第 7 話「次元の召喚」
統合評議会での初会議から一週間。慎一は境界術研究院の地下実験室にいた。
「準備はよろしいですか、田村管理者?」
テクニカが実験装置の最終チェックを行いながら尋ねた。彼女の機械義手が複雑な操作パネルを正確に操作している。
「はい」慎一は頷いた。「理論的準備は完璧です」
実験室の中央には、慎一の転移データを分析するための巨大な装置が設置されていた。七つの世界への門を模した円形プラットフォームの周囲に、無数のセンサーとモニターが配置されている。
「では、まず転移時のエネルギー記録を再生します」
テクニカがスイッチを入れると、空中に三次元のホログラムが現れた。それは慎一が転移した瞬間のエネルギー流動パターンだった。
「これは...」
慎一は息を呑んだ。数式で表現していた理論が、美しい光の軌跡として目の前に現れている。
「美しいでしょう?」テクニカが珍しく感情的な表現を使った。「しかし、問題はここからです」
ホログラムの一部が赤く点滅した。
「このエネルギー流入パターンを見てください」
慎一は注意深く観察した。確かに、自然発生では説明できない規則性があった。
「これは...人工的な制御痕跡ですね」
「その通りです」テクニカの表情が厳しくなった。「田村管理者、あなたの転移は偶然ではありません」
「どういう意味ですか?」
「誰かが意図的に、あなたをこの世界に召喚したのです」
実験室に重い沈黙が流れた。
慎一は自分の研究ノートを思い出していた。あの夜の実験で記録した異常値。七つの世界のビジョン。謎の声。
「すべて、仕組まれていたということですか?」
「可能性は高いです」テクニカは別のデータを表示した。「さらに、召喚のタイミングも計算されています」
「タイミング?」
「はい。ネクシスでは 500 年間、管理者が不在でした。しかし、最近になって境界の不安定化が加速していた」
新しいグラフが表示される。境界エネルギーの変動が、ここ数ヶ月で急激に増加していた。
「つまり、危機的状況のタイミングで、私が召喚された」
「そういうことです」
慎一は混乱していた。自分の研究、転移、すべてが誰かの計画の一部だったのか?
「召喚したのは誰ですか?」
「それが...わからないのです」テクニカは困惑した表情を見せた。「このレベルの境界術を使える存在は限られています」
「統合評議会のメンバーで可能なのは?」
「技術的には、私とコルヴァン首席長老。それと...」
テクニカは言いよどんだ。
「それと?」
「失踪したヴォイダス様です」
その名前を聞いた瞬間、慎一の背筋に冷たいものが走った。
「ヴォイダスが私を召喚した可能性があるということですか?」
「可能性としては、否定できません」
慎一は手帳を取り出し、情報を整理し始めた。しかし、今度は論理的分析だけでは不十分だと感じていた。
「テクニカさん、あなたはこの状況をどう感じますか?」
「感じる...ですか?」
テクニカは意外そうな表情を浮かべた。
「はい。論理的分析ではなく、直感的に」
テクニカは一瞬戸惑ったが、やがて答えた。
「恐怖を感じます」
「恐怖?」
「はい。ヴォイダス様の失踪後、私は技術的責任を一人で背負ってきました。もし彼が戻ってきて、私の判断を否定されたら...」
慎一は初めて、テクニカの人間的な一面を見た。
「あなたも不安を感じるのですね」
「当然です。私だって...」テクニカは言葉を止めた。「すみません、感情的になりました」
「いえ、ありがとうございます。とても参考になりました」
慎一は微笑んだ。論理的なテクニカにも、人間らしい感情があることを知れたのは貴重だった。
その時、実験室の扉が開いた。
「お疲れ様です」
エルダが現れた。その手には、境界術の基礎教本を持っている。
「エルダさん。境界術の訓練でしたね」
「はい。でも、その前に気になることが」
エルダは転移データのホログラムを見つめた。
「この召喚パターン...どこかで見たことがあります」
「どこで?」
「500 年前の記録です。ヴォイダス様が最後に使った境界術と、パターンが似ています」
テクニカと慎一は顔を見合わせた。
「つまり、ヴォイダスが私を召喚した可能性が高いということですね」
「そうなります」エルダは悲しそうな表情を浮かべた。「でも、なぜ今になって?」
「それは彼に直接聞くしかありませんね」慎一は手帳を閉じた。「しかし、今は目の前の学習に集中しましょう」
エルダは表情を明るくした。
「はい。では、境界術の基礎から始めましょう」
三人は訓練エリアに移動した。
円形のプラットフォームの上に、シンプルな練習用装置が設置されている。
「境界術の第一歩は、境界の認識です」
エルダが説明を始めた。
「まず、この石に触れて、その『境界』を感じてください」
慎一は指示された石に手を置いた。ただの石にしか感じられない。
「何を感じればいいのですか?」
「石と空気の境界です。物質と空間の境界線を意識してください」
慎一は集中した。物理学的に考えれば、原子レベルでの相互作用、分子間力の境界...
「理論的には理解できますが、感覚的には何も」
「理論を忘れてください」エルダは優しく言った。「頭ではなく、心で感じるのです」
「心で感じる...」
慎一は麻衣の言葉を思い出した。『心で答えて!』
しかし、どうすれば心で感じることができるのか?
「うまくいきませんね」慎一は手を離した。
「当然です」テクニカが口を挟んだ。「境界術は感情的要素と論理的要素の統合が必要です」
「統合...」
慎一は昨日気づいた概念を思い出した。
「エルダさん、あなたはどのように境界を感じるのですか?」
「私は...愛する人への想いを込めます」
「想い?」
「はい。石に触れる時、大切な人を思い浮かべます。その人への愛情が、境界を越えて伝わるような感覚です」
慎一には理解し難い説明だった。しかし、試してみることにした。
「大切な人...」
彼は麻衣のことを思い浮かべた。彼女の笑顔、優しい声、そして最後の悲しそうな表情。
石に再び手を置く。
今度は、何かが違っていた。
微かに、石の表面に温かみのようなものを感じた。
「おや?」エルダが驚いた。「今、確かに境界エネルギーが流れました」
「本当ですか?」
「はい。ほんの少しですが、境界術の反応がありました」
慎一は興奮した。理論だけでは発動しなかった境界術が、感情を込めることで反応した。
「これが統合ということですか」
「その通りです」テクニカも感心していた。「理論的理解と感情的投入の組み合わせ」
「興味深い...論理と感情は、対立するものではなく、補完するものなのかもしれませんね」
慎一の頭の中で、新たな理論が形成され始めていた。
「では、次の練習に移りましょう」
エルダが新しい課題を提示した。
「今度は、二つの石の間にエネルギーを流してください」
慎一は二つの石に手を置いた。今度は麻衣だけでなく、エルダやテクニカのことも思い浮かべた。新しく築きつつある信頼関係、共に学ぼうとする気持ち。
石の間に、微かな光が流れた。
「素晴らしい!」エルダが手を叩いた。
「理論を理解し、なおかつ感情を込める。これが境界術の本質ですね」
慎一は理解し始めていた。
論理だけでも、感情だけでも不十分。
両方を統合することで、初めて真の力が発揮される。
「これは...新しい発見です」
慎一は興奮して手帳にメモを取った。しかし今度は、感情的な気づきも一緒に記録した。
**境界術理論修正版:**
**論理的理解(理論)+感情的投入(想い)=統合された力**
「まさに、求めていた答えの一端かもしれません」
慎一は微笑んだ。
麻衣の問いかけに対する答えが、少しずつ見えてきていた。
論理だけでは世界は理解できない。
しかし、感情だけでも不十分。
必要なのは、両方の統合なのだ。
しかし、この発見の陰で、ヴォイダスの影が彼の運命に暗い影を落としていることを、慎一はまだ知らなかった。
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## 次回予告
**第 8 話「異世界への転移」**
境界術の基礎を身につけた慎一。しかし、ヴォイダスによる召喚の真実は、さらに深い謎を秘めていた。
統合評議会の緊急会議で、コルヴァンが重大な事実を告白する。
「実は、ヴォイダス様の失踪には、私たちが隠してきた真実があります」
一方、慎一は初めて他の世界への門をくぐることになる。目覚めた瞬間、そこは魔法文明世界アルディア。
「ようこそ、新たな管理者よ。しかし、あなたには試練が待っています」
エルフの長老が告げる、管理者としての最初の試練とは?
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## 後書き
第 7 話では、物語の重要な転換点となる「意図的召喚」の真実が明らかになりました。
慎一の転移が偶然ではなく、ヴォイダスによる計画的な召喚だった可能性が高いことで、物語に新たな緊張感が生まれました。
また、境界術訓練のシーンでは、「論理と感情の統合」というテーマが実践的な形で描写されました。理論だけでは発動しない境界術が、感情を込めることで初めて成功する過程は、慎一の成長を象徴的に表現しています。
テクニカの人間的な一面(恐怖や不安)の描写により、論理的キャラクターにも感情があることが示され、今後の関係発展への布石となりました。
次回は、慎一が初めて他世界を訪問し、管理者としての実践的試練に直面します。