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夜空──イルタ

 無茶苦茶なことを口走っている自覚はあった。しかも、イルタが言葉を投げつけている相手は反逆者。サルミアの敵。あんたを焼き殺すなんて簡単だ、と笑って言っている。

 だけど、村を出てから、イルタにこんなふうに話してくれる人は誰もいなかった。サルミアのため、じゃなくて──イルタのために、一生懸命。

 とても一生懸命に見えて──反逆者の言うことなんて信じちゃだめなのに、お姉ちゃんが死んでいるなんて絶対に嘘なのに──トーリの言葉の幾つかはイルタの心に深く落ちた。ずっと胸の奥にしまっておいた言葉が、唇から外へ零れてしまった。

「あたし、お姉ちゃんに、会いたい」

「連れてってやるよ。何て村?」

 最初は、トーリが何を言っているのか、わからなかった。理解したと同時に心を占めたのは、ただ、驚き。

 アームに連れていってくれるの? なぜ? しかも……。

「だめよ。そんな、許可なく……」

 しどろもどろに呟いたら、

「大丈夫。火竜の契約者に無理やり連れてかれた、ってことなら、イルタは悪くない」

 トーリがそんなふうに言った気がする。

 驚きがおさまらないうちに、マントで包まれ、両腕で抱き上げられていた。イルタは逃れようと暴れかけたけれど、薄青の目が映したものに、手も足も動かなくなった。

 トーリの背から、ゆらり、と炎が広がっていた。ドラゴンの翼のかたちに。

 イルタの体がふわりと浮き上がり、炎の翼が、ばさり、と大きくはばたいた。

 風が耳元を過ぎていく。トーリの声も一緒に。

「ちょっと目立つけど、こんな夜中に起きているやつもそういないだろうし、夜だから、少しくらい不思議なことがあってもいいよな」

 笑って言っているような声だった。けれど、イルタはトーリの表情を確かめることはしなかった。まばたきも忘れて、炎の翼を見つめ続ける。

 ──火竜の契約者。

 心の中でそう呟いて。

 自分が空を飛んでいると意識したのはしばらく経ってからだ。ふと、首をねじるとはるか下方に森が見え、イルタの全身が強張った。

 イルタは空を飛んだことなどない。イルタが契約した風の妖精にはそんな力はない。風の速さで情報を伝えるだけ。

 マント越しに、イルタを抱くトーリの手に力がこもるのがわかった。

「大丈夫だよ。ちゃんと抱いているから。でも、怖かったら、どこでもつかまっていて」

 どうしようと考える前に、両手が、トーリの服の胸の辺りをぎゅっとつかんだ。それで、少しだけど落ち着いて、イルタはトーリの顔に目をやることができた。

 可笑しそうな顔をしていた。唇の端と目が笑っている。──私が慌てふためいたから?

 イルタの体が熱くなる。よく考えたら、自分は今とても恥ずかしい状況にある気がする。小さな子どもか、恋人……みたいに両腕で抱かれて。

 トーリは平気な顔をしていた。女の子を抱き上げることに慣れているのかもしれない。

 イルタも、つん、と唇を結んだ。私だって、平気だ。こんなこと、何でもない……はず。

 風が、耳元を冷たく過ぎていく。

 ……空を飛んでいるんだ、私──しばらくして、そう思った。

 小さい頃はよく空想した、鳥のように自由に空を飛ぶ自分を。

 トーリの腕の中で、もう一度そっと首を捩じって、イルタは肩越しに大地を見下ろした。

 月の光が霜のように白く森に降っていた。月明かりを鈍く反射した光が細長く連なっているのは……川だろうか。緩やかな丘は、月に照らされた明るい部分と暗い陰とを交互に織りなす。丘の中腹に黒い塊が寄りそっているように見えるのはどこかの村。そうして、また、月の光が降り積む森が近づいて……。

 夢のような景色に目も心も奪われた。

 でも、ハッとする。

「……これも、あなたの、手?」

 精一杯、皮肉っぽく言った。──木霊たちの言っていた、女の子をうっとりさせる手。

「手?」

 不思議そうに聞き返して、トーリの視線が動いた。イルタを抱える自分の手へと。

 ば、馬鹿にしているのかしら──と思ったけれど、トーリは真顔だ。少し時間がたってから、あ、と声を上げて、

「もしかして、うっとりしてる?」

 イルタににっこりと笑った。思いがけないプレゼントをもらった子どもみたいな笑顔だったので、嘘がつけなくなった。

「少し……ほんの少しよ。だって、初めてだもの、空から見る景色なんて」

「そういえば俺も初めてだ。女の子と飛ぶの」

 何気なさそうにトーリが言って、イルタはどきりとする。だけど、すぐに、どきりとした自分を戒める。これも彼の手かもしれない。

 トーリの口調はふと気づいたことを口にしただけのように聞こえたけれど、女の子相手なら誰にでも同じこと言っている可能性がある。自分がちょっと笑いかけて甘い言葉を囁けば、女の子なんてすぐ意のままになると思ってそうだもの──なんて考えていると、トーリが自分の言ったことを訂正した。

「あ、違う、三人目だ」

 言いながら、目を前方へ戻した。唇の笑みはそのままだ。

「リンナとノラ……あいつらも女の子だった。ちゃんと数に入れなきゃ怒られるな。適合者を連れて古い谷を越えるとき、こうやって一緒に飛ぶんだ」

 適合者──ということは、おそらくは十歳以下の子ども。性別が女性なら、間違いなく『女の子』だ。

 トーリの言葉をどう受け取ったらいいのか、イルタは悩む。同じ年頃の女の子と飛ぶのはイルタが初めてだ、と正確に告げりことで自分は特別だとイルタに意識させ、うっとりさせたいのだろうか。それとも、単に事実を述べているだけ?

 ……悩んだのは、トーリがとても親しく女の子たちの名前を口にしたからだ。そこには計算も作意も感じられなくて。

 ふと思った。──トーリにさらわれた子どもたちは、もしかしたら、伝説の地で彼と仲良く暮らしているのかしら。たくさんの湖のある森で。精霊と、精霊と暮らす湖水の民と。……もしかしたら、笑顔で。

 イルタの耳に食堂で聞いた酔っ払いの声が甦った。──子どもたちも、城に連れて行かれるより、火竜の契約者に連れて行かれる方が、ひょっとしたら、マシかもしれんしなあ。

 声は、あのときは感じなかった哀しい調子を帯びて耳に響いた。子どもたちが火竜の契約者に連れていかれる場所は、精霊たちが湖水の民と暮らすセルヴィ。一方、城に連れていかれた子どもたちは……都でのイルタの生活は、灰色の石の壁に囲まれた広場での戦闘訓練と、地下室での学習だった。

 すべては王国の特別な兵士になるために。

 同僚はいても、友達になることは許されなかった。

 胸が突き刺されるように痛んだ。──お姉ちゃんだったら、エイレンだったら、私にどちらを望んだだろう。王国の兵士になることと、伝説のセルヴィで暮らすことと。

『契約に成功して、立派な兵士になってね』

 イルタの後ろに立った魔法術師や兵士たちに見下ろされながらそう言ったエイレンの目は涙でいっぱいだった。元気でね、と付け足したあと、唇がそっと動いた。死なないでね。

 自分を包むマントに潜り込むように顔を俯けて、イルタは唇を噛んだ。こんなことで泣いたりしない。さっきは、うっかり、涙を見せてしまったけれど、いつもちゃんと我慢できた。ひとりぼっちでさみしくても、訓練が厳しくて辛くても。今だって、できるはずだ。

 トーリはイルタの様子にすぐに気づいたらしかった。イルタは……と話しかける途中で口を噤んで、それきり黙ってしまったから。

 どのくらいそうしていただろう。やがて、閉じた瞼の裏に光を感じ、イルタはマントの縁から目をのぞかせた。

 夜明けだ。

 東の地平が明るくなって、金色の光が大地に広がり、森や草原の鮮やかな緑色を影の中から甦らせる。丘のふもとの小さな集落をも照らし出す。

 一目でわかった。アームだ。

 村が背にした丘の斜面には、畑がきれいな縞模様を描いている。丘を巡って流れる小川が村の中央をよぎっている。

 どこにでもある、ありふれた村。──でも、私の故郷(ホーム)

 炎の翼がはばたいて、トーリは森の外れに着地した。

「大丈夫? ひとりで立てる?」

 イルタがうなずいてから、そっとイルタを下ろす。

 森の外れは、アームまで丘をもうひとつ越えなければならない場所だった。空から故郷の村を目にしたイルタはいつの間にか気持ちが逸っていて、あと少しなのに、村まで飛んでくれればいいのに、と思ってしまう。

 けれど、イルタはすぐに自分をたしなめた。空から村に舞い降りるなんてことをしたら、騒ぎになってしまう。トーリがそんな真似をするはずがない……だけじゃなく、イルタだって任務中なのだ。姉の無事が見届けられればいい。本当の再会は任務を果たしてから、堂々と、ゆっくりとするのだ。

 任務は……自分をここまで運んだ火竜の契約者を捕らえること、だけど……。

 トーリは、と目をやると、大きく息をついて腕を振っていた。視線に気づいたようにイルタを見ると、にっ、とした。

「予想より、重かった」

 重い……って。

 イルタは、まだ体に巻きついていたマントを急いではがし、トーリに投げつけた。トーリはそれを片手で受け止め、肩にかける。

 失礼なことを言ったとは、全然思っていない様子で、続けた。

「適合者のちびたちみたいなわけにはいかなかったな。時間もくったし、腕も疲れた」

 それは……確かに、十歳の子どもよりは自分の方が重いだろうけれど。

 屈託ない顔を、見つめてしまった。きれいな顔立ちは、もちろん、同じなのだけど、雰囲気が変わった気がした。青い泉に炎を走らせたときや、自分に……キスしてきたときと。

 あのときはどこか浮世離れした感じだったのに、今は……その辺にいる無邪気で無神経な男の子みたいだ。

 でも、ふいと、イルタを見るトーリの瞳が暗くなる。

 その理由は、簡単に想像できた。トーリは目の前の女の子が悲しい真実と向き合わなければならないと思っていて──もしかしたら──同情しているのだ。

 イルタは、つん、とあごを上げて、トーリを見返す。

「不本意なこともあるけど、お礼を言うわ。姉に会えるのは、その、一応……嬉しいもの。この任務が終われば会えていたから、あなたのしたことは余計なお世話なんだけど」

 村に行けば、元気なエイレンを見ることができる。姉が対価になっていなくなってしまっているなんて、絶対にない。

 トーリは目を伏せた。マントをはおり、フードを被った。深く、唇しか見えないくらいに深く。

 その唇が、行こう、と動いて、イルタとトーリはアームへと歩き出す。


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