13話 決めていた道
いつ寝たのか分からない。
だが、寝る前にひどく寂しい気持ち思いになっていたのは覚えていた。
リリが目を開けたとき、入ってきたのは曙色の空であった。
夜明け前の、一日の中で最も早い時刻。何故このような時刻に起きたのか、最初こそ分からなかったが、その理由は直ぐに判明した。
小さく鳴り響く、硬い音。それが、環境音のように持続的にここ塔の屋上に鳴り響いていた。
「リリ、誰かいる」
目を覚ましたリリの近くにいた、パルパは彼女の足をつつく。
「だけど、こんな朝早くに何をしているのかな」
「分からない。けど用心したほうがいい」
リリは腰を下げた格好のまま立ち上がり、床に転がっていた麦わら帽子を手にとって、ホコリを払うと被る。
パルパは、麦わら帽子の中に入ることなく、彼女の肩に登った。
「音の発信源は、前方50m、右10m。このまま腰を落としたまま進もう」
耳打ちするパルパに、リリは小さく首肯した。
「分かった。何か気づいたら知らせて」
「了解」
リリは腰を落としたまま、建設中の壁に隠れながらパルパが指示した位置へと向かう。
ゆっくり、けど確実に音を立てず前進していく。
その間にも、音は鳴り響き続けている。音が大きくなるに連れ、目的に近づいていると分かった。
音の発信源には人がいた……筋骨隆々の体格に、白髪交じりの髪。後ろ姿ではあるが、リリには身覚えがあった。
親方、その人である。
塔を建設する役目を担っている彼が建築中である塔の屋上一部分を工具片手に解体していたのである。
崩された石材が、荷車に次々に乗っていく。
何故、どうして? そんな疑問がリリの頭に湧いては消えていく。
答えは分からない。ただ、こんな朝早くまだ人が来ない時刻で、独りでに隠れるような行為は、良いものであるとはリリには思えなかった。
音を出さず、後退の仕草へと移る。
答えを出すのは早急であり、またこの場に居続けたら発覚する恐れがあると考えての行動ではあったが、この場合相手の方が上手であった。
「出てきてもいいぞ」
響き渡る声。小さな、だが威厳がある声はリリの耳に確かに残った。
姿を見られていない筈なのに……。
リリは肩の上にいるパルパに視線を合わす。
彼の返答はNo、体を左右に揺らし分からない旨を知らせてくる。
逃げるのも手であった。下の階への階段は、親方とは正反対の位置にある。このまま走れば逃げきれるかもしれない。
しかし、それでいいのだろうかという思いもまたリリの中では生まれていた。
次の世界へ渡るための情報が欲しい。そんな願いを改めて意識した際、見えた道は一つであった。
「……やっぱりな」
現れた人影を見て、親方は独り言のように呟いた。
リリの選択した道は、逃げも隠れもせず、彼の前に姿を現すことであった。
彼女の肩にはこの世界で隠していたパルパもおり、彼は臨戦態勢のように、いつ何が来てもリリを守れるように身構えていた。
「どうして気づいたんですか。私がいることを」
一抹の不安を胸に、リリは言葉を紡いでいく。そして、そんな彼女の肩には臨戦態勢かつこの世界には異質の存在であるパルパ。
親方は、そんなリリとパルパを見た後、特に身構える事なくゆっくりと口を開いた。
「勘」
「勘って……」
怪訝な瞳をリリは親方に向ける。彼はその瞳を避ける事なく受け止めながら、自身の首に触れる格好を取った。
「まぁ驚くのも無理ないわな。取り敢えずその前にリラックスしないか。そう、硬くなっていると話も聞き辛いだろ」
「……」
「分かったよ、まぁこんな時刻にひとりで、仲間たちが汗水たらして作り上げたものを解体する奴の話なんて、怖くて聞けないか」
おどけた様子の親方は、持っていた工具を足元に置いた。
彼は、変わりなくリリに話しかけてくる。それがまた、リリの不安を増幅させた。
「どうして、解体するんですか。間違っていたからですか。だったらなおさら、こんな隠れてやらなくとも良かった筈です」
リリは声を張り上げる。
一方の親方は変わらない柔和な態度で、リリ達の前に居続けた。
「間違っていたと言えば間違っていた……かな」
「どう言う事です」
「リリなら分かるんじゃないかな」
「トビラが出来てしまった……と言えば」
親方の言葉は、リリの警戒心を解かせるのに十分であった。
「今……なんて」
「トビラが出来た……と言ったんだ。解体しないと誰かが巻き込まれてしまう」
「トビラ……そんな、今ここで? いや、それよりもなんで知っているんですか、そんな事を」
問い詰めるリリ。
そんな彼女に対し、彼女と対峙する親方はいつまで経っても冷静であった。
「旅人さ。リリと同じね」
親方の言葉に、リリは衝撃を受ける。それはトビラの存在を教えられた後であっても、十分な衝撃を持っていた。
「旅人……!」
「元がつくけどね」
肩を竦める親方。彼の目元にシワが寄せている瞳は、随分と昔の事に思いを馳せているようにリリには思えた。
ここで言う旅人は、一般的な一世界の中を旅する者を指すものではない。より旅の規模を拡大した、世界を渡り歩くという意味での旅人である。
元旅人。他の世界を知っているなら、この世界の技術レベルではありえない物体であるパルパを見ても驚かないのは不思議ではなかった。
リリは口元に手を当て考える体勢を取る。そんな彼女を前に、親方は口を開いた。
「何を考えているんだ?」
「いや、あまりに情報量が多くて……けど、一つ確認したいことがあります」
「何だ」
「本当にそれはトビラ……なんですか」
リリは親方の前、石材を積み重ねて出来た壁に空いている穴を指し示す。
木材製のドアを取り付ければ立派な部屋の出入り口となると思われるその穴は、リリには普通の穴としか見えなかった。
「これは形成されたばかりだから、トビラ特有の神秘さや不気味さを感じなくても仕方ない。長年携わってきた俺だからこそ分かるものだ」
「俺だから……じゃあ夜な夜な親方は、トビラとなる穴を壊してまわっていたんですか」
トビラは、様々な形を取る。自然現象による洞窟や森の中の寂れた通路もまた世界を渡るトビラとなるのと同時に人が作った戸口もまたトビラとなる可能性もある。
今回は後者のようであるが、普通狙って作れるものではない。だからこそ、トビラが出来たという親方の言葉は素直に信じられるものでは無かった。
それが伝わったのか、親方は声が出ない程度に笑みを漏らした。
「そんなにできるものでもない。ただ、ここは特殊なようでね。一年に一回くらいは出来てしまうのさ」
説明する親方。彼は主だった疑問に答えたが、そんな中でもパルパは未だ警戒心を解いていなかった。
視覚情報を得るためのレンズを親方に向き続け、小さな黒のボディから生えている四足は関節部が曲がっており、直ぐに次の行動に移る事が出来る格好となっている。
そんな彼の事を警戒しすぎとリリは思う反面、彼が肩にいる今、頼もしいとも感じていた。
「親方は塔を建設する仕事についたのは、それが理由ですか」
「いや、この世界に来た際、食いぶちがなくてな。それでここで働いて気づいたらこの年齢になっちまった」
ケラケラと親方は笑う。年を感じさせる乾いた笑い声ある。
しかし、リリは笑うことはせず、鎮火したような紅色の瞳を彼に向けていた。
「親方は……帰りたいと思わないのですか」
「思わないね」
即答に、リリは言葉を詰まらせる。
しかし、そのまま、というのは故郷への郷愁を抱くリリには出来そうには無かった。
「でも、元の世界に待ってる人達もいるでしょう」
「どうかな、俺は公爵家の次男坊で、長男である兄からは目の敵にされてたし、親も俺のことをコマみたいにしか思っていなかったからな」
「そんな……」
「でも、メイドや執事くらいは居なくなった俺のことを心配してくれているかもな」
滞りなく言う親方に、リリは何か、理解出来ない断絶のようなものを感じずにはいられなかった。
「なら、その方達の為に帰らなければならないんじゃないんですか」
「その人たちも俺が幸せになることを願ってると思うよ。そして俺の幸せは、あの世界には無かった」
「そんな……」
リリは肩を落とす。自分の問題ではないが、それでも同じような立場にある身としては、同情せざるを得なかった。
傍目から見ても分かるほどに、落ちこむリリに親方は少し逡巡した後、口を開いた。
「リリは……何で、旅をしているんだ」
「故郷に帰るためですよ。待っている人が……居ますから」
辿々しく、紡がれたリリの言葉に、親方は短髪の白髪交じりの髪をかく。
親方は体勢を変えるように足を動かす。そんな時、石材の破片となる小石を蹴ってしまう。カンッカンッと、小さくそして無力感に苛まれる音をならし、小石は他の石たちに紛れず一人、遠くに離れていった。
「……悪かったな、その……こんな話をして」
「良いんです、私が聞いたんですから。それに……私は、幸せというのが故郷にあると思うんです」
落とした瞳をリリは上げると、親方に目を合わせる。
彼女の答えは、親方のと全く正反対のものである。だが、彼は彼女の答えに頷いた後、息をゆっくりと吐いた。
「そうか……なら、くぐるといい、このトビラを。そして次の世界に行くことだ。次の世界が故郷の世界であるのを祈っているよ」
親方は宙に溶けるような声量で言葉を紡いだ後、とある一点を指差す。そこは作りかけの壁にある穴……世界を渡るトビラであった。
リリは足を進める。そして、朝日が差し込む穴、もといトビラの前に立った。
「……親方はいつ、私が旅人だと気づいたんですか」
トビラに体を向けながら、リリは口にする。彼女からは背中側にいる親方の顔が見えず、親方からも彼女の背中しか見えない。
互いに声から相手の感情を推し量るしかなかった。
「最初に見たときからだな。いくら俺達が働いている最中だからといって、君が落ちる瞬間まで気づかないのはおかしいからな」
「なら……なんで私にトビラが顕在した事を教えずに、壊そうとしていたんですか」
「君にはここに居てほしかったからな」
「……」
リリは片足を軸にして、振り返る。
朝日の後光が差し込み、金色のミディアムヘアの髪が靡き輝く中、彼女の顔を見て親方は笑った。
「おいおい、そんな顔しないでくれよ。少なくとも俺はかってたんだよ、君をね」
「どうしてですか」
「君はよく働いてくれたし、それに……君も俺みたいに、流れついた場所で居場所を作れると思ったからさ」
しみじみとした親方の言葉に、リリが頭に思い描いたのはロイの姿であった。
流れついた場所で、居場所を作れる……彼の事だと思ったし、それにそうした方がいいと感じる部分もまたあった。
『人から必要とされて居場所だってあるのに、それを無下にするなんて……それが、どれだけ価値のある物なのか理解していない』
あの時の、自分の言葉がリフレインする。
……なら、私自身もそうした方がいいのかな。私も故郷以外の世界で……。
「……」
「どうした」
「やっぱり私は私の世界じゃないと満足出来ないみたいです」
儚く笑いながら紡いだリリの言葉に、親方はただ、そうかと答えた。
その後、リリは朝日が差し込んでいたトビラに、足を踏みこんだ。
……これが正しいのかどうかは分からない。
別の道もあるかもしれない。けど……今の私にはこの道しか見えなかった。
塔の箱庭での話は今回で終わりです。
次からは別の箱庭でのお話となります。