第 33 話「失われた記録」
ヴォイダスの 1000 年間の統治記録に衝撃を受けた慎一たち。
しかし、調査はまだ終わっていなかった。
「待ってください」
テクニカが禁書庫の奥を指差した。
「あちらに、まだ見ていない書類があります」
コルヴァンが目を凝らすと、古い木箱が薄暗がりに置かれていた。
「あれは...ヴォイダス様の私物です」
「私物?」
慎一は興味を示した。
「どのような物ですか?」
「日記や手記、実験記録などが入っています。統治記録とは別の、個人的な記録です」
一同は木箱に近づいた。表面には、「虚無の導師ヴォイダス 私的記録」と刻まれている。
「開けても良いでしょうか?」
慎一が尋ねると、コルヴァンは重く頷いた。
「今の状況では、すべてを知る必要があります」
木箱を開けると、古い羊皮紙に書かれた大量の文書が現れた。
慎一は最初の日記を手に取った。
『第 1 年目の日記』
『今日、管理者に就任した。多元宇宙の完全なる調和を実現するという、この上ない使命を与えられた。』
『私の論理的思考によって、すべての問題を解決し、理想的な世界を築いてみせよう。』
慎一は驚いた。この文章は、まるで自分が書いたもののようだった。
「これは...」
「どうかしましたか?」エルダが心配そうに尋ねた。
「いえ、ただ...私も同じようなことを考えていました」
慎一は読み続けた。
『第 10 年目の日記』
『統合理論の初期バージョンが完成した。論理と感情の統合による問題解決手法だ。』
『これにより、世界間の対立を効率的に解決できるはずだ。』
慎一の手が震えた。
「統合理論...?」
「どうしたのですか?」テクニカが覗き込んだ。
「ヴォイダスも、統合理論を考えていたようです」
日記を読み進めると、恐ろしい類似性が次々と現れた。
『第 50 年目の日記』
『論理と感情の統合実験を開始。まず小規模な紛争で試してみよう。』
『仮説:論理的解決策に感情的配慮を加えることで、より完璧な解決が可能』
慎一の統合理論とほぼ同一の発想だった。
「私の理論は...オリジナルではなかったのですね」
慎一は落胆した。
「いえ、田村管理者」
コルヴァンが慰めた。
「アプローチは似ていても、あなたとヴォイダス様では根本的な違いがあります」
「どのような違いですか?」
「それは、この先を読めばわかります」
慎一は続きを読んだ。
『第 100 年目の日記』
『統合理論による解決策は成功している。しかし、一つ気になることがある。』
『人々が私の決定に感情的に反発することが多い。論理的に正しいのに、なぜ理解されないのか?』
慎一は息を呑んだ。自分も同じ疑問を抱いたことがあった。
『第 200 年目の日記』
『統合理論を修正した。感情的要素をより重視するバージョンだ。』
『しかし、今度は論理的整合性が失われる。完璧なバランスは難しい。』
「私も同じ悩みを...」
慎一は自分の手帳を見た。そこには、同様の修正過程が記録されていた。
『第 300 年目の日記』
『ついに気づいた。問題は理論にあるのではない。人々の非論理性にある。』
『感情に左右される彼らに、真の統合理論を理解させるのは不可能だ。』
ここから、ヴォイダスの思考に変化の兆しが見え始めた。
『第 400 年目の日記』
『新方針を決定した。人々に理解させようとするのではなく、論理的に正しい決定を下し続ける。』
『時間が経てば、その正しさが証明されるはずだ。』
慎一は不安になってきた。この思考パターンには、危険な匂いがしていた。
「コルヴァン」
慎一が振り返った。
「私も、時々同じことを考えてしまいます」
「田村管理者...」
「論理的に正しい解決策を提示しているのに、なぜ感情的に反発されるのか、と」
コルヴァンの表情が曇った。
「それが、ヴォイダス様が歩んだ道の始まりです」
慎一は読み続けた。中期の日記は、さらに衝撃的だった。
『第 500 年目の日記』
『完璧論理体系が完成した。すべての問題を論理的に解決する絶対的手法だ。』
『もはや、非論理的な感情に配慮する必要はない。』
『第 550 年目の日記』
『効率化のため、感情的判断を政策から排除することにした。』
『論理的正解に反対する者たちは、単に理解力が不足しているだけだ。』
慎一は恐怖を感じた。この考え方は、自分にも芽生えつつあった危険な思考だった。
『第 600 年目の日記』
『評議会のメンバーたちが、私の方針に反対し始めた。』
『彼らには失望した。論理を理解できない者たちとは、距離を置くべきだ。』
「これは...」
エルダが青ざめた。
「先程読んだ統治記録と一致していますね」
「はい。しかし、個人的感情がより生々しく記録されています」
慎一は後期の日記に移った。
『第 700 年目の日記』
『完璧な統治が実現した。すべての問題が論理的に解決されている。』
『しかし、なぜだろう。私は満足していない。むしろ、孤独感が深まっている。』
『第 750 年目の日記』
『誰も私を理解しない。完璧な解決策を提示しても、感謝されることはない。』
『論理的思考の極致に達した者の宿命なのだろうか。』
慎一の心に、深い恐怖が宿った。これは自分の未来なのだろうか?
『第 800 年目の日記』
『ついに理解した。感情は非効率的なノイズに過ぎない。』
『しかし、そのノイズを完全に排除すると、なぜ虚無感が生まれるのか?』
『第 850 年目の日記』
『答えは簡単だった。感情を持つ者たちと交流できなくなったからだ。』
『しかし、論理的に考えれば、それは進歩というべきだろう。』
『非効率的な感情から解放されたのだから。』
ヴォイダスの孤立が、日記からも明確に読み取れた。
『第 900 年目の日記』
『絶望的な発見をした。』
『どれほど完璧な解決策を実現しても、新しい問題が必ず現れる。』
『問題解決は、無限の循環に過ぎないのではないか?』
慎一は震えた。これは、自分も薄々感じていた不安だった。
『第 950 年目の日記』
『もう一つの発見。』
『人々を幸せにしようとすればするほど、誰かが不幸になる。』
『完璧な解決策など、存在しないのかもしれない。』
慎一の手が止まった。これは、少し前にヴォイダス自身が語った「苦痛の無限性」の原点だった。
そして、最後の日記。
『第 1000 年目の日記 - 最終記録』
『ついに、すべてが明らかになった。』
『問題は、問題を解決しようとすることそのものにある。』
『存在する限り、苦痛は続く。意識を持つ限り、矛盾に悩まされる。』
『愛すればこそ、失う痛みが生まれる。』
『真の救済は、ただ一つ。』
『すべての存在を虚無に帰還させること。』
『多元宇宙終焉計画を開始する。』
慎一は日記を落とした。震える手で、それを拾い上げる。
「多元宇宙終焉計画...」
「ヴォイダス様の最終目標です」
コルヴァンの声は絶望に満ちていた。
「すべての存在を消去し、苦痛を永遠に終わらせること」
「でも、それは...」
慎一は言葉を失った。愛するがゆえの破壊とは、このことだったのか?
その時、テクニカが別の文書を発見した。
「田村管理者」
テクニカの声が震えていた。
「これを見てください」
それは、ヴォイダスの実験記録だった。
『多元宇宙理論実証実験記録』
『実験目的:次元境界の人工的操作による、異世界間の人材召喚』
『特定条件:論理偏重、完璧主義、世界改善願望を持つ個体の選択的召喚』
慎一は血の気が引いた。
「これは...私の召喚に関する記録ですか?」
テクニカが続きを読み上げた。
『召喚対象者プロファイル:』
『・物理学専攻、多元宇宙理論研究者』
『・極度の論理偏重、感情軽視傾向』
『・完璧主義による孤立傾向』
『・恋人との別れ経験による感情的課題』
『・世界改善への強い願望』
慎一は愕然とした。これは、完全に自分のことだった。
「私は...ヴォイダスによって、意図的に選ばれたのですね」
「はい」コルヴァンが悲しそうに頷いた。「彼は、自分と同じタイプの後継者を求めていたのです」
テクニカが最後のページを読んだ。
『予測される展開:』
『召喚された対象者は、初期段階では統合理論により一定の成功を収めるだろう。』
『しかし、問題の無限性と感情的非論理性に直面し、次第に論理偏重を強めるはずだ。』
『最終的には、私と同じ結論に至る:存在そのものが問題である。』
『その時、多元宇宙終焉計画の真の継承者となるだろう。』
沈黙が禁書庫を支配した。
慎一は自分の手帳を見つめた。そこに記録された理論と実験データ。
それらはすべて、ヴォイダスが歩んだ道と酷似していた。
「私は...ヴォイダスの計画通りに動いているのでしょうか?」
慎一の声は震えていた。
「田村管理者」
エルダが慎一の肩に手を置いた。
「確かに、類似点は多いです。しかし、決定的な違いがあります」
「どのような違いですか?」
「あなたは、仲間を信頼し、支援を求めることができます」
「ヴォイダス様の日記を読み返してください。彼は一人で抱え込み続けました」
慎一は日記を見返した。確かに、後期になるほど「孤独」「理解されない」という言葉が増えている。
「そして」テクニカが付け加えた。「あなたの実験データには、ヴォイダス様にはない要素があります」
「どのような要素ですか?」
テクニカは慎一の手帳を指差した。
「感情統合の実証データです」
「ヴォイダス様は理論的に統合を考えましたが、実際に感情を受け入れることはありませんでした」
「しかし、あなたは境界術の習得で、感情の価値を体験的に理解しています」
慎一は思い出した。硏究院訓練エリアでの境界術初成功。あの時、麻衣やエルダへの想いが力となった。
「確かに...感情は、単なるノイズではありませんでした」
「その通りです」マーカスも同意した。「感情は、論理を補完する力なのだ」
「でも」慎一は不安を隠せなかった。「私も同じ道を歩む可能性が高いのでは?」
「その可能性はあります」
コルヴァンが率直に答えた。
「しかし、予防策もあります」
「予防策?」
「私たちが、あなたを一人にしないことです」
コルヴァンは立ち上がった。
「ヴォイダス様の悲劇は、孤立から始まりました」
「私たちは、二度と同じ過ちを犯しません」
その時、書庫の空気が冷たくなった。
「感動的な決意だな」
ヴォイダスの声が響いた。
「しかし、結果は同じになる」
半透明の姿が現れ、慎一を見つめた。
「君の実験データを見せてもらった。私の初期理論と 99%一致している」
慎一は背筋が寒くなった。
「つまり、君も同じ道を歩む運命なのだ」
「違います」
慎一は勇気を振り絞って反論した。
「私には、あなたにはなかった支援があります」
「支援?」ヴォイダスが嘲笑した。「私にも支援者はいた。しかし、最後は皆去っていった」
「論理の極致に達した時、誰も理解できなくなるのだ」
「それでも」慎一は確信を込めて答えた。「私は諦めません」
「愚かな...」
「仲間と共に、新しい道を見つけます」
ヴォイダスの表情が、わずかに動いた。
「...期待している」
そう呟いて、姿は消えた。
残されたのは、重い課題だった。
慎一は自分の手帳を閉じた。
ヴォイダスとの類似性は否定できない。しかし、同じ結論に至る必要はない。
「皆さん」
慎一は統合評議会のメンバーたちを見回した。
「私に、道を見失いそうになった時は、遠慮なく指摘してください」
「一人で抱え込まず、必ず相談します」
エルダが微笑んだ。
「約束です」
しかし、慎一の心の奥底では、不安が渦巻いていた。
本当に、ヴォイダスとは違う道を歩めるのだろうか?
そして、多元宇宙終焉計画とは、具体的にどのような恐ろしい計画なのだろうか?
境界の不安定化は、その前兆に過ぎないのかもしれない。
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## 次回予告
**第 34 話「境界の歪み」**
ヴォイダスの恐ろしい計画が明らかになった慎一たち。しかし、事態はさらに深刻化していく。
「複数の世界で、同時多発的に境界異常が発生しています!」
アルディア、ドラコニア、シリコニア...七つの世界すべてで、境界線が激しく歪み始めた。
「これは...自然現象ではありません」
テクニカの分析により、意図的な攻撃であることが判明する。
「ヴォイダス様の多元宇宙終焉計画が、ついに実行段階に入ったのです」
一方、慎一は自分との類似性に深い不安を覚えていた。
「私も、本当に同じ結論に至ってしまうのでしょうか?」
境界崩壊の危機と、内面の恐怖。二重の脅威に直面する慎一。
見えない敵との本格的な戦いが、始まろうとしていた。




