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第 1 話「次元の扉」

深夜二時。東京大学物理学研究棟の七階、田村慎一の個人研究室に、けたたましい警告音が響いた。


「なんだ、これは——」


慎一は眼鏡を押し上げ、モニターに表示された異常値を見つめた。多元宇宙理論の実証実験装置から発せられるデータは、既存の物理法則を完全に逸脱していた。


**空間歪曲率:+∞**

**次元境界圧:測定不能**

**エネルギー流入:未知のソース**


「ありえない」慎一は手帳にペンを走らせながら呟いた。「理論上、この数値は—」


その時だった。実験装置の中央、直径三メートルの円形プラットフォームの上空に、**現実に裂け目が走った**。


空気が震え、蛍光灯がちらつく。慎一の黒髪が静電気で逆立ち、研究室中の金属製品が共鳴するように振動し始めた。裂け目の向こうから、この世のものとは思えない七色の光が漏れ出している。


「これは...次元の境界線が...」


慎一の瞳に、科学者としての純粋な興奮が宿った。恐怖よりも好奇心が勝っていた。彼は震える手でデータレコーダーを取り上げ、観測を続けた。


「データによれば、空間の基本構造そのものが変質している。既存の理論では説明不可能だが、仮説として多元宇宙間の境界面が不安定化したと考えれば—」


裂け目が急激に拡大した。


実験台の上の機器が宙に浮き上がり、重力の方向がねじ曲がる。慎一自身も足が地面から離れかけた。


「危険だ、避難すべきか?いや、このデータを失うわけには—」


論理的思考と研究者の本能が激しく葛藤する。しかし慎一の性格は、危険よりも真理の探求を選択させた。


「完璧なデータを記録すれば、この現象を解明できる。そうすれば人類の科学に革命的進歩をもたらす」


彼は避難よりも観測を選んだ。


裂け目から放たれる光が研究室を満たし、慎一の網膜に七つの異なる世界の断片的映像が焼き付けられた。浮遊する魔法学院、溶岩に覆われた山岳都市、水晶でできた透明な高層建築群—理解不能でありながら、なぜか美しい光景だった。


「これらの映像は何を意味するのか?仮に平行世界が存在するとして、なぜ七つなのか?そして—」


突然、研究室の全ての音が消えた。


完全な無音空間。慎一の心臓の鼓動すら聞こえない。時間が停止したかのような静寂の中で、裂け目が彼を見つめているような錯覚に陥った。


そして、声が響いた。


『選ばれし者よ』


それは男性とも女性ともつかない、どこか懐かしくも荘厳な声だった。空間そのものが語りかけているようだった。


『多元宇宙の調和が乱れている。汝の論理的思考こそが、世界を救う鍵となる』


「誰だ?どこにいる?」慎一は四方を見回したが、声の主は見当たらない。「この現象の原理を説明してくれ。何が起きている?」


『時間がない。選択せよ。このまま安全な世界に留まるか、それとも真理と責任を背負って新たな世界に踏み出すか』


慎一の眼鏡のレンズに、研究室の光景と異世界の映像が同時に映り込んだ。現実と非現実の境界が曖昧になっていく。


「選択だと?論理的根拠なしに決断はできない。まず状況を整理させてくれ」


しかし裂け目は待ってくれなかった。


空間の歪みが限界に達し、慎一の足元の床が崩れ始めた。重力がねじ曲がり、彼の身体が裂け目に向かって引き寄せられていく。


「くっ...制御できない...!」


理論と現実の間で、慎一は初めて自分の限界を感じた。どれほど論理的に思考しても、この現象に対処する術がない。研究者として、科学者として、そして一人の人間として、彼は未知の存在に翻弄されていた。


裂け目から吹き出す風圧に押し流されながら、慎一は最後の観測を試みた。手帳とペンを握りしめ、この瞬間の感覚を記録しようとした。


「もし仮に、これが本当に多元宇宙への扉だとすれば...」


彼の意識が薄れていく中で、一つの疑問が浮かんだ。


なぜ自分が選ばれたのか?


論理偏重で感情を軽視し、恋人にすら愛想を尽かされた自分が、なぜ「世界を救う」などという大役を担わなければならないのか?


「理解できない...論理的に説明がつかない...」


しかし理解できないからといって、現実が変わるわけではない。


慎一の身体が完全に重力から解放され、七色の光に包まれた。研究室が遠ざかり、人生の全てが一瞬で過去になっていく。


最後に彼が見たのは、机の上に置き去りにされた研究資料の山だった。三年間をかけて構築した多元宇宙理論の集大成。それは今、現実のものとなって彼を呑み込もうとしていた。


「これで...実証実験は...成功、なのか...?」


皮肉めいた微笑を浮かべながら、田村慎一は未知なる世界へと消えていった。


研究室には静寂が戻り、裂け目は跡形もなく消失した。残されたのは、床に散乱した実験データと、まだ温かいコーヒーカップだけだった。


次元の扉は閉じられた。


しかし物語は、今始まったばかりだった。


## 次回予告


**第 2 話「孤高の研究者」**


慎一が消えた研究室で、同僚たちは困惑していた。「田村君は一体どこに?」完璧主義で論理偏重、人間関係における不器用さ。しかし研究への純粋な情熱と、鋭い論理的洞察力。消えた天才科学者の日常が、関係者の証言により明らかになる。


一方、意識を失った慎一は、見知らぬ石造りの部屋で目を覚ます。そこに現れたのは—


「ようこそ、ネクシスへ。お待ちしておりました、新たな管理者候補よ」


---


## 後書き


『境界の守護者』第 1 話をお読みいただき、ありがとうございます。


この物語は、論理と感情の対立、そして最終的な統合をテーマとした本格ファンタジーです。主人公・田村慎一の成長と共に、読者の皆様にも新たな価値観の発見をお届けできれば幸いです。


今回の第 1 話では、現代科学の研究室という身近な舞台から、多元宇宙という壮大な世界観への扉を開きました。慎一の論理偏重な性格と、それゆえの魅力と欠陥を同時に描写することで、今後の成長への期待を込めました。


次回からは、いよいよ異世界ネクシスでの物語が本格始動します。7 つの世界、統合評議会、境界術システム—壮大な冒険の序章にご期待ください。

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