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精霊国物語

【精霊国物語番外編】繋ぐもの

作者: 夢野かなめ

本編より十数年前、カナメが六~七歳頃のお話。

「ほら、もう一度だ」


 その言葉にカナメはむっと口を曲げた。立ち上がり、背を向けて走り出す。


「もうやだ!」


「あ、おい、カナメ!」


 呼び止める声にも振り向かず、大天幕を目指して駆ける。幕を乱暴に上げ中に入ると、小卓に向かっていた長が、目を上げた。


「おや、どうしたの」


「もう剣のけいこなんていやだ」


 全身を突っ張って叫ぶようにそう言うと、長はカナメを手招きした。組んだ脚の間にカナメを乗せ、顔を覗くようにする。


「どうして嫌なの」


「いたいから。見てこれケイモの木剣にたたかれたとこ」


 カナメが腕を突き出すと、腫れた部分を長の皺の寄った温かい手が擦った。棚へ手を伸ばし木箱を取ると、小卓の上の書を退け、木箱の中身を取り出し並べていく。


 長はカナメの見る前で取り出した薬草をすり潰し、混ぜ、薬布(くすりぬの)に塗り付けてからカナメの腕に巻き付けた。ひんやりとした感触にカナメが肩を震わせると、微笑んだ長は愛おしそうに頭を撫でた。


「お前はまだ学びのさなか。こうした怪我も学びの内だ」


「剣のけいこはもうやりたくないよ」


 長はカナメの腰に手を回し抱えるようにしてから、考えるようについと上を向いた。


「しかし、お前には必要なことなのだよ」


「どうして」


「それが世界樹の意思だから」


 長は、カナメの体に浮かぶ紋様を指でなぞった。


「世界樹の意思によりお前はこの地に訪れ容された。そして、お前の生きる道筋の先に必要となる力なのだよ」


「でも、おれもみんなみたいに馬の世話をしたり、なにかをつくって生きたい」


 長は瞬くと、小さく笑った。


「そうさね。そう生きる道もあるだろう。しかし、それではお前がこの世界に命を得た意味を失ってしまう。今は辛くとも、その時が訪れたら全てが判る」


「ぼくせんのこと?」


 長は少しだけ黙りこくってから頷いた。卜占は五歳になったその日に長より与えられる。カナメの集落ではそれに沿うように生きる。


「でも、よくわからなかった」


「卜占とはそういうもの。生きていればいずれ意味が判る時が来る」


 カナメは口を引き結んで、考え込んだ。それを愛おしそうに見つめる長の手が優しく頬を撫でる。その手を取ったカナメは、長の手の甲の中心でじっと閉じている瞳を見下ろした。


「おれには、ひとみが二つしかない。少し前にシオンの首にあたらしいひとみがあらわれたのに」


 長の手の甲の瞳が小さく震え、カナメの顔を見やる。ふぅん、と唸った長は、「茶を淹れよう」と鍋に手を伸ばした。カナメを抱えたまま立ち上がり、水を汲み、袋から茶葉を取り出す。カナメは長の首筋にしがみ付くようにしながら、長の手元を目で追った。


「あまいおちゃ?」


「あぁ、お前はあれがいっとう好きだからね」


「うん。長がいれたおちゃが一番すき」


 長が、と再び呟いてから、カナメは長の首に顔を埋めた。


「どうしたの」


 長はカナメの顔を覗こうとして、代わりに頭を撫でた。ふと、カナメの中に寂しさが沸き上がり、胸が苦しくなった。目元を長の肩に押し付け、口を引き結ぶ。長は問い質さないまま、ゆらゆらと体を揺らし始めた。揺れに体を預ける内、気分が緩んでくる。


「おれには母も父もいない。だから、剣のけいこをしなくてはいけなくて、ひとみも二つしかないの?」


 動きを止めた長が、カナメの頭に頬ずりした。天幕の中に、鍋を匙で搔き回す音と、次いで茶を注ぐ音が響く。


「ほら、まずはこれを飲みなさいな」


 長は小卓の前にカナメを下ろすと、茶器を差し出した。湯気と甘い香りが鼻をくすぐり、カナメは茶器を抱えて一口飲んだ。ほう、と息を吐くと、長は嬉しそうに笑った。カナメは表情を引き締め、問うように伺い見た。


 長はもう一つの茶器に茶を注ぐと、それを一口飲んで、手元に視線を落とした。


「さて、どう話そうか」


 瞳を閉じ、考えるようにする。長の額の瞳も閉じたままだ。間もなくゆっくりと顔の瞳三つが開き、カナメを見据える。


「我等の部族は古より世界樹の声を聴く。その為にはより多くを視る瞳が必要だった。ただ聴くだけでは成せぬことであるから。カナメ、お前は我等の部族の許に生まれた者ではない、とは話したね」


 カナメは寂しさに口を曲げ、小さく頷いた。


「しかし、この地に容された。この地で生きよと我等に託された。それであるなら我等部族の一員であるといえる。違うかな」


 カナメは自身の腕を見下ろした。体に這う紋様を見つめ、眉を寄せる。


「このしるしも、どこかみんなとちがうのは?」


 長はカナメの腕の紋様を辿り、微笑む。


「これはお前がお前である為に必要なもの。そこに私の願いも込めた。気に入らないかな」


 もう一度紋様に目を落としたカナメは、緩く首を振った。


「いやじゃないけど、なんでちがうのかなって思ってた」


 長はカナメに向き直り、その手を取って優しく包み込んだ。


「この世界に命を得るモノには、皆果たすべき役目がある。それは些細なものから、この世界を揺るがすようなものもある。お前の役目には、いずれ力が必要となる。だから、剣の腕を鍛えねばならない」


「いずれ、いみがわかる。それがせかいじゅのいしだから?」


「あぁ。そうだよ。それに、世界樹の意思を聴く法は他にも在る。我等の部族には瞳が用いられたというだけのこと。お前は……」


 長はそこで言葉を止め、カナメの手を優しく撫でた。


「お前には、お前の成し方で世界樹の声を聴くことになるだろう。瞳が二つであろうと問題ない」


「それはどんな成し方なの?」


 カナメの問いに、長はじっと考え耳を澄ませるようにした。


「時が来ればその時に全て判る。私が聴く声は、必要な時に必要なことを与えてくれる。全てが判る訳ではないのだよ。お前にもその声が聴こえる時が来るだろう。それだけは確かだ」


 カナメはそれでもなくならない問いと寂しさに、顔を歪めた。


「じゃあ、母と父は? おれにはいない。いないと、さみし──」


 言葉を途中で飲み込んだカナメは思わず俯いた。潤んだ視界に力を込め、目を閉じる。優しい手が頭を撫でた。


「私としてはね、カナメ。お前のことを息子だと思ってこうして共に居るのだけどね」


 顔を上げたカナメは、眉根を寄せた。


「長の息子はメバエとツツムでしょ。おれは長からうまれてない」


 カナメの言葉に長は小さく笑うと、その小さな体を抱き上げた。


「何も腹を痛めていなければ息子ではないということはない。心で繋がっていればそれでいいものなのだよ。まぁ、こんなに皺くちゃな母もないかね。年で言えばお前の祖母でもおかしくないからね。母が嫌なら祖母ではどうかな」


 カナメはじっと長の顔を覗き込んだ。


「おれと長は心でつながってる?」


「あぁ。感じないかな」


 そう言って長は額と額を合わせた。


「カナメ。その名も、私の名と同じ意味のものを付けた。繋ぐもの。私達を繋ぐもの」


 繋ぐもの、と言葉を繰り返したカナメは、すぐ目の前の長の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「おれは母と父がわからない。でも、長が母であれば、うれしい。長のことを母と思っていい?」


 カナメは瞬いてから、ふいに恥ずかしさに襲われ視線を泳がせた。その様子を長は愛おしそうに見つめる。


「あぁ、お前は私の愛おしい息子だよ、カナメ」


 背を抱かれ、カナメは長の首筋に抱き着くと、胸の奥が満たされていくようなこそばゆいような気持ちになった。ぐりぐりと頬を擦り合わせると、耳元で小さな笑い声が聞こえる。


 ハッと顔を上げたカナメは、思案顔になった。


「母は長。じゃあ、父は? モエギはずっと昔に死んでしまったのでしょ」


 瞬きをした長は、ふぅん、と首を傾げた。


「そうさね。私の番は世界樹へと還ってしまった。ふぅん。では、ケイモを父と仰ぎなさい」


「えっ、剣のけいこはやっぱりやらなきゃだめなの」


 長はカナメの頬を指で挟み込み、厳めしい顔を作ってみせた。


「そうさ。言ったろう。お前には役目があると。──それに、お前は細工物が苦手じゃないか。馬の世話はまだ出来ないこともないけどねぇ」


 カナメが不満げに口を引き結ぶと、長は笑みを作った。


「ケイモもお前のことを随分と気に入っているよ。アイツは筋が良いだなんて言ってね」


「でも、いたいのはいやだ」


「剣の腕を磨けば、その痛みを少なく出来るかもしれない。それも、自分だけでなく他の者の痛みも」


「ほんとに?」


 長はゆっくりと頷いた。


「じゃあ、おれ──」


 その時天幕が勢いよく捲られると、小さな体が転がり込んできて「あー!」と声を上げた。


「よわむしカナメ見つけた!」


「な、おれはよわむしじゃない!」


 カナメの言葉にシオンは疑い深げな顔をし、口を尖らせた。


「でも剣のけいこからにげたでしょ。それに今は長にだっこされてるし! よわむしだ!」


「ちがうよ!」


 バタバタと暴れるカナメを長が下ろすと、駆けて来たシオンが「えいっ!」とカナメの頭を叩いた。呻くカナメに、シオンは勝ち誇った顔をする。


「わたしにもたたかれるなんて、よわむしだ!」


「これ、シオン!」


 シオンは長の声に飛び上がると、口を尖らせ伺うような視線で見上げた。長はその背を押して小卓の前に座らせると、茶器に茶を注ぎ差し出した。


「ほら、これを飲んで。仲良くしなさいな」


 瞳を輝かせ、茶を飲み始めるシオンの姿を疎ましげに見やるカナメに、長は微笑んだ。


「そうだ。シオンのことを姉と思うといい。姉弟というのもいいものだよ」


 思わずカナメは失望の声を上げた。


「姉はいらない。シオンはすぐたたいてくるし、こわいもん」


「なにー⁉」


 手を上げるシオンのその手を、長が優しく叩く。


「これ、仲良くなさい。共に生きる相手のことは大切にしなければいけないよ」


「わたしよわいのはすきじゃないもん」


 カナメはむっとして眉を寄せた。


「じゃあおれが剣でつよくなったら?」


 うーん、とシオンは首を傾げて茶器を傾けた。


「そしたらたいせつにする。姉にもなってあげる」


 カナメは頬を膨らませ、立ち上がると全身を突っ張って叫んだ。


「そしたらおれが兄になる!」


「え、なにそれ」


 戸惑うシオンを置いてカナメはパッと駆け出した。天幕を捲り振り返る。


「剣のけいこ行ってくる。おれはつよくなる!」


 そう言い、天幕の外に飛び出した。


 「ほんとにこどもだよねー」と言うシオンを(なだ)めてから、長はカナメが去って行った先を見通すように目を細めた。


「そう。お前はお前の道を生き、進め。──カナメ。繋ぐ者よ」



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