7 メスニナール
「これはある化粧品メーカーの話です」
そう前置きして、みだらさんは言葉を続ける。
「業界でも指折りの、誰もが知ってる大企業。著名人も愛用していると公言する自社ブランドがあり、通販サイトではいつもランキング上位に並ぶ、超が付く大手。そうですね……梓乃様はいわゆる基礎化粧品やメーキャップ化粧品と呼ばれるものを使った経験はありますか?」
「……? いえ、一度も」
「興味の方は?」
「え。急にそんなこと言われても」
女の子になったからにはいつかは使うかもしれない。
けど元々俺はそういうのとは縁のないおじさんだったので、よく分からず困惑してしまう。
「あまりないようですね。でもそんな梓乃様でもご存知だと思うくらいに有名なメーカーなんです」
「なるほど」
「そして当然、その人気を支えるためにも日夜新商品の開発が行われておりまして……その中である薬品が誕生しました」
そしてみだらさんは一呼吸置いた。
覚悟が必要だったのかもしれない。
その名を告げるための。
「キセキのメス化剤《メスニナール》」
「メスニナール……?」
初めて聞く名前だ。
だが妙に耳に残る違和感に、はっとした。
「まさか……っ!」
急激に記憶が遡っていくのを感じた。
俺の常識を、ありふれた日常と未来を捻じ曲げたターニングポイント。
俺がこの体になった原因は、
「そう、そのまさかです。社員がその場のノリで始めた幻の実験六回目。とりあえず盛るだけ盛ってみよう――とその場のノリで方向性を失敗して生まれた副産物。開発コード、ANZ-0717。梓乃様の体を究極の女の子へと作り替えし秘薬、いわゆる『女体化薬』でございます」
なん……だと……?
「全おじさんの願望を詰め込んだ結晶をっ……つくったーーーーーーーー!?」
すご……やば……。
世紀の大発明じゃん……。
俺の反応が予想通りで嬉しいのか、ニコリと微笑むみだらさん。
「公表したら世界中でニュースになりますよ! おじさん達が喜びます!!」
しかしそう言うと今度は寂しげに首を振る。
「残念ながらメスニナールはより大きな研究施設へと輸送中に、事故で……全て、なくなりました」
「じゃ、じゃあ、もう一度作ればっ……!」
「研究部門によれば、あれは偶然生まれたもの。再現はほぼ不可能だと」
「そんな……! くそっ……!」
悔しさに俺は拳を布団に振り下ろした。華奢な腕では力もろくに出なくて、静かな寝室に、ぽすっと弱弱しく響いただけ。
だが悔しいのは俺だけじゃなかったようで、
「そして、そのメスニナールを積んだトラックを運転していたのが、私でした」
トラック……?
今朝起きた時の映像が思い浮かんだ。
燃え盛る自分の部屋に突き刺さったトラックの運転席を。
「あれを運転してたのがみだらさんだった……!?」
みだらさんは静かに頷く。
迂闊だった、と。
「私はメイドとしてあらゆる訓練を受けました。体術、銃撃術、暗殺術などの対人戦闘に夜間戦闘、対催眠術、矢避け、騎乗スキル、エトセトラ。そのためメスニナールの搬送も、裏社会に狙われる危険性が高いだろうからと主から本命の輸送ルートを任されておりました――」
道中、トラックは度々刺客に狙われていたという。
メイドである彼女は鍛え上げた気配察知能力で感知して全て返り討ちにしてきた。しかし道中、みだらさんは疲れからか、トラックは不幸にもアパートに衝突してしまう。
そしてガソリンに引火して爆発し……俺は熟睡していた。
「元々メスニナールは女性の美を高めるための研究の中で生まれた薬品。しかし分析の結果、盛りすぎて男性にある副作用が起きる可能性がありました。火事の間、梓乃様はトラックからあまりにも距離が近すぎました。恐らく気化した大量のメスニナールの影響を受けてしまったのでしょう」
それでこんなにも可愛くなって……。
「でも俺が起きた時、運転席にはみだらさんはいなかったけど……」
「幸い私は衝突の数秒前には頭をハンドルにぶつけ、うたた寝から目を覚ましていましたから。おでこの擦り傷はその時のものでした」
そういえばと、みだらさんとの話を思い出す。
『実は今朝、頭を少しぶつけてしまいまして』
あれはそういう事だったのか。
「しかし不思議でした」
「えっ? ……運転中の居眠りのこと?」
「はい。私はメイドです。そんなことはあり得ません。受けた訓練には長時間睡魔に耐えるためのモノもあります。免許は当然ゴールドですし、任務中は常に赤い翼を授かっています」
「天国にでもドライブするの?」
カフェインの摂取量には気を付けよう!
「言い訳のように聞こえるかもしれませんが、運転中に梓乃様のアパートの近くまで来た際、急激な眠気に襲われました。それからまるで睡魔にいざなわれたが如く……一体なぜなのか」
みだらさんはわなわなと震えた手を見つめていた。
それだけ彼女にとって予想外だったに違いない。その上、ご主人様の命令を守れなかった大失態。きっとご主人様の会社にも何かしらの影響があるだろうし、動揺するのも頷ける。
確かに、みだらさんの優秀さを一日見てきた俺にもにわかに信じられなかった。
それこそ、例えば俺の寝息に睡魔が宿っていて、メイド特有の超感覚で運転中のみだらさんが聞き取っていたみたいな……ファンタジーみたいな話でもない限りあり得ないだろう。
一体なぜ、と首を捻って俺も考える。
ダメだ、わからん。全然わからん。
「それから主と私達は被害を確かめるために、徹底的にアパートの住人の事を調べました。でも梓乃様だけが事故が起きてからの目撃情報が一切なかった。だから主は『きっと何かあったに違いない』と」
「そうだったのか……」
みだらさんが俺の名前を知っていたのは作者の設定ミスじゃなかったのか……。
↑初期の設定ミスです。この場を持って深くお詫び申し上げます。
ここで謝るなッ!!!!!
「ええっと……それで、みだらさんはご主人様の命令を受けて俺を?」
「はい。梓乃様を助け、協力してもらうように仲を深めよと」
「いきなりメイドさんが現れても信用するのはなかなか難しいもんなぁ」
「おっしゃる通りです」
「協力っていうのは?」
「主としては、仮に過激派に捕まり被害者ごと事件をもみ消しにされた場合、会社が負うリスクが大きい。しかし逃げるとしても本人に協力してもらわなければ難しいだろう、と」
「なるほどなぁ」
そういう意味でなら、確かに今の俺とみだらさんは協力関係にあると言ってもいいかもしれない。
他に頼れる人もいない。俺の身を守ってくれるなら大歓迎だ。
みだらさん強いし。
「ところで梓乃様は、強い絆はどうやって作られるかご存知ですか?」
「強い絆?」
何だろう。これがジ●ンプだったら、一緒に戦って強い敵を倒している内に絆が深まっているっていう感じが定番だと思うんだけど。『おまえがナンバー1だ!!』みたいな。
「私は、この世で最も強い絆は家族だと思うのです」
「なるほど?」
「なので私と●●●しましょう」
なんて?
「んん??? ちょっと伏せ字が多くて聞き取れなかったんですけど?」
「失礼しました。少し言い間違えを」
こほん、とみだらさんは可愛らしい咳払いをして言い直す。
「つまり……強い絆を作る、より仲を深めるには●●●が重要なんです」
「うーん? あ、もしかしてこれってクイズってこと?」
「ふふ。そうかもしれません。ちなみにカタカナで書くと●●●●。漢字なら三文字で性●●です」
「おっ、ちょっと読めたぞ」
「●●は行為でも交渉でもどちらでも構いません。ただ家族を作る上で●●●はとても重要だと私は思います」
「行為? 交渉? ……それって性こ――みだらさん?」
バ゛ツ゛ン゛ッ゛!!!!
「……へ?」
みだらさんは俺のワンピースの胸元に指をかけたかと思うと、細い指からは信じられない力で引き裂いた。ボタンで留められていたはずなのに『ボタン? 何それ?』みたいな感じで問答無用だ。
突然の事態に俺は動けず、天井に当たって跳ね返ってきたボタンが顔に直撃して、
「あいたっ」
気が付いた時には早業で俺は瞬く間に下着姿にされてしまった。
あれれぇ、おかしいぞぉ?
「なかよしマッサージを始めさせていただきます」
「ああ、前回の最後に言っていた……?」
「全身を丁寧にしっぽり時間をかけてほぐしていきます」
「しっぽり……?」
「ええ。主からの命令と言っても今は業務時間外。つまりここから先はプライベートとして、私の趣味で命令を遂行させていただこうかと」
「????」
ゴトン、ゴトン――とみだらさんは両腕につけていた重りを外した。
ん? 重り……?
「ああ、こちらですか? 実は私は少々、羽目を外しがちなので仕事中は雑念を振り払うために付けるよう命令されているんです。余所事を考える余裕をなくすためのモノ――いわば拘束具ですわ」
なんだろう。重りを外してから雰囲気が変わったように俺は感じた。
息遣いがどことなく色っぽく、俺を見つめる目も、今までの事務的な色から段々と蕩けていくように……。
「ぅん……はぁ……」
「そ、その拘束具? を外したら、どうなるんです?」
「……分からないんですか?」
頷く俺の手に、みだらさんは扇情的な吐息を漏らしながら自分のを重ねた。
指と指を絡ませて、恋人繋ぎ。こんな状況じゃなければ嬉しいんだけど……あ、あれ? 動けない。いや、それどころか全く動かない。なにこれ怖い。
顔を寄せて囁かれる。
耳元で。
「日が昇るまで、寝かせませんわ」
まだ夜にもなってませんけどぉおおおおおおおおおお!!!!
俺は完全に理解する。
これは最終通告だと。意味は、享年三十三歳。俺の純潔に対する死の宣告。
今宵、俺は雌になる。
あと3話です