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掌編小説集  作者: いちか
2/7

桜雨

見慣れた風景の、駅からの帰り道。普段とは違う道で、ちょっと気分転換にでも遠回りして帰ろうかな。そう思ったのは気まぐれからだった。

いつもだったら疲れているし、重たい鞄を肩にかけているから、こんな気まぐれはおこさない。でも今日は、授業で使う為に持っているテキストも、1冊しか鞄に入っていないのだ。鞄の軽さに影響されて、気持ちも軽くなっているのかもしれなかった。

帰路の途中、おなじみの丁字路を通りすぎて、その先の脇道へ足を向ける。確か、ここを曲がってもアパートには戻れるはずだ。一瞬、もしも間違っていたらどうしようという心配が脳裏をよぎった。でもその考えはすぐに打ち消した。間違っているのに気がついたら、戻ればいい。別に急いで帰らなければならない理由があるわけでもないし。それに、万が一の時にはスマホもあるのだ。そう思って、右ポケットに入れたままのそれを握りしめた。

初めて歩く脇道は、両側に立っている塀のせいか、なんだかジメジメとしていた。道の両端にはびっしりと苔が生えているし、コンクリートの地面も所々色が黒く変わっている。日当たりが悪いのだなと思った。ここ数日は天気が悪いとニュースキャスターが言っていたし、つい昨晩も雨が降っていた。今日も良い天気だとは言えないし、きっとこの道の地面が本来の色を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうだな。なんて、下らないことを考えながらも、一方では違う事が気になっていた。

ここは、人とすれ違うには少々狭い。行き交おうとすれば、これまた見知らぬ草が顔を出している塀に、肩がついてしまうのではないか。

お気に入りのコートが汚れる様を想像して、それはちょっと、いやかなり嫌だなと思った。

向かい側から人が来ないことを祈りつつ、わたしは足早に脇道を通りすぎることにした。

脇道を通り抜けた先には、公園が見えた。初めて見る場所だった。こんな所に公園があるなんて。大学進学の為に上京して2年、この町のこともだいぶ詳しくなってきたなと思っていたけれど、まだまだ知らないことはあるんだな。

目の前にある公園に、わたしは足を踏み入れた。テニスコートが1個と半分ぐらい入りそうな、その公園にはブランコと滑り台、それから屋根つきのベンチがあった。真ん中のスペースは広く空いていて、子供たちが使ったのだろうか、ドッジボールのコートと思わしき歪な線が描かれていた。

それからもう一つ目に止まったのが、ベンチのすぐ脇で花をほころばせている桜の木だった。一本だけポツンと植わっているけれど、まるでそんな事気にしていないかのように、薄紅色の可愛らしい花を開いている姿が色鮮やかだった。

もっと近くで見てみたいな。そう思って足を向けかけた時、冷たい雫が頬に落ちてきた。釣られて顔を仰いで、片手を空に向けて差し出す。するとまた、頬や掌にぽつりぽつりと雫が当たる。

雨が降ってきていた。

「まじか……」

足早に、屋根つきベンチの下へ急ぐ。降り注ぐ雫が遮られてから改めて見上げれば、ざぁぁと音をたてながら、まるで空と大地を結ぶ糸を紡いでいるかのように、雨が降っていた。

仕方ない。あいにく傘も持っていないし、少しここで雨宿りしていこう。木製の年季が入ったベンチに腰掛け、ふと視線を横にずらせば、そこには急な雨など物ともしていない、桜が目に映った。

その枝葉は落ちてくる雨粒をしなやかに受け止めているが、花弁は勢いに負けてしまうのではないか。そう心配したが、思ったよりも花弁は力強くて、その小さな体で雨を受け止めながらも、懸命にその場にとどまっていた。それでも、いくつかの花弁は地面に落ちてしまった様だったけれど、それもまた、桜自身が絵を描いているみたいで美しかった。

雨の日に、こんな近くで桜を見たのは初めてかもしれない。少し肌寒いけど、もう少し、雨と桜を見ていたい。そんな事を考えながら、わたしはむき出しの両手をさすった。

桜雨【さくらあめ】

→桜の花が咲く頃に降る雨のこと

1:26

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