一、フランソワ・ノエル・バブーフ1
――マルクス! エンゲルス! コミンテルン! 世界同時に革命よ!
――魔法同志! コミュっ娘コミュン! そうよ私は護民官!
――君のハートに! チェ・ゲバラ!
一、フランソワ・ノエル・バブーフ
「貧農!」
少女はそう叫ばれると、石を投げられた。こめかみに鈍痛が走る。
痛い――
痛い。だが少女は声に出しては叫ばない。
彼らは――石を投げてきた少年達は、反抗的な態度を嫌う。いや反抗的な態度を誘っている。こちらが歯向かうような態度を見せれば、更に攻撃的に出てくるだろう。幸い石はかすめただけだった。我慢できる。
何よ、これぐらい――
と、少女は口の中で小さく呪文を唱えると、痛みを和らげる魔法を使った。
「やーい、貧農! 貧農! 悔しかったらかかってきな!」
はやし立てる少年達は、皆、十をやっと過ぎたぐらいだ。少女より明らかに年下の少年達は、次々に石を投げてくる。
地方都市の舗装など、望むべくもないこの時代。投げるのに適した石は、文字通りそこら中に転がっていた。
少女は石をぶつけられようとも、彼らを無視して街をゆく。
少女がゆくのは、首都への街道を兼ねた、街の中央通り。高くても五階程までしかない、コンクリートやレンガ作りの街並が両脇に続いていた。
鉄道の路線からは外れてしまっているが、昔から首都へと向かう者が最後に立ち寄る場所として栄えた街だ。
石畳だが広い中央通りは、多くの行商の屋台でにぎわっている。
多くの者が徒歩か馬車だ。路面電車のような文明の利器は、首都のような主要都市にしかない。大人も子供も、皆が徒歩と馬車でこの街をいき交いしていた。
そして幾人かはそのまま馬車で街を通り過ぎ、首都へと向かう。運がよければ自動車で移動する者が見られ、もっと運がよければ魔法で空を飛ぶ者にも出会えるだろう。
そんな科学と魔法がともに発達した時代の地方都市を、少女は紙袋を持って歩く。
少女は買い物帰りだ。塩を買っての帰り道。
塩は一摘みも無駄できない。下手に相手をして、こぼしてしまっては大変だ。
幸い近づくことを恐れた投石で、そうは当たるものでもない。
こめかみに当たった一つぶては、そこそこ痛かったが、まぐれ当たりだと思って、少女はぐっと我慢する。
「ひ・ん・の・う! ひ・ん・の・う!」
少年達は石が効果的でないと見ると、一層言葉に力を入れた。
この町は首都に近いお陰で、商業が発達している。その為戦争や反乱騒ぎで疲弊した他の地域に比べれば、まだ裕福だ。
そして少年達はブルジョワ――正確にはその親達が裕福――で、貧しい人間が自分達の豊かな町にやってくることが許せなかった。
貧乏がうつる。貧農の子供がやってくる度にそう言い合った。そして自分達よりひ弱そうな貧農の子供がくると、はやし立てて、追い立てた。
「……」
少女は気に留めないことにした。所詮子供の悪戯だ。そんなことより今は塩が大事だ。
「貧農! こら! こっち向け! 無視すんな!」
完全に無視された少年達はムキになる。別の貧農の子供になら、ここまでムキにはならなかっただろう。
少年達は自分達が何故、ここまでこの少女にムキになるのか、『こっち向け』と思ってしまうのか、『無視すんな』と望んでしまうのか、自分達でも分からなかった。
少年達から見れば、今まさに横顔を見せて通り過ぎようとする少女は、随分とお姉さんに見えてしまう。
歳の頃は十四、五歳。その少女はツンとしまして、端正な顔を前に向けたまま、少年達の前を通り過ぎてしまう。
「この……」
このままでは去りゆく少女に、完全に無視されてしまう。相手にされない。
少年達は焦った。
少女は明らかにみすぼらしい格好をしている。つぎはぎだらけの農作業服だ。自分達の家の使用人でさえ、あそこまで『つぎ』をあててしまえば新しい服を買うだろう。
ただのみすぼらしい農家の娘。少しからかってやって、身の程を思い知らせて、自分達の鬱憤のはけ口にする――それだけの貧しく汚い貧農の少女……
だが――
その首都サンクトペテルブルクに降り積もる雪にも似た、白く柔らかな頬を、自分達の為に赤らめて欲しい。
その偉大なるコーカサス山脈の山々のような、気高くツンと尖った鼻を、自分達の冗談でくすくすと笑って揺らして欲しい。
その最北の不凍港ムルマンスクで見つけたような、可愛いらしい貝殻のような耳で、自分達の自慢話を聞いて欲しい。
そう、だが少年たちは我知らず、少女を母なる祖国にたとえてしまう。
それほど少女の美貌は、少年達の心を奥深くで捉えて離さなかった。
少年達の心からの驚嘆と羨望による賞賛はまだ続く。
そう――
その極北の地で見られると聞く、オーロラのようにスッと引かれた眉が、自分達に出会えたことを喜んで、ぴょんと一つ跳ね上がるのを見せて欲しい。
その母なるヴォルガ川のように、淀みなく流れる黒く長く艶やかな髪を、自分達の目の前で揺らして欲しい。
そのシベリアの凍てつく空気もかくやと煌めく、触れば切れそうにも見える切れ長の目を、正面から見つめてみたい。いや、見つめられたい。
そして何より、その聖教会でお祈りする時に見上げる、イコンの生神女様――聖母様のような、可憐な唇で自分達の名を、いや自分の名前を呼んで欲しい――
「……」
少女は平静を装っているのか、少年達の前を平然と通り過ぎる。少年達の羨望の眼差しを受けて去っていく。
少年達にとってその可憐な少女は、退屈で窮屈で鬱屈な日常に舞い降りた、一人の天使だった。
だから少年の一人が、その少女の唯一の欠点を口にして、気を惹こうとしたのも、やむを得ないことだったのかもしれない。
「こ、この…… ひ、ひ、ひ、貧――」
少年は十をやっと満たす短い人生の中で、その生涯最大の賭けに出た。
「ひ、ひ、ひ、貧――貧乳!」
「――ッ!」
少女はキッと振り返る。
少年達は一瞬喜びに顔をほころばせた。聖母様とまで見間違った可憐な少女が、振り返ってくれたのだ。少年達は賭けに勝ったのだと一気に紅潮し、そして――一瞬で青ざめた。
「何ですって!」
少女は怒りとともに、身を翻す。頬を紅潮させ、鼻息を荒くし、耳を引きつかせ、眉を吊り上げ、髪を振り乱し、目を血走らせる。冬眠に失敗した熊もかくやという形相だ。
怒りに血走ったその姿は、聖母様どころか鬼子母神だ。
「ギャーッ! 逃げろ!」
「こら、逃げんな! 待ちなさい!」
少女は脱兎のごとく逃げ出した少年達を追いかけ出す。聖母のものと見紛わんばかりに可憐な唇は、食いちぎらんばかりに歯をむき出しにしていた。少女は大事な塩の入った袋すら、思わず放り出す。
「待て! 待ちなさいってば!」
「殺される!」
少年達の淡い恋が今――終わった。