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第 5 話「孤独な探求者」

「私の答えは—」


慎一は一度言葉を止め、窓の外の朝焼けを見つめた。


「その前に、最後の回想をさせてください。すべてが始まった、あの夜のことを」


コルヴァン、テクニカ、エルダは静かに頷いた。


---


**一ヶ月前、深夜二時の研究室**


麻衣との別れから一ヶ月。慎一は人との接触を極力避け、研究に没頭していた。


研究室には彼一人。蛍光灯の白い光だけが、散乱した資料を照らしている。


「データセット 743...また異常値だ」


慎一は眼鏡を外し、目を擦った。ここ数週間、実験装置が示すデータに説明のつかない変動が現れていた。


「理論的には起こりえない現象だが...」


彼は手帳を開き、異常値のパターンを記録した。几帳面な文字で、正確に数値が記されていく。


机の上には、冷めたコーヒーカップが三つ。夕食も摂らずに作業を続けていた。


「仮説その一:実験装置の故障。しかし、三回の点検でも異常は発見されなかった」


壁の時計が深夜二時を示している。


「仮説その二:外部からの電磁波干渉。だが、シールドルーム内での測定でも同様の結果」


慎一は立ち上がり、実験装置に近づいた。彼が設計したこの装置は、理論上、次元間の境界面を観測できるはずだった。


「仮説その三...」


彼は躊躇した。最も論理的でありながら、最も受け入れ難い仮説。


「実際に、次元の境界が不安定化している」


その瞬間、実験装置のモニターが異常な反応を示した。


慎一は急いで記録を開始した。研究者としての本能が、疲労を忘れさせていた。


「エネルギー流入量が通常の 100 倍...空間歪曲率も予想を超えている」


データが流れるように記録されていく。美しい数式が、現実の謎を解き明かそうとしていた。


「これは...もし理論が正しければ...」


慎一の瞳に、久しぶりに純粋な興奮が宿った。


孤独感も、麻衣への後悔も、すべてが研究への情熱に押し流されていく。これが彼の本質だった。真理への飽くなき探求心。


「他の研究者に相談すべきか?」


一瞬、その考えが浮かんだが、すぐに打ち消した。


「どうせ理解してもらえない。審査会と同じだ」


慎一は一人で作業を続けることを選んだ。それが、彼の人生を決定づけた選択だった。


「まず、理論的基盤を完璧に構築する。それから実証実験。完璧なデータがあれば、誰も反論できない」


時間が過ぎていく。


深夜三時、四時、五時...慎一は時間を忘れて作業に没頭していた。


「パターンが見えてきた。この周期性は...七つの要素の相互作用?」


彼の理論に、新たな仮説が加わった。


「もし複数の宇宙が存在し、それぞれが独自の法則を持っているとすれば...」


ホワイトボード一面に、複雑な数式が描かれていく。美しく、調和のとれた方程式群。


「七つの世界...いや、七つの宇宙...それぞれが互いに影響を与え合っている」


慎一の理論は、一夜にして飛躍的な進歩を遂げた。


しかし、それを分かち合う相手はいなかった。


「麻衣なら...」


一瞬、彼女の顔が浮かんだ。研究について語る慣一を、いつも嬉しそうに聞いてくれた麻衣。


「いや、彼女には理解できない。感情的な存在には、論理的思考は—」


慎一は首を振った。麻衣のことを考えると、胸が痛んだ。しかし、その痛みも論理的に説明しようとしてしまう自分がいた。


「失恋による精神的ダメージ。一時的な化学的不均衡。時間が解決する」


だが、本当にそうだろうか?


一ヶ月経っても、麻衣の最後の言葉が頭から離れなかった。


『方程式だけが世界じゃないよ』


「方程式こそが世界の本質だ」


慎一は呟いたが、その声には確信が感じられなかった。


朝の光が窓から差し込んできた。いつの間にか、夜が明けていた。


「また徹夜か...」


慎一は疲れた身体を椅子に預けた。しかし、精神的には充実していた。


真理に近づいている感覚。それが彼を支えていた。


「誰にも理解されなくても構わない。真理は一つしかない」


その時、研究室の扉が開いた。


「おはよう、田村君」


指導教官の田中教授だった。


「教授...おはようございます」


慎一は慌てて立ち上がった。


「また徹夜かね?身体を壊すぞ」


田中教授は心配そうに慎一を見つめた。


「研究に重要な進展がありまして」


「そうか。しかし、研究は一人でするものではない。チームワークも大切だ」


またその話か、と慎一は思った。


「私の理論は複雑です。他者に説明するより、一人で完成させる方が効率的です」


「田村君」田中教授は深いため息をついた。「君の能力は疑っていない。しかし、独りよがりになってはいけない」


「独りよがり...ですか?」


「そうだ。科学は対話によって発展する。異なる視点が、新たな発見を生む」


慎一は反論したかったが、疲労で思考がまとまらなかった。


「少し休んだらどうかね?麻衣さんも心配していたぞ」


その名前を聞いた瞬間、慎一の表情が曇った。


「彼女とは...別れました」


「そうか...」田中教授は悲しそうな表情を浮かべた。「原因は、研究の件かね?」


慎一は答えられなかった。


「田村君、君は優秀だ。しかし、人生は研究だけではない」


「しかし、真理の探求こそが—」


「真理も大切だ。しかし、それを誰かと分かち合えなければ、何の意味がある?」


田中教授の言葉が、慎一の心に重くのしかかった。


「少し休みなさい。そして、他の人とも話してみなさい」


教授が去った後、慎一は一人になった。


研究室は静寂に包まれ、朝の光だけが机を照らしている。


「他の人と話す...」


慎一は手帳を開いた。連絡先のページには、数えるほどの名前しかなかった。そして、麻衣の名前には線が引かれていた。


「私には研究しかない」


そう呟いたが、その声には寂しさが混じっていた。


真理を追求することは素晴らしい。しかし、それを誰とも分かち合えないのは、なぜこんなに辛いのだろうか?


「感情的思考は非効率的だ」


慎一は自分に言い聞かせた。しかし、心の奥底で、何かが間違っているような気がしていた。


---


**現在、ネクシスの部屋**


回想を終えた慎一は、三人の評議会メンバーを見つめた。


「あの夜の研究が、今回の次元転移につながったのです」


「そして、あなたは一人で抱え込んでしまった」エルダが悲しそうに言った。


「田中教授の言葉は正しかったのですね」テクニカが続けた。「科学は対話によって発展する」


「しかし、私には対話する相手がいませんでした」慎一は苦笑いを浮かべた。「自分で選んだ孤独でしたが」


「今は違います」コルヴァンが温かく言った。「ここには、あなたと対話したいと願う人々がいます」


慎一は三人を見回した。


テクニカの知的な瞳。エルダの感情豊かな表情。コルヴァンの慈愛に満ちた微笑み。


「私の答えは...」


慎一は立ち上がった。


「管理者就任を、お受けします」


三人の表情が明るくなった。


「ただし、条件があります」


「どのような?」コルヴァンが尋ねた。


「私は完璧ではありません。論理偏重で、感情理解も苦手です。そんな私でも、学習し、成長することはできるでしょうか?」


「もちろんです」エルダが即座に答えた。「私たちが支えます」


「理論と実践の融合も学んでいただきましょう」テクニカが続けた。


「そして、真の調和とは何かを、共に探求しましょう」コルヴァンが締めくくった。


慎一は深く頷いた。


「それでは、よろしくお願いします。不完全な新管理者を」


朝の光が部屋を満たし、新たな物語が始まろうとしていた。


---


## 次回予告


**第 6 話「理論の限界」**


管理者就任を決意した慎一。しかし、なぜ彼は最終的にその選択をしたのか?


真の理由は、麻衣との最後の会話にあった。彼女が投げかけた根本的な問い—「論理だけで世界は理解できるの?人の心は?愛は?」


その問いこそが、慎一の人生観を揺るがし、新たな探求への扉を開いたのだった。


物語の核心テーマが、ついに明確に提示される。


「方程式だけが世界じゃない...なら、世界の本質とは何なのか?」


---


## 後書き


第 5 話では、慎一の孤独な研究生活と、彼の本質的な魅力である「真理への純粋な探求心」を描写しました。


深夜の研究室で一人、誰にも理解されない理論を追求し続ける姿は、彼の悲しい孤独と同時に、科学者としての美しい情熱を表現しています。


田中教授との会話により、「科学は対話によって発展する」という重要なメッセージも提示され、今後の統合評議会での学習への布石となりました。


そして、ついに慎一が管理者就任を決意。不完全さを受け入れ、成長への意欲を示したことで、第一幕の「発見と受諾」が完結に向かいます。


次回は、物語の核心テーマが明確に提示される重要な回となります。


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