に出くわした。肩も押さえている。ノエルは迷わず呪文を唱える。
「これは……」
男性は目を見張った。一瞬で痛みが退いた。すれ違いざまに呪文を唱えた少女。その小さくなっていく後ろ姿を見送る。
ノエルは路肩で倒れ、歩けなくなっていた親子を見つける。
母親は足を撃たれたようだ。三つ程の子供がその側で泣きじゃくっている。母親が逃げる人に子供を託そうと、必死で手を伸ばした。
一人の女性が子供を抱きかかえ、母親も立たせようと手を伸ばす。母親は首を横に振る。泣き叫ぶ子供を女性に押しつけて、二人だけは逃がそうと、自分はいいと必死に首を振る。
ノエルは全ての魔力を、その母親に向けた。
「足が……」
近づいてくる少女から聞こえる呪文の詠唱。見る間に痛みが退き、出血が治まっていく。
「あなたは……」
女性が呆然と呟く。ノエルが近づいて手を貸した。ノエルと女性に支えられながら、母親が立ち上がる。子供が泣きじゃくりながら、母親にしがみついた。
「いって下さい!」
ノエルが叫ぶ。力強い言葉だった。
その後もノエルは怪我人を見つけると、すぐに近寄っていった。そして瞬く間に怪我を治していく。その様子はすぐに幾人かの民衆の目に止まった。
「こっちも頼む!」
「任せて!」
むしろ向こうからかかり始めた声に、ノエルは脇目もくれず駆け寄っていく。ノエルは暴動で傷ついた人を、魔力で持ち上げた。誰も手を触れていないのに、怪我人が次々と持ち上がる。
「すごい……」
気勢を上げていた大人達から、歓声が上がる。魔力に優れる人間は数多い。だが、少女の魔力はまるで別格に見えた。その力も、その発動のスピードも。
そして何よりその使い手の、優雅な仕草――
多くの者が、思わず見とれてしまう。怪我人は、暴動の渦の中から、次々と助け出される。ノエルは舞うかのように可憐に腕をふるい、歌うかのように澄み切った声で呪文を唱える。そして怪我人の為に念を凝らす様は、まるで祈りを捧げる聖母のようだった。
怪我人は持ち上げられた端から、癒されていく。助けられた怪我人の表情は、体の傷とともに、心まで癒されているかのように穏やかだった。
「すごい……」
ノエルの周りの人だかりが、同心円を描いて広がる。皆、一人の少女が起こす奇跡に目を見張る。何人かが思わず、祈りに手を組んだ。
「こっちだ! こっちも頼む!」
「任せて! 今いく!」
声がしたのは奥の方だ。行進に対する前面からの発砲。怪我人は奥に、先頭にいくほど多い。暴動の更に中心へ。助けを求める人の為に、ノエルは駆ける。
「こっちも…… こっちも…… 頼む……」
「今いくわ!」
ノエルは呼ばれるがままに、身を翻す。そしてノエルは己の力の全てを、必要なところに集中する。怪我人を見つける為の目。怪我人に魔力を向ける為の腕。怪我人を癒す為に詠唱する唇。怪我人に近寄る為に、力を込めて前に運ぶ足――
「大丈夫よ! 待ってて!」
ノエルは気がつかない。怪我人にしか、意識がいかない。自分が何処に向かっているのかに、気がつかない。
「今! 今いくから!」
ノエルは奥へ奥へと、吸い込まれていく。怪我人の為に。一人でも多くの人を救う為に。奥へ奥へと…… 暴動の――虐殺の――更に、中心へ…… 人々の悲鳴の中へ…… 冬の宮へと続くネフスキー大通りを奥へ奥へといく……
「待ってて! 今――」
ノエルは立ち止まる。突きつけられた現実に立ち尽くす。
「――ッ! えっ?」
辿り着いたそこは、今まさに兵が市民に銃弾を浴びせかけている弾圧の最前線だった。
「ウソ……」
ノエルの目の前に据えられた銃口から、
「――ッ!」
一発の銃弾が射ち出された。