第48話「コルヴァンの沈黙」
故郷世界との断絶から三日後、慎一は最後の希望を求めて首席長老コルヴァンの私室を訪れていた。
長老の書庫の奥にある小さな部屋は、古い書物の匂いで満ちていた。コルヴァンは窓辺で、七つの世界への門を静かに見つめている。
「コルヴァンさん」
慎一が声をかけた。
「お忙しい中、申し訳ありません」
コルヴァンは振り返ったが、その表情には深い疲労が刻まれていた。
「田村管理者、どのようなご用件でしょうか」
慎一は躊躇した。
これまで、コルヴァンだけは自分を理解してくれていると思っていた。しかし、最近の対応を見ていると、確信が持てなくなってきた。
「私は...もう誰にも理解してもらえないのでしょうか」
慎一が弱々しく尋ねた。
「長老評議会からは権限を制限され、代表者たちからは見放され、住民からは責任を追及される」
「エルダさんからも決別され、故郷世界との繋がりも断たれました」
「私はもう、完全に一人です」
コルヴァンは沈黙していた。
慎一はその沈黙に不安を感じた。
「コルヴァンさん、あなたは私をどう思われますか?」
「私は、管理者として失格なのでしょうか?」
コルヴァンが重い口を開いた。
「田村管理者、あなたは...」
しかし、言葉が途切れた。
「あなたは?」
慎一が促した。
「申し訳ありませんが、お答えできません」
コルヴァンが首を振った。
慎一は困惑した。
「なぜですか?」
「今は...お話しできません」
コルヴァンの瞳に、深い痛みが宿っていた。
「しかし、コルヴァンさんなら私を理解してくださると思っていました」
慎一が必死に訴えた。
「私は本当に、多元宇宙の平和を願っているのです」
「統合理論も、管理者としての職務も、すべては人々の幸せのためでした」
「それなのに、結果は破滅です」
「六つの世界が危機に陥り、数百万の住民が苦しんでいます」
「私は一体、何を間違えたのでしょうか?」
コルヴァンは答えなかった。
ただ、深い悲しみを湛えた瞳で慎一を見つめるだけだった。
「コルヴァンさん、お願いします」
慎一が懇願した。
「何でもいいから、助言をください」
「私はどうすればいいのでしょうか?」
「今はまだ、お話しする時ではありません」
コルヴァンが再び同じ言葉を繰り返した。
慎一は愕然とした。
「お話しする時ではない...ですか?」
「はい」
コルヴァンが頷いた。
「いずれ、必ずお話しします」
「しかし、今ではありません」
「なぜですか?」
慎一が食い下がった。
「六つの世界が崩壊の危機にあるのに、いつお話しするつもりですか?」
「すべてが手遅れになってからですか?」
コルヴァンの表情が苦痛に歪んだ。
「田村管理者...」
「私には、まだ理解できないことがあるのですか?」
慎一が涙声で尋ねた。
「私は、あなたにとってもまだ子供なのですか?」
「そうではありません」
コルヴァンが否定した。
「あなたは立派な管理者です」
「ならば、なぜ教えてくださらないのですか?」
慎一の声が震えた。
「私には、知る権利があるはずです」
「管理者として、多元宇宙の真実を知る権利が」
コルヴァンは長い沈黙の後、ついに口を開いた。
「田村管理者、あなたは...ヴォイダスについて、何をご存知ですか?」
慎一は戸惑った。
突然の質問の変化に困惑した。
「ヴォイダス...ですか?」
「前任者で、1000年間統治した後に失踪した」
「完璧な論理思考の持ち主で、最終的に虚無思想に至った」
「そして今、多元宇宙を破壊しようとしている」
「それ以外に何か?」
コルヴァンの瞳がさらに深い悲しみに沈んだ。
「あなたは...彼について、本当に何も知らないのですね」
「何を知らないのですか?」
慎一が急いで尋ねた。
「私が知るべき何かがあるのですか?」
しかし、コルヴァンは再び沈黙に戻った。
「申し訳ありません」
「今は、まだその時ではありません」
慎一は完全に絶望した。
最後の理解者だと思っていた人からも、実質的に見放されたような気分だった。
「私は...もう誰からも理解されないのですね」
慎一が立ち上がった。
「失礼いたします」
「田村管理者」
コルヴァンが呼び止めた。
「私は...あなたを見捨てているわけではありません」
「ただ、まだ話すには早すぎるのです」
「いつか必ず、すべてをお話しします」
「いつかでは、もう遅いのです」
慎一が振り返った。
「今日にも世界が一つ消滅するかもしれないのに」
「明日には、すべてが終わっているかもしれないのに」
「『いつか』など、もうないのです」
コルヴァンは答えることができなかった。
慎一は重い足取りで部屋を出ようとした。
その時、廊下で技術長老テクニカと鉢合わせした。
「田村管理者」
テクニカが複雑な表情を見せた。
「テクニカさん...」
慎一は気力もなかった。
もう誰とも話したくなかった。
「少し、お話があります」
テクニカが意外なことを言った。
「お話...ですか?」
慎一は困惑した。
テクニカとは完全に関係が破綻していたはずだった。
「はい。重要なお話です」
テクニカが周りを見回した。
「ここでは話せません。私の研究室へ」
慎一は迷った。
しかし、他に行く場所もなかった。
テクニカの研究室で、二人は向かい合って座った。
「田村管理者」
テクニカが重い口調で切り出した。
「私は、あなたに謝罪しなければなりません」
慎一は驚いた。
「謝罪...ですか?」
「はい」
テクニカが頷いた。
「私は、あなたを厳しく批判しました」
「実践的解決策を出せないと」
「理論ばかりだと」
「しかし、それは正確ではありませんでした」
慎一は混乱した。
「どういう意味ですか?」
テクニカは長い間沈黙していた。
そして、ついに口を開いた。
「私は、ヴォイダス時代に技術責任者を務めていました」
慎一は衝撃を受けた。
「ヴォイダス時代に...ですか?」
「そうです」
テクニカが苦しそうに続けた。
「私は、彼と協力していました」
「理論と実践の完璧な組み合わせでした」
「ヴォイダスの論理的思考と、私の技術力で、多元宇宙は黄金時代を迎えていました」
慎一は言葉を失った。
「しかし...」
テクニカの声が震えた。
「私は、彼が変わっていくのを止められませんでした」
「論理偏重になり、感情を軽視するようになり、最終的に虚無思想に至った」
「そして、失踪した」
「私は、彼を救えなかった」
慎一は理解し始めた。
「それで、私に厳しく当たっていたのですか?」
「はい」
テクニカが頷いた。
「あなたを見ていると、ヴォイダスの初期を思い出すのです」
「同じ道をたどるのではないかと恐れていました」
「しかし、それは私の個人的な恐怖でした」
「あなたに不公平でした」
慎一は複雑な気持ちになった。
「テクニカさん...」
「私は、あなたに協力を申し出ます」
テクニカが真剣に言った。
「今度こそ、失敗は許されません」
「ヴォイダスを救えなかった私が、あなたは必ず支えます」
慎一は涙が出そうになった。
しかし、同時に新たな不安も生まれた。
テクニカがヴォイダス時代に協力していたということは、彼の技術がヴォイダスの破壊に利用されている可能性もある。
そして、コルヴァンも何か重要なことを隠している。
慎一の孤独感は、一瞬和らいだものの、新たな疑問と不安によってさらに深まっていた。
最後の支えだと思っていた人たちにも、隠された秘密があったのだ。
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## 次回予告
**第49話「論理の終焉」**
テクニカの告白により新たな不安を抱えた慎一に、さらなる試練が襲いかかる。
「計算が...合わない...」
すべての論理的解決策が破綻し、慎一の思考能力が微細に機能不全を起こし始める。
「2+2が...4じゃない...?」
簡単な計算でミスを連発し、数字が踊って見えるような錯覚に陥る。
睡眠パターンも破綻し、現実と夢の境界が曖昧になる。感覚が麻痺し、幻覚すら見るように...
「論理では...世界を救えない...」
自分の存在意義の根幹である論理的思考能力の崩壊により、慎一は最も深い絶望の淵に立つ。
静かで恐ろしい心の崩壊が、ついに始まる。




