二、血の日曜日3
ノエルが母の分も祝福を受けて教会を出ると、沢山の市民が教会を取り巻いていた。
ミサはミサ。集会は集会。分けて集まって欲しい。デモに集まるのは、危険を承知の人間だけ。ガポン司祭の願いだった。
「お嬢ちゃん。ミサはもう終わったかい?」
「えっ? あ、はい」
一人の市民の問いかけに、ノエルが戸惑いながら答える。ノエルは何故そのようなことを訊かれるのか、どうしてこれほどの人が集まっているのか分からない。皆真剣な顔をしている。
「ノエル…… さあ…… お家に帰りなさい……」
ノエルに続いて出てきたガポン司祭が、優しくノエルの肩を抱いた。
「ガポン司祭!」
「司祭様!」
教会の前に集まった人々が、口々に司祭の名を呼ぶ。
「司祭様…… 皆なんで集まってるの?」
「ちょっとね…… ノエルは危ないから帰りなさい」
いつになく険しい顔をした司祭が、ノエルの背中を押す。ここにいては巻き込まれる。危険を冒すのは、自分達だけ。そう考えてか司祭は、ノエルを市民の中に優しく押しやった。
ノエルは戸惑いながら、市民の奥へと歩いていく。
周りを固める大人達。皆険しい顔をしている。祈るような顔をしている者もいる。
「何があるんですか?」
ノエルが近くにいる大人の一人に訊いた。初老の男性だ。疲れた目をしていた。
「デモだよ」
「デモ? デモって、あの抗議に歩くやつですか?」
「そうだよ。皆で皇帝陛下に、現状を訴えにいくんだよ」
別の女性が、ノエルに答える。ノエルの母と同じぐらいの年に見えた。
「現状?」
ノエルが女性に振り向くと、すぐ後ろの男性が叫んだ。
「俺達は苦しい!」
ノエルが驚いてそちらに振り返ると、多くの者がそれに応えるように叫んだ。
「そうだ!」
「政府は何をしている!」
次々と怒号が上がる。それはガポン司祭の意図したことではない。
「皆さん落ち着いて」
司祭がなだめる。これはあくまで、魔法皇帝に現状を訴える為の集まりだ。市民の窮状を伝え、魔法皇帝の慈悲を請う貯めの集まりだ。
皇帝は教会の守護者。自分が立ち上がれば、きっと伝わるはず。司祭はそう信じている。そしてその為には、先ずは皆が冷静にならなくてはならないとも知っている。
「皆さん。冷静に。我々は争いにいくのではないのです。話し合いにいくのです」
「だが司祭様……」
「お静かに。今は忍ぶのです。粛々と。我々の姿を、皇帝陛下にお伝えするのです」
市民が黙った。
ノエルはその市民達の中で、首を巡らす。工場勤務の者。ノエルと同じ貧農と思しき者。戦地帰りと見える者。皆貧しい身なりと、険しい顔をしている。
「いきましょう」
ガポン司祭が力強く頷く。教会の前を離れ、歩き出す。目指すは冬の宮。魔法皇帝の下。
「……」
動き出した市民の中で、ノエルも歩き出した。
目をそらしてはいけないことが起こっている。そう感じたからだ。
首都サンクトペテルブルクは、異様な雰囲気に包まれていた。
前日の土曜日、大規模な職務放棄――ストライキが組まれた。先導したのは国内に潜伏した、空想科学的社会意義者達。
多くの工場が操業を停止し、工員が待遇の改善を求めて工場に座り込みをした。
業を煮やした工場主の一部は、軍隊に出動を要請した。軍は治安維持を名目として、要請のあった工場の周辺を兵で固めた。
まさに一触即発。工員と兵士が、工場の内と外で睨み合う。
それでもストは続行され、街全体を張りつめたような緊張感が包んだ。日が暮れるまでストは続き、軍は撤収した。
ストは一応の目的を果たした。多くの者がそのことに安堵し、達成感を噛み締めていた。
だが一部の者は、軍が退いたのは、次の事態に備える為だと分かっていた。
ストライキは言わば『静』の抗議運動。この成功に酔う者は、次の成果を求めるだろう。目に見える成果を欲するだろう。
そうなれば次は『動』だ。実際翌日曜日には、教会の司祭の先導によるデモ行進が計画されていた。
ほんの少しのいき違いで、パニックになりかねない。それを押さえる為にも、聖職者が先導を買って出た。だが――
冬の宮を目指す市民の数は、折からの雪にもかかわらず、時間が経つに連れて増えていった。先導するのは教会の司祭。そのガポン司祭には、内心焦りがあった。
「多い…… これほどの市民が参加するとは……」
予想以上の数の市民が、デモ行進に参加した。デモの道に選んだ、この首都最大の目抜き通り――ネフスキー大通りが、市民で埋め尽くされている。
いや多過ぎると、ガポン司祭はその数に困惑する。
デモに参加する市民の数は、それはそのまま困窮を訴える力になる。
だがあまりに多過ぎる参加者は、全体の統率にかかわる。革命を望む過激派が、これを好機と捉えるかも知れない。
ガポン司祭はあえて、白青赤が上から横長に並んだ三色旗を、仲間に掲げさせた。
国旗だ。白が高潔。青が正直。赤が勇気。それがこの色に込められた意味だ。
国を割るようなことは、許しはしない。その決意の為に、この旗の下でガポン司祭は皆を行進させた。
「お守り下さい……」
雪に翻るその旗を一度見上げて、司祭は聖母に祈りを捧げた。