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桎梏(三)──イルタ

 夜の間は馬車に近づけなかった。三人の兵士が常に見張りに立っている。

 朝が来て、イルタはこれまで通りヴィータ女王の馬車の横に並ぼうとした。胸のかくしには、ノスティの魔法術師に渡された鍵がある。

 ヴィータ女王に、褒美として馬車に入って火竜の契約者を見ることを願い出よう、と考えていた。近くに行ければ──あとは鎖を外すだけ。

 だが、イルタはラークソン将軍に呼び止められた。

「少しイルタをお借りします」

 と、言う将軍に軽く頷き、ヴィータ女王は馬車を出発させる。

 イルタは逸る気持ちを押さえてラークソン将軍に向かい合った。

 ラークソン将軍はヴィータ女王の乗る馬車を見送った。他の馬車も、兵士の隊列も、イルタと将軍の横を次々に通り過ぎていく。将軍はそれも黙って見送る。

 トーリを自由にすることばかり考えていたイルタは、そこでようやく不安を感じた。──将軍は私とふたりきりになろうとしている? 極秘の任務を与えられるということか、それとも……まさか、昨夜、夜営を脱け出したのを誰かに見られた?

 隊列の最後尾が上げる土埃も届かなくなる頃、つまり、自分たちの話が聞こえる距離に誰もいなくなったとき、将軍はやっと口を開いた。

「ヴィータ様と随分話が弾んでいたようだが」

「申し訳ありません」

 とっさに出たのは謝罪の言葉。イルタは急いで続く言葉を考える。

「姫さまに護衛兵に取り立ててもよいと言われ、舞い上がっておりました」

「風向きでときどき声が聞こえたのだが、火竜の契約者に興味が?」

 鼓動が速まる。苦しいくらいに。声の大きさには気をつけていたつもりだった。けれど、ヴィータ女王はそんなこと気にはしない。王女の答えからイルタの問いを推測するのは難しくなかっただろう。

「初めての大きな任務でしたので、結末が気になって」

「ヴィータ様は何と?」

「火竜の契約者を中心に軍をつくると。私も入れてくださると、おっしゃいました」

「入りたいのかな?」

 答えがすぐに出なかった。はい、と言うべきなのに喉が詰まって。そして、

「はっきりとは聞き取れなかったのだが、戦争をお望みなのか、と質問していたかな?」

「……分を弁えない質問でした。ですが……」

「君は戦争を望んでいないと理解した」

 喉元に剣を突きつけられたようだった。早く申し開きをしなければ。

「いえ、私の、申し上げたかったことは……」

「うん。私も望んでないんだよ、戦争」

 言おうとした言葉のかたちに口を開けたまま、イルタは目を丸くした。

 将軍は細い口髭を指でなぞった。

「そんなに驚くことかな? 戦争すれば、国民が死ぬんだよ?」

「……」

 どうしよう、とイルタは焦る。何を言えば正解なのかわからない。

「イルタ、君はなぜ契約者になり、軍に入った?」

「サルミアを守るためです」

 これには即答できた。が、

「どうすれば守れると思う?」

 攻めてくる敵国と戦って勝つことだと思っていた。たとえば、ノスティと。今は……ノスティだから敵、なんて簡単には思えないけれど。

「……ヴィータ様は、サルミアが諸国をまとめれば……」

「──戦わなければいいんだよ。うまく兵力のバランスをとって、適当ににらみ合って」

 他愛ない世間話のような軽々しさで将軍の口から出た言葉は、イルタが考えたこともないことで。

 意表を衝かれて白くなった頭を、イルタはもう一度必死に働かせる。将軍は何を言おうとしているのだろう? それとも……私を試している? 

 将軍の話は続いている。

「私はそのために火竜の契約者が役に立つと思った。……実は、私は、契約前のトーリをひそかに観察したことがあるのだが」

 イルタは驚いて将軍を見つめ、将軍は遠くを見るように目を細める。

「とても繊細な子どもだったね。精霊に祝福を受ける人間とはそういうものなのだろう。およそ戦争には向かない。それでも、サルミアが火竜の力を持つことは、他国にとっては、開戦に二の足を踏まざるをえない脅威になると私は考えた」

「───火竜の力で戦争を抑止する、ということでしょうか」

 弾かれるようにイルタは言った。

 目の前がぱっと明るく開けたようだった。それなら、トーリは現実に戦うことはない。怖れられる存在でいるだけでいい。どの国もサルミアに攻め込めないように。

 誰も戦わなくていい。誰も死なない。戦って国を守るんじゃなくて、戦わないことでみんなを守る。

 将軍が、にこり、と笑った。

「私が見込んだ通り、君は優秀だね。では、これもわかるだろう? ──あの力は危険だ。大き過ぎる。あれは争いの元となる。人の心の火種となる」

 明るくなったイルタの気持ちが一気に暗転した。

 まざまざと脳裏に浮かんだのは、氷魔の力を相殺した地の底の火精の力。あれを呼び出せる力を持つトーリ。そして、嬉々として、『あれを手に入れて』と叫んだヴィータ女王の笑顔。高らかに『私はこの世界すべての王女よ』と。

 イルタは弱く呟く。

「……火竜の力があることで、勝利を確信し、戦争を始める者が出てくる……」

「勝てると思うよ。こちらの損害も少ないだろう。だが、相手はたくさん死ぬ。そして、契約者は人間だ。無敵でも不死でもない。契約者が死んだとき、あるいはもっと強い力を手に入れたとき、抑えつけられていた人々はどうするだろうか?」

「……報復」

 肚に怨嗟を溜めた人々は、それを吐き出すために立ち上がるだろう。そしてまた新しい恨みと憎しみが流れた血の上に積み重なる……。

 将軍は、ぱん、と両手を鳴らした。生徒から期待していた答えが返ってきた教師のように。

「そう! それを避けるために為すべきことは?」

 数秒、将軍はイルタの答えを待った。

 イルタは答えられなかった。全身が冷たくなっただけで。

「……火種は、消しさるべきだ」

 低く、イルタが予測したとおりの解答が、将軍の口から発せられる。火種を消す。──トーリを殺す。

 将軍が差し出したものを、イルタは操り人形のような動作で受け取った。

 手のひらにのせられたのは一粒の丸薬──。

「ヴィータ様が火竜の契約者に飲ませようとする魔法薬と、すり替えることが望ましい。薬が合わなくて契約者が死んだ、というかたちが取れる。──指先の技術は得意とするところだね?」

 かろうじて頷きながら、イルタは自分の記憶を確かめる。トーリと過ごした最初の夜、エイリを将軍へと飛ばしたのは痺れ薬が火竜に効かないと知る前だ。イルタはこの情報を将軍に伝えてはいないが。

「……火竜に毒は効くでしょうか」

 探りを入れた。この丸薬がただの毒ならトーリに飲ませても問題ない。

「効くはずだね。魔法術師が呪詛をかけた木の実からつくった」

 ……では、飲ませられない。

「ヴィータ様のところに戻るように。今後常にヴィータ様の身辺にいられるように、口添えしておこう。火竜の契約者に魔法薬を飲ませるときも」

「承知しました」

 感情が表れないよう目を伏せて言った。

 動揺していない、と言えば嘘になる。けれど、この展開は悪いばかりじゃない。

 常にヴィータ女王の身辺に侍ることができる。トーリに魔法薬を飲ませるときも。──あとは注意深く見つけるだけだ。トーリの鎖を外すチャンスを。

 ヴィータ女王を追うために馬に乗ろうとしたイルタの背に、将軍の声がかかった。

「ああ、それともうひとつ」

 ふり向くと、将軍は馬上で微笑んでいた。

「君は、火竜の契約者を捕えることに成功したら、姉に会うことになっていたね。今回の任務を終えて都についてのち、休暇をあげよう。任務を全うして元気な姉に会えるよう、心から祈っているよ」

 そう言って、イルタの横を、兵士たちの上げる土埃を追って駆け抜けた。

 手綱に縋るようにしてイルタは立っていた。

 元気な姉。会えるよう祈っているよ。任務を全うして。──将軍の言葉が頭の中でくるくる回り、裏返る。──元気な姉に、会えないことになる。もしも任務をしくじれば。

 初めて気がついた。契約の対価に命を持っていかれなかったエイレンが、自分を縛る人質になることに。

 ラークソン将軍は、私が鎖の鍵を手に入れたことを知っているのだろうか? ……いいえ、将軍が警戒したのは、きっと、私が将軍ではなくヴィータ様につくこと。もし、将軍に命じられたことをヴィータ様に密告すれば、計画が失敗するだけでなく、将軍自身が破滅する。でも、どちらにしても……。

 目眩がした。吐きそうだ。将軍の命令を実行しなければ──トーリを殺さなければエイレンが死ぬ? 自分が守ろうとしたサルミア、その将軍が、姉を殺す?


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