真っ赤な林檎
ファンタジーな世界で。
テーブルの上にある、赤い林檎を手に取った。近くの村に住む老婆が、薄暗い森の中を歩いてまで、わざわざ届けてくれたものだった。数日前、彼女の孫の為に熱冷ましの薬を煎じた事に対する礼だと言って、籠いっぱいの林檎を持ってきてくれたのだ。
どうせまた近々村に立ち寄るのだから、その時でもよかったのに。お礼を伝えつつもそう告げれば、老婆は口元の皺をより深く刻みながら「うちで作ってる林檎がようやく食べ頃になったもので、はやく魔女様にお渡ししたかったんですよ」と笑った。
彼女がくれた林檎は両手で持っても余るほどに大きくて、小柄な猫の頭ぐらいはありそうだと思った。外側の真っ赤な皮は艶めいて、光にかざせばその球体に、白い輝きを映していた。これはずいぶんと食べ応えがありそうだ。まずは一口、まるかじりでもしてみよう。
そう思って口を大きく開けたけれど、肝心の林檎が立派で大きいものだから、上手く歯を立てることができなかった。滑らかな皮にすべるばかりで、何度か空ぶってしまう。
仕方がない、丸かじりは諦めよう。わたしは林檎を持ったまま、台所へと足を向けた。今朝使ったばかりの包丁とカッティングボードを取り出して、中央に林檎を乗せる。林檎のヘタからお尻まで、体重をかけながら一気に包丁の刃を入れた。それから皮は剥かずに四等分にして、最後にヘタと種の部分をカットする。元々が大きな林檎だった為、四等分にしてもまだまだ大きい。
その内の一つを手に取って、口に運んだ。シャクシャクと瑞々しい音と共に、口内に少しの酸味を含んだ甘い果汁が広がる。噛めば噛むほどに果汁が溢れて、唇の端から一筋こぼれた。
これは、美味しい。こんなに美味しい林檎を食べたのは、久しぶりかもしれない。わずかな感動を覚えながらも、頭の中では、つい先日口にしたばかりの林檎を思い出していた。
それは森を散策中に見つけた自然に実っている林檎で、信じられないほどに酸っぱかった。まるで、皮を剥いた檸檬を丸のまま口に放りこまれたかのようで、食べているのが本当に林檎かどうか、疑ってしまうほどだった。
その時の事を思い出して、思わず顔を顰めてしまう。それに比べて、この林檎のなんて甘いことか。一切れ目をあっという間に食べ終えて、二切れ目の林檎に手を伸ばしたところで、窓ガラスをコツコツと叩く音に気がついた。
ふと視線を移せば、そこには一匹の烏がいた。催促するように、何度もコツコツと嘴で窓ガラスを叩いている。普通の烏よりも心なしか一回りほど大きくて、赤い瞳をしている。使い魔にしている烏のジャッキーだとすぐに分かった。
「あー、帰ってきてたのね」
窓を開けてあげれば、ジャッキーは抗議するかのように嘴を何度か鳴らした。別に隠れて食べていた訳じゃないけれど、林檎好きな彼からしてみたら、いい気分はしないのだろう。
「はいはい、ちょっと待ってて」
一切れの林檎をさらに小さくカットして、それをお皿に盛ってからジャッキーの元へ運ぶ。林檎の欠片を一つ摘まんで彼の口まで持っていけば、ジャッキーは少し頭を傾けながら、器用にそれを咀嚼した。心なしか、満足げな顔をしているように感じる。
「美味しい? 昨日、アマンダのお婆さんが持ってきてくれたのよ」
そう話しかけながら、次から次へと林檎の欠片をジャッキーへ与えていく。ジャッキーとはもう大分長い付き合いだ。お互いずいぶん年をとったはずだけど、美味しそうに林檎を食べる彼の姿を見ていると、出会ったばかりの頃を思い出して懐かしい気持ちになった。
「たくさんもらったから、アップルパイでも作ろうか」
ジャッキーの大好物の名前を挙げれば、彼は元気よくカァーと鳴いた。元は普通の烏である彼は、人間の言葉は話せない。けれど、喜んでいるのだという事はすぐに分かった。
ジャッキーの小さな頭を、人差し指でそっと撫でる。春の日差しが優しく差し込む、ある日の昼下がりの出来事だった。