表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/60

二、血の日曜日5

「キャーッ!」

 一際大きい悲鳴がした。雪崩れ込もうとしていた市民の足が一瞬止まる。見れば司祭に真っ先に駆け寄った黒髪の少女が、真っ青な顔で立ち上がっていた。そしてその足下では――

「……い…… 論者……  過激…… は…… か……」

 ガポン司祭がそう呟いて、がっくりと首を垂れた。

「おのれ!」

「司祭様が!」

 市民が色めき立つ。一度は止めた足を怒りで踏み鳴らし、兵士に向かって駆け出す。司祭が掲げさせた旗すら、放り出して向かっていく。

「止まれ!」

 士官が叫ぶ。だが市民の耳には届かない。投石に対して発砲で応えたのだ。市民は怒りに身を震わせ、士官の言葉に耳を貸さずにいきり立つ。

「クソッ……」

 ガポン司祭との交渉にあたっていた士官が、市民の波に飲み込まれた。

「助け出せ!」

 やむを得ず別の士官が命令を下す。発砲は未だ許可していない。厳命を守りつつ、この場を抑えるつもりだった。だが二度目の発砲が全てを台無しにした。

 ――パンッ!

「キャーッ!」

 女性の悲鳴とともに、人波が割れる。その割れた人波から倒れて出てきたのは、交渉にあたっていた士官だった。

 額に穴が空いている。即死なのは遠目にもすぐに兵士達に知れた。市民の一人が短銃を構えて震えていた。銃口から立ち昇る煙を見るまでもない。士官は市民に撃たれたのだ。

「おのれ!」

 そう毒づいた別の士官は自分が発砲を許可したのかどうか、後になっても思い出せなかった。

 だがもう事実は変わらない。市民への発砲が始まった。銃声が銃声を呼び、悲鳴が悲鳴を呼んだ。そして銃声と悲鳴が互いを呼び合った。

 冬の宮前は、その寛容さとは裏腹に、阿鼻叫喚の地獄と化した。



 ノエルは遠くで銃声を聞いた。

 歩く度に人が増えていくデモ行進。自分でもよく分からない高揚感を覚えながら、皆について歩いた。先頭は随分と先だ。このまま歩いて終わりなのか、最後に何かあるのかノエルにはそれすら分からない。

 だがノエルは正しいことをしているのだと思った。家に帰ったら、母とポチョムにこの様子を話してあげようと思った。自分には関係のないことだと思わずに、デモに加わって力になった。自分は皆と正しいことをしている。二人とも褒めてくれると思った。

 しばらくすると、デモの行進が止まった。大人の背中で前がよく見えない。つま先立ちで背伸びをすると、冬の宮の屋根がかろうじて見えた。

 どうせここまできたのなら、冬の宮を間近で見たい。もしかしたら魔法皇帝を一目見ることができるかもしれない。そう思うとノエルは、少しだけ緊張感が解けた。

 デモと言っても歩いているだけ。聖教会の守護者たる魔法皇帝に、これも聖教会の司祭が会いにいく。それはごく自然なことだ。

 もしかしたら魔法皇帝の声でも聞こえはしないかと、ノエルは背筋を伸ばした。どうせなら少しでも多く、土産話を持って帰ってあげたい。そうも思った。

 銃声が鳴り響いたのはその時だった。

「何?」

 その銃声に驚いて辺りを見回したのは、ノエルだけではなかった。皆がお互いの顔を見て、不安にざわめいている。

「何? 何ですか?」

「さぁ……」

 銃声なのは誰の耳にも明らかだったが、その大人は答えをはぐらかした。

 遠くから聞こえた、小さく乾いた破裂音。銃声――

 いや銃声などとは俄には、信じられない。信じたくない。聞き間違いだと思いたかった。

「おいっ……」

 もう一つ銃声が聞こえた。同じく小さい破裂音。誰もが隣の者と顔を見合わす。昨日のストでも軍隊は出動していた。今日も冬の宮の前には、多くの兵士が警備にあたっているという。

 デモの民衆がざわめく。良くない想像に心を乱されながらも、それでもそれを信じようとせず、その場でお互いの顔色を窺った。

「は…… だ……」

 それは遠くからの小さな声だった。ノエルは耳を澄ます。

「はっ…… ぽ…… だ……」

 それは少し遠くからの小さく、幾人かの声だった。ノエルは耳に意識を集中する。

「発砲…… だ……」

 それはもう耳をすまさなくても聞こえる、悲鳴まじりの声だった。多くの者が、より多くの者に伝える為に声を張り上げる。

「発砲だ!」

「逃げろ! 奴ら撃ってきた!」

「戻れ! 下がれ!」

 怒号が飛び交う。それに混じって聞こえてくるのは、間違いなく銃声だ。市民が雪崩を打って動き出す。悲鳴を上げながら、他の者を押し退けながら、人の流れが渦と化す。

「キャーッ!」

 力のない者が押し倒された。逃げ惑う民衆の中で、押され、押し退けられ、足をかけられ、倒れていく。銃声はますます大きくなる。

「大丈夫ですか?」

 自分の横で転んだ女性に、ノエルがとっさに手を差し出す。その手すら押し退けて、周りの民衆は逃げ惑う。また銃声がした。自分を押し退けて去っていく大人を、ノエルは睨みつける。だがすぐに人に紛れてその背中は見えなくなった。

 銃声と悲鳴がした。

 ノエルは思わず首をすくめる。女性は足をくじいたのか、起き上がろうとしない。腰を地面に落とし、足首を手で押さえている。ノエルは民衆に押されて、女性から離される。

 そこかしこで悲鳴が上がる。自分も逃げなくてはならない。女性からは離されていく。女性は自分が手を貸さなくても、他の大人が何とかしてくれる。ノエルは一瞬そう思ってしまう。

 一際大きい銃声がした。

 ノエルは思わず目をつむる。そして更に悲鳴。ノエルは恐る恐る目を開けた。女性の姿は小さくなっている。ノエルの体は更に押し流されていた。すぐに人波に紛れて女性を見失う。

 だからもう他の人に任せていい。銃声。自分のせいではない。銃声。ノエルはそう思おうとする。悲鳴。だが体は前に出ようとする。怒号。人の波を押し退けようとする。罵倒。一人流れに逆らうノエルに、ぶつかった大人が罵声を浴びせる。

 銃声。銃声。銃声。連続して聞こえる発砲音は、確実に大きくなっている。近づいてくる。

 悲鳴。怒号。悲鳴。ノエルは歯を食いしばって前に進んだ。怒号。罵倒。悲鳴。人の流れに逆らうのは、思った以上に難しかった。そして聞こえてくる悲鳴。心が怯みそうになる。それでもノエルは前に進む。更なる銃声がノエルを脅かす。

 だが――

「大丈夫ですか?」

 ノエルはまだ地面に倒れたままの女性に、手を差し出した。人波をかき分け、やっと見つけた女性は、同じ場所でうずくまったままだった。

「あなたは……」

「大丈夫ですよ」

 ノエルは自分にできる精一杯の笑顔を浮かべた。母が自分に心配させまいとする時の笑顔だ。

 収穫が上手くいかない時にする笑顔。母のご飯だけが少ないと、内心思った時に見せてくれる笑顔。父が亡くなり自分も泣きたいだろうに、娘を心配させまいとした時に見せた笑顔だ。

「掴まって下さい」

 ノエルが女性に肩を貸す。その女性のもう一方の肩を、見知らぬ男性が慌てて掴んだ。

「お嬢ちゃん達! 大丈夫か?」

「ハイッ!」

 ノエルはその男性に、力一杯返事をする。同時に呪文を詠唱した。

「痛みが…… 痛みが退いていくわ……」

「お嬢ちゃん。魔法が使えるんだね?」

「はい」

 三人が歩き出す。女性は恐る恐る足に力を入れて、ノエルの肩から手を離した。

「ありがとう…… 歩けるわ…… ウソみたい」

「そうですか。でも、まだ一緒に――」

「キャーッ!」

 遠くからの悲鳴に、ノエルが立ち止まる。女性にとられていた意識が一瞬で周囲に向かう。

「君?」

 女性に肩を貸してくれた男性が、ノエルに振り返る。

 だがノエルに合わせて、彼まで足を止める訳にはいかない。女性は歩けるとはいえ、まだ足取りがおぼつかない。彼も一時でも早く逃げなくてはならない。

「君! どうした? 逃げないと!」

 ノエルは振り返る。男性の声が少し遠くなった。ノエルはあらためて周りを見回す。

「いいかい! 逃げるんだ! いいね!」

「……」

 最後まで言葉をかけようとする男性の声を背に、ノエルは周りを見渡す。

 悲鳴が聞こえる。逃げ惑う群衆の中に、痛みに耐える悲鳴が聞こえる。悲しみに耐える嗚咽が聞こえる。助けを求める声が聞こえる。

「今…… いくわ……」

 ノエルは人の流れに逆らって、歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ