一、フランソワ・ノエル・バブーフ11
「陛下。国内の反乱分子は未だ、掃討し切れていません。鉄の帝国との戦線も、芳しくはありません」
魔法皇帝直属の僧侶は、皆の意見を皇帝に伝える為に、冬の帝国皇帝――ニコライ二世に謁見していた。この帝国の魔力と国力の象徴である皇帝は、敬意を持ってこう呼ばれている。
マジカル・ツァーリ――魔法皇帝――と。
「そうか……」
皇帝は呟くように応えた。
国内の反乱は後を絶たない。やむなく参戦した魔界大戦も、戦果は芳しくない。当初は祖国防衛の愛国心が、反乱分子を押さえ込む役割を果たしていた。
国内はまとまり、外敵は排除され、国民は高揚感に酔い、生活の苦しみを一時的にでも忘れることができる。それが今まで戦いだった。今回もその効果を期待していた。
だが今回の魔界大戦は、今までの国家間の戦いとは、全てが違っていた。今までの戦いは、言わば会場だけの戦いだった。代表が出ていき戦う。そんな感じだ。
後に第一次魔界大戦と呼ばれるようになる今回の戦いは違う。
総力戦とでも言うべき状況になり、国の全てが戦いにつぎ込まれた。戦費。兵士。食料――そしてもちろん魔力。全てが国全体を圧迫した。
そのツケは国民に向かった。特に貧困層は、その最たるものだ。
「国内に残る革命論者…… 杉ケレンは言うに及ばず、亡命中の川人レナや、瀞月レオン。流刑中の星リンも含めて早めに処分せねば、他の民衆も反乱に手を貸しかねません。そうなればもはや反乱ではありません――」
「……」
皇帝の顔は苦悩に歪む。
「革命です」
皇帝直属の僧侶は、私情を込めずにそう言った。
ポチョムは自分の甘さを呪った。ノエルが自制するなど、まず無理だったのだ。
「あはは!」
ノエルはポチョムにまたがったまま、隣の土地の地主の屋敷に雪崩れ込ませた。
「ノ、ノエル殿!」
「いいのよ、ポチョムくん! このまま馬小屋から回って!」
「し、しかし……」
「近所の子供が、飼い猫連れて遊びにきただけ。何もおかしなことなんかないわ。ポチョムくんは、猫の振りね!」
「そ、それは……」
「返事が違うわ、ポチョムくん! 今のポチョムくんは猫よ! 返事は、ニャーッよ!」
「ニャ? ニャーですか?」
迫りくる魔獣の匂いと気配に、小屋の馬達が驚きいなないた。敷地に放されている犬達も、遠巻きに吠えかかってくる。
馬と犬の声に驚かされた鶏の、悲鳴にも似た鳴き声が、ノエルの家の畑よりも広い敷地に響き渡る。ポチョムと敷地を一周すると、屋敷の前でノエルはその背中から降りた。
「何だ?」
家畜の声に驚き、最後に声を上げたのは屋敷の用心棒だった。
用心棒は手に樫の木の棒切れを持ちながら、慌てて屋敷から飛び出してきた。昔は筋肉質だったであろう小太りの中年男性が、押っ取り刀で駆け寄ってくる。
「てめぇ! バブーフの小娘! 何しに――」
だが用心棒はそこで息を呑んでしまう。その小娘の背後にいるのは、大きな虎だったからだ。
「こんにちは。セルゲイ。地主さんはお元気?」
「何だ…… と、虎?」
「いやね、猫よ。今度家で飼うことにしたから、ご迷惑かけないようにご挨拶にきたの」
「ニャ…… ニャー……」
ポチョムがぎこちなく鳴いてみせた。
「可愛いでしょ?」
「何処がだ! どう見ても、虎じゃねえか! 脅しか? 日頃の意趣返しか?」
「あら、ご挨拶よ。言ってるじゃない? 地主さんは、お屋敷の中? お邪魔していい?」
ノエルは歩き出し、セルゲイと呼んだ用心棒の横をポチョムとともに通り過ぎる。その様子はまるで無警戒だった。
「く…… お前にする挨拶は――これだ!」
セルゲイは振り返り、出し抜けにノエルの背中に棒切れを振りかざした。
なっちゃいないですな――
そう呆れながら、ポチョムが首だけ振り向く。セルゲイの腰の入っていないその動きに拍子抜けした。軍隊に入ったら、ポチョムが一から鍛え直すところだろう。
それでもノエルを危険にさらす訳にはいかず、ポチョムは魔法の障壁を展開しようとした。
「はい!」
だがポチョムよりも先に、魔力を放ったのはノエルの方だった。
体を軽やかに翻し、左手を内から外へと振る。何もなかった左手に握られていたのは、先ほど古いと言った草刈り鎌だ。
そのノエルの一振りに、セルゲイの得物はあっさりと弾かれた。
「がっ! この……」
「ふふん」
ノエルが鼻で笑う。無理もない。鎌は触れてもいないのだ。
鎌から放った魔力が、振り上げていたセルゲイの棒切れを弾いていた。ノエルが後から動いたにもかかわらず、この用心棒は振り下ろすことすらできなかった。
「小娘が!」
「小娘って失礼ね! ちゃんと大きくなってるわよ」
「あん……」
セルゲイは一度視線を下に向け、
「ははっ!」
ノエルの胸辺りで鼻を鳴らして顔を上げた。
「失礼な! ポチョムくん、下がっていて!」
ノエルは更に念じる。今度は右手に鎚が現れた。
ポチョムは言われるがままに、後ろに二歩三歩と下がる。そこは気がつけば玄関前だった。
二人の実力の差は一目瞭然だ。ここからでも十分、何かあっても対処できるだろう。
「食らいな! 小娘!」
セルゲイが得物を振り下ろした。一撃目を軽くあしらわれたせいか、先ほどより力の入った唸りが空気をつんざく。
その棒切れを受け止めたのは、やはりノエルの左手の鎌だ。
そのままスパッと切れるところをノエルは想像したが、もちろんただの鎌にそこまでの切れ味はない。ならばとノエルは鎌を払い、セルゲイを押し戻した。
ノエルは地面を蹴った。セルゲイからすれば、大地を滑るように飛んできたかのように、見えたかもしれない。相手の懐に難なく侵入したノエルは、そのまま右手の鎚を軽く突き出す。
「が……」
顎を強打したセルゲイが、目から火花を散らしてのけぞった。
そのまま押し込めば、ノエルの勝ちは決まっていただろう。
だがもう少し懲らしめてやりたい。仕返しにこないように、実力差を分からせてやりたい。ノエルはそう思ってか、手を止め身構え直す。
ポチョムのいる今なら、相手をやり込めておけば、おいそれと手出しはできなくなるだろう。ノエルは完膚なきまでに叩きのめすべく、相手が体勢を整えるのを待った。
「ぜ…… ぜぇ……」
「あら? もう息が上がってるわよ」
ほざけと、言ったらしき息を漏らして、セルゲイが木切れをふるう。
「当たらないわよ! そんな力任せの攻撃!」
食らえと、動かしたらしき唇の動きを見せながら、セルゲイは闇雲に得物を振り回す。
「そっちこそ、食らいなさい! 『鎌と鎚の挟撃』!」
ノエルが両手を同時にふるう。外から内へ同時にふるわれた鎌と鎚は、振り回されていたセルゲイの樫の木の棒切れを挟み込み、木っ端みじんに砕いた。
「な……」
「終りね」
たいしたものですなと、ポチョムはノエルの一連の動きに感心する。
ポチョムはノエルの動きを全て見ていた。ノエルが勝つだろうとは思っていた。だがそれにしてもこれほど無駄なく動き、相手を押さえ込むとは思わなかった。
「溢れんばかりの魔力に、この身のこなし…… 特別な何かを感じますな……」
ポチョムは一人頷く。その背後で、
「うるさいぞ、セルゲイ。どうした?」
下腹を見事にたるませた、初老の老人が玄関から現れた。老人は玄関を出たところで、何か柔らかいものにぶつかる。表面はごわごわとした毛に覆われ、その中身は分厚い筋肉と強固な骨からなる、獣臭いものに視界を遮られた。
「セルゲイ。何だ? 馬か? 牛か? 繋いでおけ――」
「……」
ポチョムがゆっくりと振り返った。そのあまりに緩い気配に、警戒することすらしなかった。
見る見ると青ざめる地主らしき人物が、ポチョムと目が合って固まっている。目を思い切り丸く見開き、少しでもつつけばその場で倒れそうだ。
「ニャー……」
ポチョムがとりあえずそう挨拶をすると、
「――ッ!」
つつく必要もなく地主は背中から倒れていった。