ごめんねも言えなくて
その事を知らされた時、私は言葉が出てこなかった。なんとか喉奥から絞り出したのは「え?」という音だけ。それ以上のことは何も、言えなかった。
分かっていた、いつかその時が来るのは。しかも、それがそう遠くない未来であると、気づいていたのに。どうしてわたしは、後回しにしてしまったのだろう。いざそれに直面してみれば、心臓の鼓動ばかりがやけにうるさく響くばかりで、私の身体は動かない。
「――おじいちゃん、死んじゃったのよ」
それから、受話器の向こうで母が鼻をすすりながら話してくれた。急に心臓辺りを押さえて苦しみ始めて慌てて救急車を呼んだこと、病院に運び込まれた時には既に心肺停止状態だったこと、その後呼吸が戻ることはなく、そのまま亡くなったこと。
耳に言葉は届いていた。母が言っている内容も、ちゃんと理解できていた。けれど、それはどこか遠い世界での話のようだと、心のどこかでは感じていた。信じたくなかった。おじいちゃんが、もういない? 心の中に突如現れた大きな穴を埋める術など知らなくて、ただ、小さく震える母の声を聞くばかりだった。
おじいちゃんの亡骸が病院から自宅に戻ってきた時、私はその顔を直視できなかった。
「納棺は二日後に決まったよ」
薄情かもしれないが、二日間もおじいちゃんの遺体と同じ屋根の下で過ごすのは、なんだか怖い。先ほど布団に寝かせる時、ちらりと見えたおじいちゃんの顔が脳裏に浮かぶ。真っ白で、血の気の引いた顔とはまさにこういう状態なのだと妙に納得してしまった。私の知らない顔をしているおじいちゃんが怖くて、悲しかった。
おじいちゃんの部屋を避けるように過ごす私に、母は気がついていただろうけれど何も言わなかった。夕飯の席でも両親は普段通りに見えて、私はなんだか落ち着かない気持ちになった。おじいちゃんがいないだけで、それ以外はいつもと同じ食卓の風景。昨日まで当たり前だった日常が、たった一日で変わってしまった事を感じずにはいられなかった。
その日の夜は、寝付きが悪かった。布団に入って何度か寝返りをつくが、やけに目が冴えていた。目を閉じれば、おじいちゃんの青白い顔が浮かんでくる。
数日前、おじいちゃんにキツい言葉をかけてしまった。別に、大した理由があったわけじゃない。ただ、高校進学したばかりで新しい環境にまだ慣れなくて、ストレスがたまっていたのだ。おじいちゃんは足腰はしっかりしているけれど痴呆気味で、何度も同じ事を話したり聞いたりすることが増えていた。普段だったら「またか」と思いつつも付き合うことのできた会話にも、その時ばかりは煩わしくて仕方がなかった。それもあまり触れられたくない学校生活について何度も何度も同じ事を聞いてくるものだから、思わず、
「おじいちゃんには関係ないでしょ。もう話したくない」と言ってしまったのだ。その時のおじいちゃんの驚きと悲しみが入り交じったような表情を見てすぐに後悔したけど、謝ることもできなくて、私はそのまま部屋へ戻った。
そのままおじいちゃんと話をすることなく学校へ向かい、自宅へ帰る途中の道で母からの電話を取ったのだった。帰ったら、あやまろうと思っていた。けれど結局、その時がくることはなかったのだ。どうして、どうして「ごめんね」のたった一言が言えなかったんだろう。
私は布団から抜け出して、おじいちゃんの部屋へ向かった。
布団の上に横たわる、物言わぬ身体へ恐る恐る近づいた。蛍光灯がすぐ真上で照らしているのに、それでも真っ白な顔色が目についた。指先で、おじいちゃんの頬にそっと触れる。ああ、本当にもういないんだ。死んでしまったんだ。それを実感せざるを得なくて、気がついたら涙がこぼれていた。
「・・・・・・おじいちゃん、ごめんなさい」
返事がないのは分かっていたけれど、声をかけずにはいられなかった。弱々しい自分の声が、冷え切った部屋の中でやけに響いて聞こえた。