第17話
気付けば、レギアスは草原の上に立っていた。
ホールの扉を潜った筈だが、頭上には青空が広がっている。心地良い微風が髪を撫で、草が揺れる音が鳴る。
後ろへ振り返れば、ある筈の扉は消えており、草原地帯が広がっている。
「……っ、ベール!?」
ベールがいなかった。すぐ隣で一緒に扉を潜った筈なのに、彼女の姿は見当たらない。
レギアスは草原を走ってベールを探す。
だが何処を見てもベールは見つからない。
代わりに見付けたのは、古びた一軒の小屋だった。
煙突から煙が出ており、中に誰かが住んでいると分かった。
怪しさしかないが、一縷の望みに賭けて小屋の扉をノックした。
否、しようとする前に扉が開かれた。
「漸く来たね。さぁ、お入り」
「……?」
誰かと勘違いしているのだろうか、現れた白髪の老婆はレギアスを招き入れた。
「えっと、すまない。俺は――」
「レギアスだろ? 分かってるさ。ほれ、早くお入りなさい」
老婆は微笑む。
レギアスは老婆を警戒した。老婆とは初対面の筈であり、名前を名乗っていない。
明らかに何かを知っている。もしかしたら、ベールの居場所を知っているかもしれない。
加えて言うのなら、黙示の塔が仕掛けた罠なのかもしれない。
レギアスは警戒を怠らず、自分の状況を知る為にも老婆に従って小屋の中に入った。
小屋の中は古くさい造りであったが、清潔に保たれている。
その古くささにレギアスは思わず故郷の家を思い出す。
老婆は紅茶を淹れてテーブルの上に置き、レギアスは警戒しながら椅子に座る。
紅茶を優雅に呑む老婆を見ながら、レギアスは差し出された紅茶を口に付ける。
「そう警戒しなさんな。アタシは坊やの敵じゃあないさね」
「そう言われてもな……。こっちは塔の中にいた筈なのに気付いたら此処にいて、仲間ともはぐれたんだ。そんな矢先に初対面なのに俺の名前を知ってる老婆が現れれば警戒ぐらいする」
「そう言う割には、紅茶をよく飲む。それに何か仕込んでるとは考えなかったのかい?」
「最近になって知ったんだが、毒なら効かない体質でな。今年の初め辺りに間違って毒草を口にしたんだが、何ともなかった」
「フフフ、坊やを殺す毒となると中々無いだろうねぇ」
「……俺を知ってるのか?」
「一方的にだがね。ああ、まだ名乗っていなかったねぇ」
老婆はカップを置き、レギアスの目を見つめる。
紅い瞳にレギアスを映す老婆は己の名をレギアスに語る。
「アタシはマーレイ。黙示の塔に住む【魔女】さね」
「【魔女】? 確か滅んだって話じゃ……」
「それが生き残ってたのさ。アタシと、もう一人はね」
レギアス【魔女】の事について詳しくは知らない。
だが本や歴史の勉強の中で【魔女】については軽く目にしており、もう千年以上も前に滅んでいると記されていた。
【魔女】はドラゴン側に付いた邪悪な存在だと聞いているが、目の前にいるマーレイからはその邪悪さを、レギアスは感じていなかった。
マーレイは紅茶を啜りながら話を進める。
「坊やの事は、坊やが生まれる前から知ってるのさ。アタシの【眼】は何でも見えちゃうのさ」
「【千里眼】って奴か?」
「おや知ってるのかい? そう、過去視、未来視、遠視、読心なんかを可能とする眼の事。アタシはその全部を視る事ができるのさ。それで坊やの事も知り、今日此処へ来ると分かっていたのさ」
レギアスは戦慄した。
【千里眼】については、魔法を学んでいく中でベールから教えてもらった事がある。
マーレイが言ったように過去や未来、離れた場所や心の中まで見通すことができる魔法の眼の事で、魔法に精通した者でも会得できる者は数少ない。
それに【千里眼】を得たとしても、視る事ができるのは一種類だけが限界である。二つ以上視れる人間は確認されていない。
それを、この【魔女】は全て視れると言う。本当ならば、この【魔女】には嘘も誤魔化しもできない。
「その千里眼使いの魔女が、俺に何か用でもあるのか?」
「そうねぇ……んー……」
マーレイはレギアスを【視】る。
その紅い瞳には何が視えているのだろうか。
「……まだこれを訊くのは早いみたいだねぇ」
「はぁ?」
「いずれその時が来たら、また訊くさ。さぁて、それじゃあ早速だけど本題に入りましょうか」
マーレイは手をポンっと叩いた。
するとテーブルの上に大きな水晶玉が現れた。
その水晶にマーレイは手を翳し、魔力を流し込む。
「先ず最初に言っておくよ」
「……?」
「このままだと、坊やの大事な人は死ぬよ」
レギアスの表情が強張った。
大事な人、それはこの場において誰を指しているのかは明白だ。
ベール、それ以外にはない。
マーレイによって魔力を流し込まれた水晶玉が光り、レギアスの前にとある光景が投影された。
それは鎖で十字架に縛り付けられたベールの姿だ。
「ベール!?」
「おやおや、仕事が早いねぇあの子は」
レギアスはテーブルを引っくり返し、マーレイへと掴み掛かる。
だが気付けば椅子に座っていた。
まるで気付かない内に時間が巻き戻されたかのようだ。
「落ち着きなさいな。今の坊やじゃ、アタシの魔法を打ち破れやしないよ」
「てめぇ……!」
「勘違いしないこったね。お嬢ちゃんを縛ったのはアタシじゃあないよ」
「じゃあ誰だってんだ?」
「坊やも知ってる子だ」
投影されている光景が動き、縛られているベールを見上げる人物が映し出される。
甘栗色の髪に紅いジャケットを着た少女。
その顔を、レギアスは知っている。
「く、クレイセリア……!?」
仲間であった彼女が、見たことのない冷たい顔をしてベールを見上げている。
「何で先輩が!?」
「最初から話すと長くなってしまうけど、彼女は【竜剣】の覚醒とニーズヘッグの復活を企んでるのさ」
「覚醒と復活……?」
「そう……。【竜剣】の覚醒には初代竜騎士の血が必要。お嬢ちゃんはマスティアの王女だろう? マスティア家は初代竜騎士の血筋。そしてニーズヘッグの復活には覚醒した【竜剣】でニーズヘッグの心臓を貫く必要がある。でもニーズヘッグには身体が無い。そこで、ドラゴンの力を持つ坊やを器にしようと考えたのさ」
「俺を器に……いや、そんな事はどうでもいい。ベールは今どこにいる!?」
テーブルを叩いてレギアスは立ち上がる。
覚醒や復活なんて事よりも、レギアスにとってはベールを助け出す事が最優先だった。
それ以外の事はどうでも良かった。
マーレイもそれを分かっているのか、微笑ましそうにレギアスを見つめる。
「随分と大切に想ってるのね」
「戯れてる暇は無い。ベールを助けに行く」
「そうね。そのついでと言っちゃあなんだけど、クレイセリアも助けてくれないかねぇ?」
「先輩を……?」
水晶玉の投影を消し、マーレイは語り始める。
黙示の塔にはマーレイ以外にもう一人、【魔女】が住んでいた。
その名をファタと言い、マーレイの妹弟子にあたる。
その【魔女】は闇の力に秀でており、自分と並んで一族の中で最強の一角になっていた。
だがファタは更なる力を求めて闇に溺れてしまい、一族の命すら奪い始めてしまう。
そのファタを、姉弟子である己が殺して止めた。
だがその魂は黙示の塔に留まり、復活を企んでいる。
クレイセリアはファタが闇の魔法で造り出した人造人間であり、ファタがその魂を入れる為の器に過ぎなかった。
しかし失敗作として捨てられたクレイセリアを拾い、名を与えて育ててきた。【魔女】として魔法も教え、黙示の塔から出て人間として生きる為の知識を与えた。
それが間違いだった――。
クレイセリアは失敗作としてファタに捨てられたが、それでも魔法の素質が高かった。クレイセリアに使い道を見出したファタは、クレイセリアに接触した。
その日からクレイセリアは自分の下から離れ、ファタに魔法を仕込まれた。
「クレイセリアがニーズヘッグの復活を企んでいるのは、ファタの考えでしょう。ニーズヘッグは死者を蘇らせる事すらも可能だからねぇ」
「……俺に何をしろと?」
「クレイセリアを止めてあげて。最後の一線を越える前に、ファタから解放させてほしいの」
「分かった」
「……分かっていたけれど、何の疑いも無く承諾するのね?」
マーレイは驚きながらも、嬉しそうに笑う。
レギアスはクレイセリアを止める事に何の迷いも持たなかった。考える素振りも見せず、真っ直ぐな瞳で了承したのだ。
「友達を止めてやるのに理由は要らない」
「友達だと思ってくれているのねぇ?」
「ああ」
「坊やに【竜剣】の事を教えたのが、利用する為だったとしても?」
「……それでも、先輩が見せていた笑顔に嘘は無かった」
「……」
面白そうに、マーレイはレギアスを見つめた。
「……何だよ?」
「いいえ。ただ昔の男を思い出しただけさ」
「イイ男だった?」
「ええ、勿論。さてそれじゃあ、お嬢ちゃんの下へ行こうかねぇ」
マーレイは立ち上がり、何も無い空間に穴を開けた。穴は別の空間に繋がっており、人一人が余裕で通れる大きさだ。
レギアスはその穴を潜り抜けた。
★
ベールは十字架に縛り付けられた状態のまま、クレイセリアによって魔法で運ばれていた。
十字架と身体を縛り付けている鎖はクレイセリアが魔法で作り出した物で、何をしても壊れない上に、魔法を封じられてしまった。
ベールはレギアスとホールを抜けた直後、一瞬の浮遊感を感じて見知らぬ場所へと転移させられた。そこで待っていたのは紅い槍を携えたクレイセリアであり、混乱しているところを魔法で無力化されたのだ。
そのまま十字架に鎖で縛り付けられ、浮遊魔法で何処かに運ばれているのだ。
「ねぇ、ちょっと? 貴女どういうつもり?」
「……」
「私をどうする気なの? 目的は何なの?」
「……」
「答えなさいよ!」
「ああもう、煩いなぁ」
ベールの質問攻めに苛立ったクレイセリアが足を止め、ベールへと振り向く。
とても冷たい顔だった。その冷たさに思わずベールはビクッとする。
だが此処で臆してしまえば何も聞き出せないと考え、ベールは口を開く。
「貴女、いったい誰なの? 何の目的でこんな事をしてるの?」
「それ知ってどうするの?」
「それは知ってから考えるわ」
クレイセリアの顔が苛立ちで引き攣る。右手を上げて指を鳴らした。
するとベールの身体に電撃が走り、激痛を与える。
「ああああああッ!?」
「あんまり怒らせないでよね。今此処であんたを殺すわけにはいかないんだから」
「ハァ……ハァ……!」
「でもまぁ良いよ。暇潰しで話し相手になったげる。あんたの血が必要なの」
「血……?」
クレイセリアは移動を再会し、前を向いて歩く。それに続くようにベールを縛り付けた十字架も移動を始める。
何処かの通路を歩いているようだが、それ以外の事は何も分からない。
「そう。【竜剣】を覚醒させるには初代竜騎士の血が必要なの。でも本人はもう死んじゃってるから、その血筋であるあんたをその代わりにするの」
「覚醒……?」
「そ。それでニーズヘッグを復活させてお母さんを蘇らすの」
「あ、貴女それ本気で言ってるの? ニーズヘッグを復活させるだなんて!」
ベールはニーズヘッグが復活した未来を予想した。
ニーズヘッグは初代竜騎士が封印でしか対処できなかったドラゴン。そんなドラゴンが現代に蘇ってしまえば、どれだけの被害が出てしまうか。それどころか、人類が滅びてしまうまで考えられる。
ベールは昔、父であるイルに訊いたことがある。
初代竜騎士はどれぐらい強いのか。
するとイルはこう答えた。
『私と十二竜騎士が束になっても勝てないだろう』と。
その初代が封印で精一杯だったのだ。今の時代の人間が勝てる未来が見えない。
「ニーズヘッグが復活すれば、世界が終わるかもしれないのよ!?」
「だってお母さんがそれを望んでるんだから。お母さんの願いを叶えるのが子供の役目でしょう?」
「お母さん……?」
「そう」
クレイセリアはくるりとベールへ振り返った。
彼女の紅い瞳は、光を失っていた。
口は笑っているが、そこには何の感情も見えない。
「私はお母さんの言う事を聞く為に生まれたの。それが私だから」
「……貴女のお母様って誰なの?」
「【魔女】だよ。そして私も【魔女】。だから人類を滅ぼしてもおかしくないでしょ?」
「【魔女】ですって!?」
「さ、もう良いでしょ? 暇潰しにも飽きたし、それにちょうど着いたから」
気付けば、外に出ていた。
外、と言うのが正しいか分からない。だがこれが塔の中だと言えないのも事実だ。
ベールの前に広がるのは溶岩の海だった。壁や天井は存在しない。暗い空が広がり、溶岩の海で地平線が築かれていた。
その溶岩の海の上に築かれている長い一本道を抜けた先に、円形の広間がある。
クレイセリアはベールをそこまで連れて行き、広間の中心に止めた。
広間の中心には綺麗な円形の水鏡のようなモノが埋め込まれていた。透き通ってるようで透き通っていない、まるで何処かに通じているようなその水鏡の上に、ベールは十字架に縛られたまま吊り下げられる。
「【竜剣】はこの中よ」
「何ですって?」
クレイセリアは水鏡を指した。
「此処は【覚醒の間】って言ってね、【竜剣】を覚醒させる為の場所なの。この中に【竜剣】と血を入れると、【竜剣】が覚醒する」
そう言うや否や、クレイセリアは手に紅い槍を出現させる。
「もう【竜剣】は中に入ってる。後は、あんたの血を此処に流し込めば良いってわけ」
「や、止めなさい……!」
ベールは血の気が引いた。
槍の矛先が真っ直ぐベールの心臓に向けられる。
「覚醒させるのにどれだけの血が必要か分からないから、全部抜くね」
「くっ!」
ベールは拘束から逃れようと藻掻く。
ガシャン、ガシャンと鎖の音を鳴らすだけで逃げられない。
「バイバイ」
無情な言葉の後、クレイセリアは槍を突いた。
切っ先がベールの胸に触れるその直前、槍は動かなくなった。
「……?」
変に思ったクレイセリアは槍を見る。
槍は自分のではない、別の誰かの手に握られていた。
その手を辿っていくと、そこにはレギアスがいた。




