一、フランソワ・ノエル・バブーフ10
昼の休息を挟んで、今度は三人で一日中畑を耕した。最後にポチョムに手伝ってもらって、崩れかけていたあぜ道の修繕もした。気になっていたが、今まで手が回らなかったのだ。
ノエルが鎚――ハンマーをふるって土止めの板を打ちつけ直し、ポチョムが土を踏み固めた。
「ムッ?」
「どうしました? ノエル殿?」
「緩くなってる」
ノエルは鎚の頭部に手をやる。少し触るだけでぐらついた。
「ガタがきてますな」
「どれもこれも、ボロボロよ。鎌もそうなのよ」
ノエルは続いて軽く念じ、古びた草刈り鎌を虚空より魔力で呼び出した。
片手用の鎌だ。木の柄に大きく曲がった三日月状の刃がついている。麦類を刈るのに便利なように、掻き寄せる為の湾曲した刃を持つ鎌だ。
「鎚も鎌も古いのよね。仕方ないか」
ノエルがもう一度念じると、鎌と鎚は光を放って虚空に消えた。
「でも随分とはかどったわ。これなら、いい秋蒔き小麦が穫れそうね」
深く柔らかく耕すことができた畑を見渡して、マリーが一息ついた。本格的に雪が降り積もる季節の前に、種蒔きができそうだ。マリーは心底ほっとしたように、肩から力を抜く。
「……ポチョムくん……」
ノエルが母に見えない角度で、ポチョムのヒゲを引っぱった。小声でポチョムの名を呼ぶ。
「ノエル殿…… ヒゲはそのように使う為に生えている訳では……」
ポチョムは引かれるがままに、ノエルに顔を寄せた。ノエルの端正な顔が、ポチョムの耳に寄せられる。やはり小声で囁きかける。
「お願いがあるの……」
「何ですかな?」
「お母さん! ポチョムくんと散歩にいってくる!」
ノエルはそう叫ぶや否や、駆け出した。ポチョムが慌てて、後ろを追いかける。
「暗くなる前に帰ってくるんだよ!」
あっという間に小さくなるノエルの背中に向かって、マリーが心配げに声をかけた。
「ノエル殿…… 何処へ?」
ポチョムがノエルの背中に訊いた。散歩と言う割には、えらく駆け足だ。だが四足歩行のポチョムから見れば、むしろ合わせにくい速度だった。追い抜かない程度に歩幅を合わす。
「隣の土地の地主のところよ」
「ノエル殿…… それは……」
ポチョムは昼前のマリーとの会話を思い出す。自分という加勢を得て、地主に仕返しにいくつもりなら止めなくてはならない。
ポチョムはいつまでも、ここに居られるとは思っていない。何より娘の身を案じて耐えている、母の気遣いが無駄になる。
「ちょっと脅かすだけだよ。ポチョムくんの姿を見せてやれば、誰だってビックリするもの!」
「しかし……」
「大丈夫だって! 大地主のくせに、気が小さいのよ、あいつ。ポチョムくんの姿を見たら、震え上がって家から出てこなくなるわ」
「ですが……」
ポチョムの表情が曇る。ここでノエルに怪我でもさせては、マリーに申し訳が立たない。
「近づけなきゃ、悪さもできないでしょ? 家を留守にするといつもお母さんが心配なのよね」
「ノエル殿……」
ポチョムはジッと、駆けるノエルの背中を見つめる。どんなで時も、お互いを気遣う親子なのだろう。魔獣の胸を、何か熱いものが込み上げる。
ポチョムは沸き立つ思いのままに四肢に力を入れ、一息にノエルの前に出た。
「ノエル殿! 背中へ!」
ポチョムが叫ぶ。
待ってましたと言わんばかりに、ノエルがその背中に飛び乗った。
ポチョムは一気に加速する。ノエルに合わせていた時とは比べ物にならない、野生動物の走りだった。
「凄い!」
「まだまだ!」
ポチョムは己の四肢に魔力を込めた。野生動物を超越した、魔法のマスコット猛獣としての、真の力を解放する。溢れ出る思いのままにポチョムは雪道を駆けた。
その速さ故にたなびく髪を流れるがままにして、ノエルは風を――ポチョムの力を全身で感じる。
「凄い! 凄い! 速い! 速い!」
ノエルは大興奮だ。
「さすが! ポチョムくん――」
「ははっ!」
ポチョムが笑って、更に加速する。この少女の期待に応えることが、誇らしくて仕方がない。
「百獣の王!」
「それ! 違っ――」
ポチョムはカーブを一つ曲がり切れず、雪山に突っ込んだ。