01 虐げられた少女と美しい愛の歌。
ノベルプラスに載せていたものを
こちらにも載せておきます!
20210918
幸福なんてものは、おとぎ話。
私にとっては、そうだった。
唯一、愛情を注いでくれた母は、私の記憶の中にもいない。
艶やかな黒髪を持つ美しい女の人だとは聞いた。
私も同じ黒髪を持つが、美しいとは言い難い。
艶を失った黒い髪。ただただ長いだけの髪だ。
母が亡くなって、すぐに継母になった人が、虫の居所が悪い時に鷲掴みにして引っ張る。そのための髪になってしまった。
切ってしまえば、醜いと怒られてしまうことは、目に見えていたのだ。だから、伸ばしたまま。
父と継母の間に生まれたのは、継母にとってもよく似た女の子に育った。
波打つ金髪と丸く大きな青い瞳を持つ女の子は、可愛い可愛いと言われて育てられていったのだ。
そして、自分の母親に見習うかのように、私を嫌った。
父は領主で、とても裕福で広々とした屋敷に住んだ。
それは幸せなことだと誰かに言われたけれど、私は嘘だと思う。
使用人はいたけれど、何人いても足りないから、私も働かされていた。
何かあれば、私のせいにされて、ぶつけられてきたのだ。
持っていたおもちゃも人形も目の前で燃やされた。
熱すぎるとお茶をかけられた。
汚れている廊下に突き飛ばされた。
床を拭いて掃除をしていれば手を踏まれた。
ろくに食事をさせてもらえなかった。
外で洗濯をしていたら蹴鞠の玉をわざとぶつけられた。
いらない着物は汚れたまま投げ渡された。
心無い言葉も浴びせられ続けた。
いつになったらーー……私は解放されるのでしょうか。
いつしか、涙は出なくなった。
枯れ果ててしまったのだろう。
笑うひとときすらなく、私はただ働くだけの人形でしかなかった。
希望なんてものは、私の中には存在しない。
それはきっと、ろうそくに灯したような火。
とても温かだけれど、呆気なく消え去る。
それにもすがる力は、もうなかった。
どうせ、希望を抱いたところで、消え去るのならば。
私はただ、胸にあると言われている心までも、傷つかぬようにしたい。
けれども、心があったとしたら、もうボロボロだろう。
そんな痛みを感じないように、奥の奥までしまってしまった。
身体が早く朽ちてしまえばいいと願いながら、日々を過ごす。
どうか、どうか、早く、と願っていた。
「あははっ」
その日は、私の誕生日だった。
十六歳になったが、誰も祝ってくれない。
祝われた覚えもなかった。
私ですら、祝うことはない。
異母妹の潤里香は、今日も友だちを家に招き、中庭でテーブルを囲って楽しく談笑をしている。
私はなるべく息を殺して、あまり視界に入らないように、お茶菓子を運ぶ。
「そう言えば、お姉さま?」
呼ばれて、ひやっとした。
何を言われるのだろう。
それとも、お茶菓子が気に入らないと、投げ付けられるだろうか。
いやでも、友人の前では、そんな行動はしなかったはず。
「なんでしょう?」
「今年で、十六になるんじゃなかったかしら?」
潤里香は、首を傾げる。
傍から見れば可愛い仕草だが、細めた青い瞳でわかる。
私を弄ぶつもりだ。
「はい、そうです……」
そう答えて、私は待つ。
「じゃあ、もう『愛の歌』を歌えば、運命の人に会えるわね! 歌ってみたらどうかしら?」
愛の歌。
それは、運命の相手に届く歌と言われている。
運命の相手、それは愛し合う定めにある人のこと。
運命の相手とは赤い糸で結ばれている、なんて聞いたことがあった。
目に見えなくともその糸で結ばれている相手の元に届く歌。
女性は十六歳から、男性は十八歳から。
歌うと引き寄せられるように出逢える。
魔法と似たような歌。
「あっ、お姉さまは無知だから、歌詞を知らないかしら?」
クスクス、と笑う潤里香は、嘲る。
それが言いたかったためか。
無知なのは、潤里香と違い、教師をつけてもらえなかったからだ。
初歩的な魔法も、覚えられなかった。
世間では誰もが魔法が使えるというのに、私は使い方を知らない。
無知な姉として、異母妹は笑う。
「いえ、知っております」
私は、そう小さな反撃をしてしまった。
事実だからだ。
私は『愛の歌』を知っている。
ずいぶん前に、心の中で歌ったことがある。
運命の相手がいるならば、どうか私をここから連れ去ってほしい。
そう救いを求めて、歌った。
毎晩の祈りのように、口を開かずに歌っていた。
けれども、そんな相手には出逢えない。
例え、存在したとしても、私を愛せるだろうか。
まともに食事をさせてもらえず、やせ細った身体。
人形のように、うつろな瞳をして、上手く笑えもしない。
潤里香なら、愛らしく笑い、上手に愛されるのだろう。
だから、私はいつしか、歌うことをやめた。
夢を見ることも、希望を抱くことも、やめてしまったのだ。
けれど、覚えている。繰り返し口にせずに歌った『愛の歌』を。
「あら、そう。夢見ていたのかしら? 運命の相手と出逢えることを」
つまらなそうな顔をしたのも一瞬。
また嘲て言うのだ。
潤里香の友人達は、私のみそぼらしい格好を見ると、気の毒そうに笑う。
首元まで覆う黒の衣服の上に、お古の淡い赤色の着物を纏う。
潤里香は、流行らしくわざと肩を露出した着方をする着物を纏っている。
瑠璃色の艶めきを放つ高級そうな着物だ。
比べられたら、当然、笑われるのは私。
こんな姿で、運命の相手を求めるのは、哀れでしかない。
「歌ってみて、お姉さま。本当に出逢えるかどうか、知りたいわ。お姉さまに、運命の相手がいればの話ですけど」
おかしそうに顔を歪めて笑う潤里香。
「……耳障りだと思いますが」
「それでもいいから、早く、もったいぶってもしょうがないわよ?」
一応言っておくけれど、潤里香は私を笑いものにしたくてしょうがないようで、歌うように急かす。
人前で歌ったことなんて、私にはない。
けれども、ここで逆らえば、友人達が帰ったあとに、髪を引っ張り廊下に叩き付けられるのだろう。
歌うしかない。
きゅっと袖の中で手を握り締めて、私はその場で歌うことにした。
「ーーあなたに届ける愛の歌。
この指先から赤い糸を伝って届いて。
この鼓動までもあなたに響いて。
我はあなたを想う運命の人。
聴こえるなら、糸を手繰り寄せて。
どうか会いに来ておくれ。
あなたも会いたいと願うなら。
出逢い、愛し合いましょう。
あなたに届け、この愛の歌ーー」
初めて、口に出して、歌った。
不思議な感覚を味わう歌だ。
そっと胸に手を当てて、自分の鼓動を確認する。
誰かに聞こえてしまいそうなほど、高鳴っていた。
どくん、どくん、どくん。
これは……。
「歌、歌えたのね……っ」
潤里香は、悔しそうな表情をしていた。
友人達が拍手をするから、私は上手く歌えたみたい。
潤里香がむすっとした顔を向ければ、すぐに拍手は止む。
後ろから風がきて、一つに束ねた黒髪が、舞う。
「まぁ、歌えたところで? 運命の相手が来るって確証はないけど、っきゃ!?」
「きゃあ!」
「何!?」
風は強風に変わって、彼女達が悲鳴を上げてしまうほどの強さになる。
お茶菓子なんて吹き飛んでしまい、お茶が零れた。
よろめかないように私は無言のまま、その強い風が吹く方を振り向く。
話でしか聞いたことのない存在がいた。
その両方の翼を広げていると、この屋敷を超えるほどの大きさになる。
真っ赤な翼。真っ赤な鱗に覆われた身体。真っ赤な尻尾。
炎のような色で揺らぐ毛。額には、一本の角。
金色と思える瞳が、真っ直ぐに私を見下ろしてた。
ーードラゴンだ。
蜥蜴に翼が生えた生き物だと耳にしたことがあるけれど、そんな可愛い存在でない。
ゾッとして、私は、動けなかった。足が竦んだのだと思う。
人の頭など、ぱくりと一口で食べてしまいそうな大きな口が開かれる。
少女達は悲鳴を上げて、逃げていく。その音を耳にしても、私は動けなかった。
「俺への愛を歌うのは、そなたか?」
人の言葉を放つのは、まぎれもなくこのドラゴンだ。
「そなただな」
ドラゴンは、返答を待つことなく、腕を伸ばした。
鷲掴みにした私を持ち上げると、ドラゴンは羽ばたき飛んだ。
宙を舞ったのは、これが初めてだった。
屋敷から遠ざかり、瓦の屋根が並ぶ街を通り過ぎていく。
強い強い風の中を進むドラゴンは、やがて遠目で見たことのある城の中に私を置く。
最上階の畳の広い部屋。何故、私はここに運ばれたのだろうか。
振り返ると、炎が散っていた。
ドラゴンは、炎に包まれて、そしてその中から、人が舞い降りる。
なんて表現したらいいのか、わからない。
ただただ、美しい光景だった。
散りゆく炎の輝きも、色も、美しい。
現れたのは、青年らしき男性だ。
ドラゴンの炎のような毛と同じ色の髪を持ち、そしてドラゴンと同じ一本の角を額に生やしていた。
髪の毛と同じ色の睫毛に縁取られた瞳は、金色。
仄かに赤色を帯びる肌には、鱗がある。
赤みの強い橙色の着物を纏った彼には、ドラゴンと似た尻尾が後ろに生えていた。
間違いなく、さっきのドラゴンだ。
私が『愛の歌』を歌ったら、現れたドラゴン。
ドラゴンも言っていた。
本当に現れたのだ。
私の運命の相手はーーこのドラゴン。
彼が、私を連れ去ってくれた。