不穏──イルタ
昨日と同じメニューの朝ごはんを食べて、テントを片付け、トーリがマントをはおった。タイミへと出発する時間だ。
タイミに一歩近づくたびに、トーリのそばにいられる時間が減っていって、イルタの胸は痛い。
ついに、森を抜けた。
行く手には、いくつもの丘が緩やかに連なっている。
丘をひとつ越えればタイミだ。丘と丘の間の低地にある村。開けた丘に身を隠す場所はないから、火竜の契約者を待ち受ける兵士たちは、タイミの村の家々の扉の内側や木立の陰に配置されているだろう。
イルタの任務は、ここでエイリを飛ばして、もうすぐ火竜の契約者がタイミに到着すると指揮官に報告すること。
トーリは、タイミへと入り、兵士たちを出し抜いて適合者の子どもをさらうつもりだ。兵士がいるのはいつものことだ、とトーリは笑っていたけれど。
引き止めたくなる。今回はこれまでとは違う。作戦の指揮はラークソン将軍が直々に執っている。兵士の数も多い。
でも、引き止めたあとは、どうしたらいいんだろう。
トーリは適合者が契約の対価に大切なものを失うことを防ぎたいのだ。契約の方法を知った今では、イルタも適合者を都に連れていくことにためらいを感じる。
──いいえ、正直になれば、行かせたくない。
十歳の子どもだったイルタは、契約の儀式の前に、精霊と契約して王国を守る力を手に入れることは素晴らしい名誉だと聞かされた。名誉が何かはよくわからなかったけれど、お姉ちゃんや村の人を守れるなら、それは素晴らしいことだと信じた。
契約を済ませてしまった自分はもう、仕方がない。エイレンはイルタのことを忘れてしまったけれど、元気に村で暮らしていて、イルタは姉を守ることができる。
けれども、家族を守れると信じて精霊の力を手に入れたのに、その代償に守ろうとした家族の命を失ってしまうなんてことは耐えられない。契約の対価に家族の命が支払われる可能性があるのなら、子どもたちには──逃げてほしい。
ああ、でも、もしもノスティが精霊を使役する術を使ってサルミアに攻めてきたら、同じ精霊の力を操る契約者でなければ戦えないのではないかしら。サルミアを守るためには契約者が必要で……どうしたらいいか、わからない。
森を出たばかりの場所で、イルタは立ち止まってしまった。同じように足を止めて、トーリもイルタを見た。何か言いたそうに唇が動いたけれど、トーリはすぐに口をまっすぐに閉ざし、視線を落とす。
トーリと自分はここで別れなければならない。自分が王国の特別な兵士で、トーリが反逆者だから? ──私はどんな言葉でトーリに別れを告げればいいんだろう。
考えてもわからない。でも、どうしてもトーリに伝えたいことがひとつある。
「……もし、契約を結ぶ前にトーリが来てくれていたら、私、一緒にセルヴィに行ってた」
トーリは驚いたように目を上げた。イルタを見つめ、やがて、笑顔を見せた。ふたたび何か言おうとしたけれど、また止める。
言葉を探すように宙をさ迷ったトーリの視線が──ふと固まった。目つきにも表情にもたちまち不穏な空気を浮かべ、タイミへと続く丘を鋭く見た。
どうしたの、と聞く前に、イルタの首筋も冷たくなった。
トーリだけじゃなく、エイリも丘を見つめている。とても怯えていて、その恐怖心が私の首をひやりとさせる。
イルタも丘を見た。青空の下の緑の丘……。いえ、違う。
トーリが見つめ、エイリが怯えているのは、丘の向こうだ。イルタにも、かすかにだけど、感じられる。
何か、いる。丘の向こうに。何か──とても恐ろしいものが。




