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少女──イルタ

 火竜の契約者、という言葉が耳に入って、イルタはそちらを見た。

 高く括った銀色の髪が柔らかに揺れる。薄青の瞳が声の主を探す。

 目立つ心配はなかった。ちょうど昼時で街道沿いの食堂は混み合っている。それに、他にも何人かふり返った者たちがいる。

 話しているのは奥のテーブルに陣取った男たちだ。イルタのような旅装束ではないから地元の村の住人なのだろう。現れるかな、と言っている。面白がっているような調子だ。

「……現れるかな、火竜の契約者は。タイミの村で適合者が見つかったんだろう?」

 ふん。イルタは小さく鼻を鳴らした。現れてくれなきゃ。そのためにここにいるのだから、私。

 火竜の契約者──七年前、国でいちばんの魔法術師に選ばれて、サルミア王国を守るために火竜と契約した少年のことだ。魔法術師に適合者として選ばれ、精霊と契約するのはとても名誉なことなのに。

 少年は逃げた。自分が逃げただけではなく、数年前から王国のあちこちに現れて王国を守るために選ばれた子どもたちをさらっている。

 サルミア王国に対する立派な反逆だ。反逆者は捕えられなければならない。

 イルタは頭の中で火竜の契約者の情報をさらう。もう何度もやったことだけれど。──年齢は十七。金髪で、瞳はブラウン。火竜の力、すなわち炎を操る。

 この数年、軍は、適合者が見つかるたびに、火竜の契約者が現れることを警戒して兵を出動させている。少年の特徴は国民にも知らされ、疑わしい少年を見かけたらすぐに役人に報告するように布令も出ている。けれど、火竜の契約者は兵の網にも民の網にもかからず子どもをさらっていく。もっとも民は……。

「火竜の契約者あ? 現れればいいよ、どこにでも。子どもたちも、城に連れて行かれるより、火竜の契約者に連れて行かれる方がひょっとしてマシかもしれんしなあ」

 不意に大きく上がった声に、ぴしっ、と店の空気が固まった。

 イルタの心も凍っていた。

 ──なんて無知で無礼なことを。

 声を上げたのは奥のテーブルに陣取った男たちのひとりだった。顔が赤い。こんな昼間から酔っているようだ。

 隣の男があわてた顔でとりなすように言っていた。

「飲みすぎたか? まあ、とにかく、子どもを連れていかれた親御さんはさみしかろう、ということだな」

 面白くもないのにわざとらしく笑い声をたてる者がいて、男の発言をなかったことにするように店内にざわめきが戻る。

 イルタも関心なさそうに男たちから視線を逸らした。気持ちは収まらず、心の中で言い返していたけれど。

 ──さらわれる方がマシだなんてあるわけないでしょう?

 さらわれた子どもがどうなったかは誰も知らないけれど、選ばれた子どもは精霊と契約して王国の特別な兵士になれるのだ。

 ──私のように。

 イルタは思い出す。選ばれたのは十歳のときだった。王に仕える魔法術師がたくさんの兵士をつれて、イルタを迎えに来た。選ばれた子よ、我々は何度も何度も占いを重ねてやっとおまえを見つけ出したのだ、と。

 村は大騒ぎだった。名誉とか村の誇りとかいう言葉がイルタに降り注いだ。胸がどきどきして頬が熱くなった。

 大好きな村のみんなが喜んでくれている。自分が選ばれたことを。選ばれた自分は王国の特別な兵士になって村のみんなやお姉ちゃんを守ることができる。これは素晴らしいことなのだ。

 ただ……村を離れるとき、たったひとりの家族である姉と別れるのは、確かにさみしかった。たぶん、姉も。立派な兵士になってね、と言いながら目は泣き出すのをこらえるように潤んでいたから。

 姉のことを思い出してイルタの胸が、きゅん、となる。村を出て以来、姉には会っていない。

 けれど、今回の任務が成功したら、休暇をもらって六年ぶりに村に帰れることになっている。イルタに直々に指令を下したラークソン将軍がそう約束してくれた。任務が重大なのはもちろんだけど、姉に会うためにも、今回の任務は絶対に成功させなくては。──イルタは強く自分に言い聞かせる。これも何度も繰り返したこと。

 コトリ、とすぐそばで音がした。注文した食事が運ばれたのだ。イルタがちょっと戸惑ったのは、スープをテーブルに置いた店員の手が皿から離れなかったから。

 店員はイルタと同じ年頃の少女だった。十六か、七。普通、店員は客に愛想笑いのひとつもするものなのだが、少女の顔は完全に別の方を向いていた。何かに、目だけではなく心も奪われているみたいな表情で。

 何だろう、とイルタは店員の視線を追った。スープ皿から手を離すことも忘れて見つめてしまうもの、って何。

 彼女の視線の先にいたのはひとりの客。カウンターの隅に座って食事をしている。

 男だ。後ろ姿の背格好は若い。十代後半? ──若い男の容姿を反射的にチェックするのはすでに習慣になっていた。火竜の契約者の可能性があるか否か。──年齢は当てはまりそうだが、肩にかかる髪は金色ではない。明るい艶やかな茶色。私のターゲットではないだろう。

 そのとき、少年が視線に気づいたようにこちらへと目を上げた。その遠慮のない視線に店の少女がさっと顔を赤らめる。

 イルタも思わず、どきり、としていた。

 少年の顔立ちがとても印象的だったから。

 ただ整っているのではない。ちょっと浮世離れした雰囲気のあるきれいな顔立ちだった。森で迷った少女をさらに惑わす妖精みたいな。──店の少女はすっかり惑わされた表情で少年を見つめ、ハッと我に返って急いで顔を伏せる。真っ赤だ。ようやくスープ皿から手を離し、逃げるように調理場に駆け込んだ。

 店の少女がいなくなっても少年はこちらを見ていた。

 ──私を見ている?

 なんだかどきどきしたが、イルタは素知らぬふりでスプーンを手に取った。さっきの少女みたいに赤くなってないか、ちょっと心配になったが、顔は熱くない。大丈夫だ。

 ほどなくして、少年が店を出ていくのが目の端に映ってほっとした。ほっとした自分にちょっと呆れる。

 ──馬鹿みたい。知らない少年に見つめられたくらいで緊張するなんて。とても重大な任務中なのに。

 火竜の契約者を今度こそ捕まえる。その作戦の要となる囮役。

 タイミの村で適合者の少女が見出された。これは事実だ。作戦では、イルタはタイミとは別の村・クッカで見つかったもうひとりの適合者としてタイミの少女を迎えに行き、ともに王都に向かう。見出された子どもが大勢の兵士に連れて行かれるのではなく、報せに応じて自ら都に赴くことで、サルミアの国民としてあるべき姿を示すのも任務のひとつ。──といっても、それはおまけのようなものだけど。

 イルタの最大の役目は、もちろん、適合者として火竜の契約者を誘き出すことだ。火竜の契約者と接触し、契約した風の妖精を使って情報をラークソン将軍に送る。火竜の契約者を欺くか兵士を手引きするかして彼を捕えるのが最善だが、適合者としてさらわれて火竜の契約者の住みかを突き止めてもいい。

 臨機応変に動かなければ。

 イルタは食事を済ませ、パンと干した肉と野菜を購入した。

「娘さんが一人旅かい?」

 という心配そうな女将の問いかけには、

「タイミの適合者を迎えに行って、一緒に王都に向かうんです。クッカで、私も適合者として選ばれたので」

 周りに聞こえるくらいの声ではっきりと答えた。

「適合者って……あんた……あなた様が?」

 一拍、ぽかん、としたあと、女将の顔に驚きが、そしてわずかな怯えが浮かんだ。ちらっと店の奥に視線を走らせる。『無知で無礼な』発言をした男がいた席へ。──火竜の契約者あ? 現れればいいよ、どこにでも。子どもたちも、城に連れて行かれるより、火竜の契約者に連れて行かれる方がひょっとしてマシかもしれんしなあ。

 けれど、男はすでにいなくなっていて女将の顔がほっとする。

 イルタは微笑んだ。

「必ず精霊との契約に成功して、サルミア王国を守ります。この村も、あなたも」

 女将がぎこちない笑みを返してきた。

「それは、ええと……ご武運を」

 近くに座っていた客たちも戸惑った表情でイルタに会釈をする。彼らが自分の去ったあと銀髪の適合者の少女のウワサを広めてくれるのは大歓迎だ。ウワサが火竜の契約者に届いて、彼が自分の前に現れるように。

 店を出た。マントを身につけながら、ふと人の気配を感じて店の裏手に目をやると、壁と壁の隙間で少年と少女が体を向かい合わせていた。

 とっくに店を出ていったはずの茶色の髪の少年と、イルタのテーブルにスープを置いた店の少女だ。

 少年の上衣は膝の丈で、平民の男にしては少し長めだった。が、少年の優美な容姿には似合っている。マントと皮袋を肩にかけているから、この辺りに住んでいるのではなくて旅行者なのだろう。

 少女はやっぱり赤い顔で彼を見上げていた。両手はもじもじとエプロンをつかんでいる。一方、少女を見下ろす少年の笑みには余裕があった。女の子にうっとりと見つめられていることには慣れている、みたいな。

 ふたりの距離が恋人たちのような近さに感じられて、イルタはすぐに視線を外した。

 初めて少年を見たときの少女の驚いたような様子や少年の旅装からして、ふたりは初対面だろう──イルタは考える──少年は自分が女の子たちからどんなふうに見られるかちゃんと知っていて素早く行動した、ってことかしら。もしも、私と店の少女を比べて彼女を選んだのだったら、良い判断だ。私、彼の相手をしているヒマはないもの。

 会ったばかりだろうに狭い場所で向かい合っているふたりを見て、イルタは驚いて、ちょっと気恥しくもあった。が、嫌悪感はない。恋したり泣いたりして、働いて一杯やって家族や友達と語らって……みんなのそんな穏やかな生活を守るために、自分は兵士になったのだ。さっき店の女将に向けた言葉は嫌みではなく本気だった。選ばれた私は、精霊の力をもらって、王国の平和を守る。

 その決意はイルタの誇り。

 ときおり届く手紙で姉もいつも言ってくれる。──王国の特別な兵士であるあなたは、私や村の誇りよ。

 マントをはおったイルタは、店を離れて歩きはじめる。

 銀色のおくれ毛が、ふわ、と揺れた。

 風ではない。食事の間、周囲を探らせていた風の妖精が戻ってきたのだ。耳にささやかれた報告は、異常なし。

 けれど、イルタには妖精の姿が見えない。見たことがない。契約をするときに、透き通った小さな羽をちらりと見ただけ。

 存在は感じる。報告のあと小鳥のように肩にとまったことが感覚でわかるその妖精を、イルタは、エイリ、と呼んでいる。エイレンという、姉の名前に少し似せて。

「……ご苦労、エイリ」

 イルタは呟く。

 この先は火竜の契約者のほかにも注意を払わなければならないことがある。隣国ノスティとの国境が近いのだ。

 サルミア王国とノスティは敵対している。イルタが生まれる前からずっとにらみあっているらしい。小さな衝突は何度もあった。まだ本格的な戦争は起こっていないが、緊張した関係が続いている。

 ノスティでは、人が精霊を自由に使役する魔法術が研究されている。最近、それがついに完成したという情報が入った。ノスティはその術で精霊の力を使い、サルミアに攻めてくるかもしれない。

 ならば、サルミアも精霊の力で対抗するしかない。ノスティが精霊を使役するなら、サルミアは契約によって精霊の力を手に入れるのだ。もっともっと多くの契約者が必要なのに……。

 ──火竜の契約者あ? 現れればいいよ。どこにでも。子どもたちも、城に連れて行かれるより、火竜の契約者に連れて行かれる方がひょっとしてマシかもしれんしなあ。

 食堂にいた男のセリフが耳によみがえり、イルタは小さくため息をついた。国民の中には、火竜の契約者が軍を出し抜いて子どもを連れ去るのを痛快なことのように思っている者がいる。しかたない。彼らは物事の表面だけ見て、サルミアを、自分たちの生活を守るためには何をしなければならないか、ということに考えが至らないのだ。

 それに、彼らは知らない。彼らが火竜の行動を娯楽のように面白がれるのは、火竜の契約者が子どもをさらうときに誰も殺さないから。イルタは知っている。火竜の契約者がすでに人を殺していることを。

 任務の説明と一緒に教えられた、一般の国民は知らない情報だ。──彼は十歳のときに父親である魔法術師によって火竜と契約し、その直後、父親を殺害してどこかへ逃げた。

 許せない、と思う。十歳で殺人を犯すなんて。しかも、自分の父親を。自分は幼いころに両親を事故で亡くしてとても辛かったのに。

 必ず捕らえる、反逆者を、火竜の契約者を。

 食堂で見た少年のことは、すぐに忘れていた。


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